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□□■☆☆甦れ美しい日本☆☆■□□(2019年12月7日 第1703号 )
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▽ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。
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▽日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!
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メルマガタイトル:甦れ美しい日本
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◎アフガニスタンにてテロで亡くなられた偉大な日本人中村哲氏を悼む。奥山篤信
僕は神学を勉強していた2014年頃だったか修士号を取得するために論文を書いた。そのテーマは<友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。> そして前期博士号課程修了後、著書として
<人は何のために死ぬべきか?キリスト教から読み解く死生観 >(単行本 春吉書房)を出版した。
ヨハネ福音書15:13にある言葉が<友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。>を日本の伝統的思考や文化との関連性を研究したものだ。日本では切腹や玉砕や特攻など、自ら命を捨てても他者のため、国家のため、社会のために自己犠牲する文化が存在していたし、今でも存在する。
自分のためでない人のために命を落とす、これは日本史に流れる日本人の魂なのだ。
中村哲さんはキリスト教プロテスタント・バプティスト派のクリスチャンだ。その政治的信念はまさに護憲派であり、常々<「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語っていた。
全く僕とは異なるお考えの人である。特にイエス・キリストの思想は理想論として同意できることはあるにしても、最近の法王のように、それを叫んでも祈っても、それは虚しく偽善でしかないという現実主義者であり、聖書などは<神話化>して、イエスキリストは<道徳の師>と位置つけたら良いとの考えである。イエスの考えには現実論は離れても人間の生き方の<道しるべ>があるからだ。さらに僕は憲法を真っ向から否定する憲法廃止論を主張しているからだ。そんな考えから見れば、中村さんはカテゴリーに分けたら<サヨク>だろう。しかし、中村の実践行動は、あの物見遊山のシリアやイラクにいったお騒がせ人間とは異なるのだ。
最も大切なのは、この中村さんの人生哲学からの理想より、そのパッションから40年も戦争に苦しんでいるアフガニスタンの人々を救うため、医療活動や彼らの食料生産のための灌漑設備を逆境の中で命がけで行動し、そしてテロの銃弾に倒れ殉死されたことだ。
人間として最も美しい生き方は人のために自分を犠牲にして死ぬ覚悟の人間なのだ。
まさに最大の尊敬に値するのだ! なんという壮絶な死だろうか!
まさに吉田松陰の言を噛み砕いて言うと、人間の寿命はその時間的尺度にあるのではなくその中で社会にどれだけ貢献したのかということ、短い人生でも、人間の果たすべき使命は、そこにあるのだ!
中村さんは、イデオロギーに関係なく、誰が見ても、一切の私的世界を捨てて、最後は命をも捧げ、世界のために貢献されたのだ。
左翼であろうと右翼であろうとかかる命を捨てて他者を救おうとする行為こそ、最高の人生の価値であることを、次世代に伝えていきたいものだ。
素晴らしい日本人として僕は尊敬する。安らかにお眠りください。
◎新刊 桜井修・小河原あや共著『霧に消えゆく昭和と戦中派──敗戦前後の映画的回想』春吉書房 1000円プラス消費税
こちらから購入可能です。→https://www.amazon.co.jp/dp/4908314128?_encoding=UTF8&redirect=true
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◎トルコ映画 読まれなかった小説(2018年製作の映画)Ahlat Agaci/The Wild Pear Tree 星5
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?前半 1日目鑑賞
トルコ映画 僕の造語である辺境映画のカテゴリーに入るが、この映画は実は楽しみに出かけたが、なんと三時間一〇分なる長編で、心を決めて2回に分けてみることとし本日は残り一時間半くらいの時点で切り上げた。そもそも映画の理想は一時間半 長くて二時間が僕の持論だ。おかげで一時間半集中力を持ってじっくりセリフを反芻しながら映画が観れた。残りは明日か金曜日にみるつもり。
