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■「加瀬英明のコラム」メールマガジン



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 憲法改正が実現する日こそ、主権回復の日となる


 4月28日に、都内で「主権回復記念日国民集会」が行われて、私も弁士の1人として登壇した。

 この日は、日本がサンフランシスコ講和条約によって、昭和27(1952)年に独立――主権を回復した日に当たる。

 これまで、私はこの日の集会に参加したことがなかった。というのは、アメリカ軍による占領下で強要された憲法があるかぎり、日本が独立国として主権を回復したと思えないからである。

 現行の日本国憲法は前文の冒頭で、「日本国民は(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたっているが、「政府」というのは、日本の政府のことである。

 私は日米近代史の研究者として、先の大戦はアメリカ政府の行為によって起ったと信じているが、この前文は不当なことに戦争の咎を、日本だけに負わせている。

 憲法第9条『戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認』では、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は」「永久にこれを放棄する」「陸海軍とその他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と述べて、日本の主権を否定している。

 猛禽猛獣がうろつくジャングルである国際社会で、日本を赤子の生け贄のように放置しておくと述べているのだ。ここの「武力による威嚇」は、「武力による抑止力」と読むべきである。

 私は集会で登壇して、「残念だが、この憲法があるかぎり、日本が主権を回復したとはいえない」と、訴えた。憲法を改正した日を主権を回復した日として、祝いたい。

 現行憲法は日本国民に、国家権力が悪であり、戦うことがどのような場合においても、悪であると思い込ませてきた。だが、どのような国家も、国民の負託に応えて権力を行使するし、国民の生命財産と独立を守る必要に迫られた場合に、戦うものだ。

 いうまでもなく、権力は悪ではない。自国を守るために戦うことが、悪であるはずがない。日本は国旗、政府があっても、国家としての要件を満たしていない。

 それなのに、いったいどうして日本の主権を否定する、憲法の名に価しない憲法を、今日まで戴いてきたのだろうか。

 私は現行憲法を“偽憲法”と呼んできたが、どうしてこのような重大な欠陥がある憲法を、今日に至るまで改めることがなかったのか、理解できない。

 多くの国民にとって先の敗戦は、男であれば戦勝国によって睾丸を抜き取られたか、女であれば強姦されて、処女を失ったような強い衝撃を受けて、なすことを知らず、自暴自棄になってしまった。

 そのために、自己を社会からはずされたアウトキャスト――除(の)け者とみなして、はずされた者だから何をしてもよい、何も責任がないという自虐的な態度をとるようになってしまったとしか、思えない。

 日本はまるで不良少年か、不良少女のような国になってしまったのだ。自棄(やけ)になって、自分に対する責任を負うことも拒んでいるのが、護憲派の本性なのだろう。

 護憲派を更生させなければ、日本が亡びてしまおう。