■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
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欠陥憲法を墨守しつづける愚
令和の御代が明けたが、平成の30年、日本の周辺が風雲急を告げているのに、なぜなのか、欠陥憲法を改めることができなかった。
最高法規であるはずの憲法の前文は、日本語として文法が目茶苦茶だ。どうして国語審議会が、目を瞑(つむ)ってきたのか。
このちゃらんぽらんな憲法を真面目(きまじめ)に解釈する法律学者たちが「専守防衛」とか、「必要最小限度の防衛力」とか解釈しているが、泥酔して錯乱したとしか思えない。
金科玉条となっている「専守防衛」という言葉は、まったく意味が不明だ。英語や、外国語に訳することができない。
外国人に理解させるために、来年、野球が東京オリンピックの種目入りしたのを好機として、日本の選手がバッターボックスに立つ時には、バットを持たせなかったらどうか。「専守」だから、攻撃である打球を禁じる。
家族が重病を患ったら、病院に「必要最小限度」の医療を施すように頼もう。だが、「必要最小限度」の医療なぞあるだろうか? 「必要最小限度」の国防も、あるはずがない。
こんなことを議論している国会は、重症精神患者病棟という看板を掛けるべきだ。
現行憲法は「平和憲法」だというが、「アメリカの平和」のために強要したもので、占領軍総司令部が日本政府に「これを呑まないと、天皇の一身の安全を保障できない」といって、英文の原案を手渡してから、1年3ヶ月後に公布された。帝国憲法を全面的に書き改めたのだから、もし日本国民が改正したのなら、1年3ヶ月で公布できなかったろう。
アメリカ軍の施政下で現行憲法が施行されてから、今年で72年もの歳月(さいげつ)が流れた。
どうして日本が独立国であることを否定して、とうてい憲法と呼べないのに、改められないのか。占領軍が日本国民を洗脳して反日思想を植えつけたというが、国民はそれほど愚かであるはずがない。
平成3年は、江戸開府400年に当たった。
日光東照宮が「江戸研究学会」を記念事業として立ちあげたが、私は江戸時代は庶民が世界のなかでもっとも恵まれていた時代だったと書いたり、講演してきたので、求められて会長を引き受けた。
江戸時代は平和が300年近く続いて、庶民が豊かな生活を営み、絢爛たる文化を創り出した。だが、平和だった江戸時代は、明治以後の日本にとって呪いともなった。
江戸時代は徳川家の支配を持続することを目的としたために、新しい政治思想や能力主義を斥けて、血筋と年功序列による硬直した体制を墨守した。明治維新は徳川体制をつくり直して、才気ある人々が国を導いたが、日清、日露戦争に勝つと、過剰な自信をいだくようになって、江戸時代へ戻ってしまった。
先の対米戦争で、日本はボロ負けした。政界から陸海軍まで年功序列によった。帝国の興亡を賭けた真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦の司令官は南雲中将で、砲術の権威だったが、航空戦について無知だった。
江戸時代に入ると、戦国時代の戦略思想が消し去られた。武士は儒教漬けにされたが、孫子の心髄の「兵は詭道也」(敵を騙すこと)は学ばなかった。武士道は精神修養の哲学に退化してしまい、勝つことではなく、「死ぬ」ことに価値が与えられた。
高度経済成長による経済大国化は、日露戦争の勝利に似ていた。日本国憲法が家康公の権現様の祖法と同じものに、なってしまったのだ。