小説家志望の青年と教師だがギャンブルに溺れ、その穴埋めに妻に渡した家計費をねだり、息子のジャケットから金をくすねるなど、如何しようも無い父親との葛藤が前半の流れだが、このトルコの監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの知性と教養に驚くばかり。カンヌ・パーム・ドール賞を獲得した<雪の轍>でもそうだがこの監督は人間と人間の会話を炸裂させる、そしてまさにそれが人生の本質をついているのだ。前半は、大学を卒業後、高校時代のクラスメイトの女性に呼び止められ、彼女は打算で結婚相手を決めたが、もし青年が一緒になってくれるなら、とのオブラートに包んだ求愛を積極的にするが、青年はあまり乗り気でもないが、それは男だから・・夢と現実を交錯される美しい場面だが、その美的で知的な描写とカメラアングルの素晴らしさ、この監督はまさに美術的にも優れているのだ。
第二の場面は町長さんとのやりとり。自費で出版したい青年をあしらう町長との会話。さらにトルコの小説家と図書館で出会い、小説家を挑発する青年とそれに応える老年の小説家との火花を散らす会話、まさに文学論が味わえるほど奥行きと深さがある圧巻の場面だ。さらに町長紹介の成金の小説好きの砂利屋に資金を出させようとする青年だが、世渡りに長けた成金らしい対応で追い払われる。などなどまさに舞台劇の特徴と面白さがセリフの火花の衝突とすれば、この監督は舞台劇的要素をふんだんに入れるのが特色だ。過去の作品もそうだ。惚れ惚れする映画であり、後半が楽しみで映画館を去った。
間違いなく星5だろ。
トルコ人の教養の高さ、イスラム文化との一線を画するケマル・アタチュクの近代化の影響があるトルコの人生への洞察の深さとそれでいて、日本で失われつつ素朴な共同体の人間らしさが存在する。よほど日本の青少年に比べてトルコ人の方が若者らしく、生き生きした真面目さがあるし、大人は大人で正義感や倫理観があり、味わいがある。
?後半 翌日鑑賞
本日後半を見た。青年は師範試験に落第して徴兵制度で軍隊に入る。除隊して家族に再会したが、父は相変わらずギャンブル癖がある。しかも電気代まで滞納になり、電気を切られロウソクで暮らす。母親に頼まれ給料日に学校に押しかけ無理やり父の給料袋を取り押さえることとなった。先入観に満ちた青年の目には、父が生徒に課題を与え、その間競馬の枠を記入しているように見え(実際は愛犬が行方不明になり父親はその似顔絵を書いていたのだ。それが青年には偏見には競馬の枠と見えた)、母の小僧の使いじゃあるまいしと、叱られるのを予想しつつ、馬鹿臭くて何もできずに、呆れ果てて帰宅する。ここで青年と母との会話、<あんなアホな父と駆け落ちまでして結婚してなんなんだ!>と母をなじる、母はそれでも<親をなじる息子とはなんだ>と、<もう一回人生をやり直すとしても彼と結婚すると>逆ギレするのだった。・・これもトルコの名女優の演技が光る。あとはイスラム教の司祭などとの会話も興味深い。
ある時、父を徹底的に侮蔑する青年は田舎で別居している父を訪ねる。誰もいない。そこで父の持ち物を調べるうちに財布には一枚も金はないがその中に<町で小説を出版した自分の新聞記事の切り抜きが財布の奥に隠されている>事を見出す。誰も読んでくれない一冊も売れない自費出版の本を父は読んでくれていたのだ。そんな父を思うとき青年の心は一変するのだった。
人間の人生は善悪の混合だ。綺麗事の人生って絶対にない!人それぞれ、だらしない父親 どうしようもない母親 色々な家族があるだろう。そんな家族だからこそ、当然のことながら悪い点だけを見ると、時には感情を醜いばかりにぶつかりあうこともある。他人だったら、その諍いだけで人間関係は終わりだ。しかし血の繋がった家族はそれでも愛憎の長い共同生活を送り、その人生の子供からの記憶が良いときにせよ悪いときにせよ刻まれた瞬間、時間が経つと忘却することもあり、また善悪を抜きにした、それをぐっと抱きしめたい思い出として残ることもあるのだ。そんな家族の関係を、父が大切に財布に入れている切り抜きが、こんな発見が大きく父(家族)への愛情の心理状態にインパクトを与えることも経験からしてみなさんあるだろう。
これほど素朴に素直にそして流れるように描いたこの映画、さすがジェイラン監督の手腕だ。最後は父親のささやかながらの夢、井戸の存在を信じてシジフォスの神話のように地下を掘っても水は出てこない不毛の希望と言う名の人間のこだわり。父と子の圧巻の最後の会話があり、父親も井戸は自分の間違いだったと認め、いかに息子の本を熟読しているか2人で話す場面 そのうち眠りに2人は昼寝に陥る。父親の夢は<残酷にも息子が井戸に首を吊る>悪夢、そこには息子の反感を招いた悪い父親の懺悔が出ている。(この映画は夢と現実の夢が突然登場する場面が、見事な手法なのだ)実際目覚めて父は息子のいないのに気づく。悪夢から覚め井戸の気になり井戸端へ。すると息子が遮二無二井戸を掘っているではないか!
