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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019)4月10日(水曜日)
        通巻第6039号 <特大号>
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 世界第二位の経済大国が、「発展途上国」からの離脱を拒否
  WTOルール違反もなんのその、中国は「最大の発展途上国」と開き直った
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 中国が2001年にWTO加盟が認められたとき、「十五年間は『発展途上国』としての特典」を与えられた。
つまり各種の免税特権や貿易上の最大の輸出強化策に繋がる「最恵国待遇」、そのうえ国内産業保護的政策などが認められた。中国は人件費の安さを売りに世界の生産工場として外貨を稼ぎまくった。

西側は経済的成長を遂げ、豊かになれば必然的に中国は「民主化」すると期待して、中国の経済発展に協力してきた。
この西側の目論見はみごとに外れ、中国は民主化どころか、人権弁護士を片っ端から監獄にぶち込み、民主活動家を引っ捕らえ、劉暁波のノーベル平和賞に悪態をついて彼を「病院」なる場所に閉じこめ、ガンの悪化を放置し、死なせた。

香港の自治は踏みにじられ、人々は自由な言論を封じ込められ、ネットは監視され、少数民族は血の弾圧を受け、密告が奨励され、まともな発言をする政治家は冤罪をでっち上げて失脚させられ、有望な学者の言論活動を封殺し、政府発言を繰り返していた著名教授らを失職に追い込んだ。
西側の期待は無惨にも打ち砕かれた。

 『発展途上国』という状況はとうに克服したにもかかわらず国有企業への補助金、輸出補助政策を継続し、太陽光パネル、風力発電などを発展させ、いまでは米国と並ぶ5G開発、AI、宇宙航空産業に挑み、外貨準備世界一というスティタスを獲得し、稼いだカネの大半を軍事費に投入してきた。

 十五年という起源が切れたので、過去三年にわたり西側は中国に対し、「発展途上国」のスティタスを返上せよと迫ったが、世界第二位の経済大国は、「いまも世界一の発展途上国であり、WTOルールに従う」などと開き直った。

 ブッシュ、クリントン、ブッシュ・ジュニア、オバマと続いた「中国幻想」から醒めて、トランプは対中国政策を百八十度変更した。
対中外交の転換におそらく日本は追随するだろうが、EUはすんなりと素直に米国に従わない。
まだ暫し西側の絆の緩さを標的に中国のロビィ活動は続行しそうである。
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 象徴天皇のあり方を模索され、敢えて超法規的行動をとられた今上陛下
  「象徴天皇」はGHQの押しつけとは言えない

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小堀桂一郎『象徴天皇考』(明成社)
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 ことしが皇紀二千六百七十九年であることを知らない人々が新元号の号外を奪い合った。結婚式を耶蘇教の教会であげ、初参りは神社へ行き、葬儀は仏教で行う人々だから、べつに不思議な現象とは言えない。
 神武天皇の肇国以来の歴代天皇の諡名を諳んずる日本人はいまや皆無に近いのに、正月の一般参賀は二十万人近い国民が列に並んで数時間も待って天皇一家にご挨拶をした。
 新元号が「令和」と決まると、突如、太宰府に観光客が押し寄せた。太宰府天満宮は遣唐使廃止を建言した菅原道真を祀る神社である。

 太宰府長官だった大友旅人が梅花の宴を開いて詠んだ「初春令月、気淑風和」から万葉の学者によって「令和」が選ばれた由であり、従来の観光客は天満宮しか参観しなかったのに、太宰府跡地も訪れるという新現象が見られ、地元はPRに力を入れるというニュースに接した。
 つい先だっての海外旅行に評者(宮崎)が携行したのは林房雄『神武天皇実在論』と『天皇の起源』、そして産経取材チームの『神武天皇は実在した』だった。
前者弐冊は半世紀を経ての再読、いや三度読みかえし、ようやく内容を咀嚼できた。後者も二回読んだのだが、神武東征という神話の残る地名や伝説を元に、観光ガイドブックにはまったく掲載のない、伝承されたゆかりの場所を探検隊のようにゆくので、地図を横に置かなければならない。

 さて小堀先生の本書を論じる前に、読書事情を書いたのも、日本国憲法が謳う「象徴天皇」と前掲の書とに密接な繋がりがあるからだ。
 昭和天皇までの論壇における天皇論の近代的論理には納得できない点が多い。
 神武天皇以前の自然崇拝、原始的浸透の成り立ち、神武天皇の大和朝廷確立と以後の天皇統治の性格、さらには武力を用いた雄略天皇、天皇親政を復活した後醍醐天皇との対比、くわえて令和改元の象徴天皇との差違は説明の必要もないほどに明確である。

 しかし、カムヤマトイワレビコノミコトが、なぜ後世に神武天皇と諡されたのか。ワカタケルはなにゆえに雄略天皇と諡されたのか。
武断政治の象徴から奈良、平安を経て源平では征夷大将軍が天下のまつりごとを動かしてきた。武士にとって帝は権威であり、祭祀王であった。つまりその時代から天皇は国民統合の「象徴」であり、戦乱から江戸時代の安泰期ともなると天皇は庶民からは忘れられた存在となり、井伊直弼の日米修好条約の「無勅許」によって目覚めた維新の志士らが、突如天皇親政を思い出したのだ。
そして西郷も大久保も天皇を玉(ぎゃく)の隠語で呼び、政治利用が維新回天のダイナミズムを産みだした。