静かに流れるバッハの<パッサカリア ハ短調 BWV582>が余韻を残し流れ幕 監督の趣味の良さを伺わせる。
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◎イタリア映画 アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール LA MUSICA DEL SILENZIO/THE MUSIC OF SILENCE(2017) 星3.5-4.0
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この映画の配給元にまず怒りをぶつけたい。これはイタリア語で話されイタリアの歌手を扱いそしてトスカナの美しい田園が描かれているのにも関わらず、この配給元は一切のデリカシーもなく英語で話された映画を輸入し、おそらくイタリア語の翻訳より英語の方が安いからか、イタリア人が英語を話す映画で雰囲気丸つぶれ、せっかくの奇跡的なシンデレラボイを描く内容はいい映画なのにゲンナリした。考えても見て欲しい!まさに例えば日本の小津安次郎監督の映画の日本人俳優が英語で話すようなものだ。言語の響きは、たとえそのまま全く理解できなくとも、総合芸術としての要なのである。
この映画は盲目の世界的テノール歌手アンドレア・ボチェッリの半生を、彼自ら執筆した自伝的小説を『イル・ポスティーノ』などのマイケル・ラドフォード監督が映画化したもので、幼年時代に失明しながらも、歌手としての才能を開花させていくサクセス・ストーリーが描かれる。『ワイルド・レース』などのトビー・セバスチャンがボチェッリを演じ、彼を導くマエストロを『チリ33人 希望の軌跡』などのアントニオ・バンデラスが演じる。//
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僕は神学を勉強していた2014年頃だったか修士号を取得するために論文を書いた。そのテーマは<友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。> そして前期博士号課程修了後、著書として
<人は何のために死ぬべきか?キリスト教から読み解く死生観 >(単行本 春吉書房)を出版した。
ヨハネ福音書15:13にある言葉が<友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。>を日本の伝統的思考や文化との関連性を研究したものだ。日本では切腹や玉砕や特攻など、自ら命を捨てても他者のため、国家のため、社会のために自己犠牲する文化が存在していたし、今でも存在する。
自分のためでない人のために命を落とす、これは日本史に流れる日本人の魂なのだ。
中村哲さんはキリスト教プロテスタント・バプティスト派のクリスチャンだ。その政治的信念はまさに護憲派であり、常々<「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語っていた。
全く僕とは異なるお考えの人である。特にイエス・キリストの思想は理想論として同意できることはあるにしても、最近の法王のように、それを叫んでも祈っても、それは虚しく偽善でしかないという現実主義者であり、聖書などは<神話化>して、イエスキリストは<道徳の師>と位置つけたら良いとの考えである。イエスの考えには現実論は離れても人間の生き方の<道しるべ>があるからだ。さらに僕は憲法を真っ向から否定する憲法廃止論を主張しているからだ。そんな考えから見れば、中村さんはカテゴリーに分けたら<サヨク>だろう。しかし、中村の実践行動は、あの物見遊山のシリアやイラクにいったお騒がせ人間とは異なるのだ。
最も大切なのは、この中村さんの人生哲学からの理想より、そのパッションから40年も戦争に苦しんでいるアフガニスタンの人々を救うため、医療活動や彼らの食料生産のための灌漑設備を逆境の中で命がけで行動し、そしてテロの銃弾に倒れ殉死されたことだ。
人間として最も美しい生き方は人のために自分を犠牲にして死ぬ覚悟の人間なのだ。
まさに最大の尊敬に値するのだ! なんという壮絶な死だろうか!
まさに吉田松陰の言を噛み砕いて言うと、人間の寿命はその時間的尺度にあるのではなくその中で社会にどれだけ貢献したのかということ、短い人生でも、人間の果たすべき使命は、そこにあるのだ!