 明治天皇は軍服姿、昭和天皇も大東亜戦争の時代には軍服に白馬、まさにヤマトタケルやスサノオか、いや神武東征、そして雄略天皇である。
仁徳天皇のような悠久の平和のイメージが時代によっては激変する。今上陛下はまさに平和ニッポンを象徴される。
 新渡戸稲造、岡倉天心が、本書で彗星の如く蘇り、彼らの天皇論を思い出させる。
 つまり新渡戸稲造の『武士道』は明治三十二年(1899)に英語で書かれ、世界中に翻訳された。邦訳がでたのは英訳から十年後だった。
このなかに「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者でもなく、地上において肉身を有ち給う天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したまう」として事実上の天皇象徴論を述べている。
 岡倉天心の『日本の覚醒』も明治三十七年に英語で刊行され、江戸時代の天皇認識に触れて、「帝は彼ら<徳川幕府>にとってはシンボリズムであった」と叙した。
すでに明治時代から、日本を代表した論客らが、天皇象徴論を唱えていたのである。

本書のもう一つの重大箇所は天皇陛下の靖国神社御親拝に関しての考察である。
 小堀氏はこう主張される。
 御譲位について陛下自らの御表明は「陛下の個人としてのお考えを法制の上で実現するために、憲法の規定とは離れた次元で、つまり超法規的措置の執行を求めて先ず直接に国民の理解を得ようとされた行動」だった。

 小堀氏はこう続けられる。
「憲法尊重は所謂建前であって。現に憲法二十条三項に謂ふ国の宗教教育、宗教活動の禁止の条項は宗教学校への国費の補助といふ形で空文化している」(中略)「米軍占領中の神道指令の横暴と同様な酷薄な政教分離原則の要求」は、国法が政治権力の下位に立つという「行政の方便」でしかない。
すなわち現行憲法は敗戦国ニッポンが、勝った「米国への臣従の誓い」のたぐいであり、ときに超法規で臨むべきときがある。
したがって小堀氏は、下記のようにまとめられる。
「大東亜戦争での戦没者一般への慰霊も<象徴としての>お務めに一環であるとするならば、それは戦没者達の『魄』の眠る戦跡地に向けてであるよりも、彼らの『魂』が帰り来て祀りを受けている靖国神社は詣でてこそ十全に果たされるはずだ、という霊の論理とうふものがある。天皇の靖国神社御親拝は、国家が英霊に対して果たすべき、それこそ是亦言葉の本来の意味での象徴的な慰霊鎮魂の義理である」
 感銘深い余韻を味わいながら本書を閉じた。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1877回】              
 ――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(3)
竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

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 上海で知られた料理屋の小有天で席に着くと、「矢繼早に料理が運ばれて來た」。食事中というのに、店の外から物売りが次々に闖入して来る。「不要!と言はれて素直に出ては行くが、でないと、ぢツと籠を提げたまゝ何時までだつて吾々の食事を頭越しに凝視めてゐる。これもまた支那だ」。

 振り返ってみれば半世紀ほど昔の香港で留学生活を送っていた当時、いつも昼飯は場末の労働者向けの食堂で超低価格で済ませたが、ごった返す店内で客の間を縫うように物売りが歩いていたっけ。彼らは店側の許可を取ったわけでもなさそうだし、だからといって店側が彼らを外に追い出そうとするわけでもない。

 客は食事しながら買い物ができる。良い買い物ができれば、明日もまた客は食事にやってくる。店内に群れ集う食事客を相手にすればいいのだから、売り手は買い手を探して歩きまわる無駄をしなくていい――店側も食事客も物売りも、誰も損はしない。互利互恵であり、今風の表現に従うなら双◎(ウイン・ウイン)の関係というヤツである。

 不要といえば素直に立ち去るが、売り手はひっきりなしにやって来て食事中のこちらの鼻先に商品を突きつけるのだから、あまり気分のいいものではない。だが先ずは腹を満たすことに専心すればこそ、やがて彼らの騒がしい掛け声も一種の香辛料に思えてくるから不思議だ。
「時と所」を超え、料理屋と客と物売りの関係は綿々と続いていたのである。

 「どうせ支那は無政府状態同樣の國だから――こんな國が吾々の直ぐ隣國だとは想像もつかないが」、「先づこんな事に平氣になれるのが支那通の第一期だらう。つまり邊りには無關心で私慾の滿足を第一義と心得ること!」との竹内に従うなら、香港での留学生活の中で、どうやら「支那通の第一期」を通過していたということか。

 竹内の上海に戻る。
やはり「人生は錢!錢!錢!だ。公私混淆で千金一攫することもまた一法なる哉だ。それに精力を傾倒することだ。(中略)如何にして錢を獲るかを考へることだ。斯く支那は?へる」。

 ここで竹内は支那人の振る舞いについて改めて考える。
「支那人は好事的なことは萬古不易の傾動だが、慾慾複雜なことが好きだ。淫書だけかと思つてゐると料理もその筆法だ」。「兎も角支那人は仕事に念を入れる民族だ。それも義務ではいけない。道樂でなくてはいけない。藝術家だ。だが常に血腥い。同じ極刑なら一と思ひに殺してやればいゝものを、態々穹窿形の橋上に連れ出して、環衆の前で、如何にその首が一刀のもとに落斬されるかを樂しむ。どんぶり水中に落ちたのを見て樂しむ。胸板に墨で的標を描いて銃殺する。//