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素晴らしい日本人として僕は尊敬する。安らかにお眠りください。
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トルコ映画 僕の造語である辺境映画のカテゴリーに入るが、この映画は実は楽しみに出かけたが、なんと三時間一〇分なる長編で、心を決めて2回に分けてみることとし本日は残り一時間半くらいの時点で切り上げた。そもそも映画の理想は一時間半 長くて二時間が僕の持論だ。おかげで一時間半集中力を持ってじっくりセリフを反芻しながら映画が観れた。残りは明日か金曜日にみるつもり。
小説家志望の青年と教師だがギャンブルに溺れ、その穴埋めに妻に渡した家計費をねだり、息子のジャケットから金をくすねるなど、如何しようも無い父親との葛藤が前半の流れだが、このトルコの監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの知性と教養に驚くばかり。カンヌ・パーム・ドール賞を獲得した<雪の轍>でもそうだがこの監督は人間と人間の会話を炸裂させる、そしてまさにそれが人生の本質をついているのだ。前半は、大学を卒業後、高校時代のクラスメイトの女性に呼び止められ、彼女は打算で結婚相手を決めたが、もし青年が一緒になってくれるなら、とのオブラートに包んだ求愛を積極的にするが、青年はあまり乗り気でもないが、それは男だから・・夢と現実を交錯される美しい場面だが、その美的で知的な描写とカメラアングルの素晴らしさ、この監督はまさに美術的にも優れているのだ。
第二の場面は町長さんとのやりとり。自費で出版したい青年をあしらう町長との会話。さらにトルコの小説家と図書館で出会い、小説家を挑発する青年とそれに応える老年の小説家との火花を散らす会話、まさに文学論が味わえるほど奥行きと深さがある圧巻の場面だ。さらに町長紹介の成金の小説好きの砂利屋に資金を出させようとする青年だが、世渡りに長けた成金らしい対応で追い払われる。などなどまさに舞台劇の特徴と面白さがセリフの火花の衝突とすれば、この監督は舞台劇的要素をふんだんに入れるのが特色だ。過去の作品もそうだ。惚れ惚れする映画であり、後半が楽しみで映画館を去った。
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トルコ人の教養の高さ、イスラム文化との一線を画するケマル・アタチュクの近代化の影響があるトルコの人生への洞察の深さとそれでいて、日本で失われつつ素朴な共同体の人間らしさが存在する。よほど日本の青少年に比べてトルコ人の方が若者らしく、生き生きした真面目さがあるし、大人は大人で正義感や倫理観があり、味わいがある。
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ある時、父を徹底的に侮蔑する青年は田舎で別居している父を訪ねる。誰もいない。そこで父の持ち物を調べるうちに財布には一枚も金はないがその中に<町で小説を出版した自分の新聞記事の切り抜きが財布の奥に隠されている>事を見出す。誰も読んでくれない一冊も売れない自費出版の本を父は読んでくれていたのだ。そんな父を思うとき青年の心は一変するのだった。
人間の人生は善悪の混合だ。綺麗事の人生って絶対にない!人それぞれ、だらしない父親 どうしようもない母親 色々な家族があるだろう。そんな家族だからこそ、当然のことながら悪い点だけを見ると、時には感情を醜いばかりにぶつかりあうこともある。他人だったら、その諍いだけで人間関係は終わりだ。しかし血の繋がった家族はそれでも愛憎の長い共同生活を送り、その人生の子供からの記憶が良いときにせよ悪いときにせよ刻まれた瞬間、時間が経つと忘却することもあり、また善悪を抜きにした、それをぐっと抱きしめたい思い出として残ることもあるのだ。そんな家族の関係を、父が大切に財布に入れている切り抜きが、こんな発見が大きく父(家族)への愛情の心理状態にインパクトを与えることも経験からしてみなさんあるだろう。
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この映画の配給元にまず怒りをぶつけたい。これはイタリア語で話されイタリアの歌手を扱いそしてトスカナの美しい田園が描かれているのにも関わらず、この配給元は一切のデリカシーもなく英語で話された映画を輸入し、おそらくイタリア語の翻訳より英語の方が安いからか、イタリア人が英語を話す映画で雰囲気丸つぶれ、せっかくの奇跡的なシンデレラボイを描く内容はいい映画なのにゲンナリした。考えても見て欲しい!まさに例えば日本の小津安次郎監督の映画の日本人俳優が英語で話すようなものだ。言語の響きは、たとえそのまま全く理解できなくとも、総合芸術としての要なのである。
この映画は盲目の世界的テノール歌手アンドレア・ボチェッリの半生を、彼自ら執筆した自伝的小説を『イル・ポスティーノ』などのマイケル・ラドフォード監督が映画化したもので、幼年時代に失明しながらも、歌手としての才能を開花させていくサクセス・ストーリーが描かれる。『ワイルド・レース』などのトビー・セバスチャンがボチェッリを演じ、彼を導くマエストロを『チリ33人 希望の軌跡』などのアントニオ・バンデラスが演じる。//