--------
↓全文読めない等の場合はバックナンバーでご覧下さい↓
http://melma.com/backnumber_45206/
--------
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019)4月1日(月曜日)
通巻第6033号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
世界のGDPの320%が負債。大暴落の引き金はどうみても中国
世界金融恐慌に備えは出来ていますか?
****************************************
世界のGDPの3・2倍の金額は債務である。これはもはや制御不能(NOT CONTROLABILITY)である。
1997年のアジア通貨危機は企業の負債超過が引き金を引いた。2008年のリーマンショックは怪しげなサブプライム・ローンだった。しかも高利に釣られ、面妖なファンドを買わされていた中での多数は日本だった。
ジャンク債を巧妙に織り込んだ「金融商品」がウォール街の錚々たる証券会社から売られたので、うっかり騙されたのだ。
2018年第四・四半期の統計で世界の負債総額は244兆2000億ドル(日本に換算すると2京6862兆円)。
この内訳は各国の政府負債が65・2兆ドル、非金融部門の企業負債が72・9兆、銀行業界(証券、保険を含む)が60兆ドル、そして家計の債務は46・1兆ドル。この金額は2008年のリーマンショックから75%も増えている。つまり世界経済は負債を増やすことで成り立ち、米国の赤字国債だけでも22兆ドルに迫る。
中国の起業の負債はGDPの160%、ちなみに1988年の日本の企業負債は132%だった。中国の家計の負債はGDPの51%もあって、これは住宅ローン残高が主である。
小誌がたびたび指摘したように中国はドル建ての社債に「チャイナ・プレミアム」を上乗せされており、高利で売りまくっている。償還となると、借り換えの社債をまた起債し、要するに手形のジャンプだから負債は水ぶくれのように膨張している。
問題は日本企業が借金を嫌い、むしろ内部留保を増やしているため、銀行は貸し金の相手が不在。内部留保は466兆円ともいわれるが、金利の高いファンドで運用しているところが多い。
だから日本の財務内容も企業業績も健全であっても、中国発金融恐慌が来ると直撃の津波を被ることになる。
次の金融恐慌は時間の問題であり、のんびり中国経済は大丈夫と言っている場合ではないが、すくなくともあなたは備えが出来ていますか?
賢者は危機に備えるというが、日本のメディア、官庁、金融界を見渡しも、のんびりしていますねぇ。
○△□☆み◎○△□や☆◎○△ざ□☆◎○き◎△□○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲
明日(4月2日)発売!
宮崎正弘『余命半年の中国・韓国経済』(ビジネス社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
(定価1542円。予約受付中)
https://www.amazon.co.jp/dp/4828420924/
――中国市場から制御不能の金融危機が始まる。3700兆円の債務は爆発寸前!
――中国と韓国に投資する日本企業は正気か!?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
トランプは「救世主」、反理性が福音派の真髄であり
メキシコとの壁は三島の「文化防衛論」、ライアンは徳川慶喜だ
♪
吉川圭一『救世主トランプ』(近代消防社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@
国際政治学者であれば、本書に頻出するような「域外のボキャブラリー」を使うことをおそらく躊躇するだろう。
なにしろトランプは「救世主」であり、優柔不断のライアン(共和党前院内総務)のジグザグぶり、その迷走ぶりたるや、最終決断をできない指導者だった徳川慶喜か近衛文麿に似ていると、一見奇想天外な語彙で、事態を比喩するのだ。
救世主の意味はふたつあって、トランプの場合は仕切り直し、ルールの卓袱台返しと取る。シリア内戦はしたがってウエストファリア条約体制の崩壊とみるのも、ユニークな比喩である。
現在の複雑怪奇な米国の政治情勢は、従来の共和党vs民主党という二大政党を基軸としての分析ではもはや追いつけない。なにしろトランプの強引に進めるメキシコとの壁建設は三島由紀夫の『文化防衛論』に匹敵するという。
こうした氏の独特な分析の極みが、次の情勢判断ではないか。
「トランプ政権をささえる人々は、不死身の男達の用である。この調子ならトランプの再選は難しくないように思う。政治資金も選挙テクニックも問題はなく、それ以上にすぐれた真の意味での智恵の持ち主である」。
その背景にある思想とは、AI文明が行き詰まり、人類の滅亡が語られるときに偽の理性を克服する真の理性が必要とされる時代になる。それがトランプの当選に象徴される政治の地殻変動だったと分析する。
トランプは政権発足当時、保守基盤というより福音派が支持母体であり、ウォール街は反トランプだった。
また安全保障政策立案の中枢部はフリン、マクマスター、そしてジョン・ケリー首席補佐官とマティス国防長官という現実主義の砦という観があった。
トランプはリアリストだが、じつは反理性という真の理性を求める政治を追求している。従って、政権内部の人事刷新を、外交政策遂行より前にやってのけたのだ。
時間をかけて、トランプは安全保障担当大統領補佐官をジョン・ボルトンとし、つぎに左翼に妥協的だったセッションズ司法長官を、バアと交替させ、選挙対策を仕切ったマニフォートらを放擲し、忠誠派で帷幄を固め、ティラーソン国務を更迭してポンペオに交替させるなど、これこそは「ワシントンの内戦」であり、影の主役にスティーブ・バノンの影が濃厚にあるとする。
仕上げが中国融和派の駆逐、クドロー、ナバロの重視、交渉役にライトハイザーと、つまり制度的には財務、商務両長官の立場をこえて強力な反中国路線に舵取りをしているのは、トランプの思想に近いかれらの活躍にあると見ている。
ともかく日本のメディアのアメリカ分析はあまりにも皮相であるばかりか、リベラルに偏りすぎて、ワシントンで本当は何が起きているかをしる報道機関とはとても言えず(そもそも日本のワシントン特派員は不勉強だ)、内部情報を丹念に拾って解析をすすめてきた本書は、日本人がまるで知らない、深層のアメリカの一面をえぐり出した。
○△□☆◎○△□☆◎○△□☆◎△□○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆
★読者の声 ★READERS‘ OPINIONS ★どくしゃのこえ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声1)ロンドン『タイムズ』日曜版(3月31日)は、メイ首相の退陣が間近、政権崩壊は秒読みと伝えています。
となると、英国政治、ブレクジットで崩れ去るように思えてなりません。
(JJセブン)
(宮崎正弘のコメント)しょせん、メイ首相は党内バランスが産んだリリーフ投手、政治力は最初から期待されておらず、起死回生の可能性は『英国のトランプ』こと、ボリス・ジョンソンの本格登場でしょう。
しかし総選挙次第で、労働党がカムバックしそうですから、政治的混迷と混沌は更にふかまるでしょうね。
♪
(読者の声2) 御新作の『明智光秀 五百年の孤独』、よくよく吟味しながら、時間をかけて読み終えました。まさに五百年の長きにわたり、光秀が誤解されていたこと、様様な確度からの傍証がなされており、納得が行きます。
日頃、中国経済の評論が多い宮崎さんが、じつは歴史、哲学、文学評論のほうが本業ということを知る人は少ないと思いますが、三島由紀夫三部作を読んできた読者としては、吉田松陰、西郷隆盛に引き続いての明智評価にさしたる違和感もなく読みました。
一貫して流れるのは愛国者の信念であり、松陰も隆盛も、そして光秀も、三島由紀夫もそうなのでしょう。
日本精神の正気(せいき)が取り憑いて行動を起こしたという文脈において、これら日本史の英雄達には、その精神が共通しているのです。そのことを再確認しつつ感銘深く読み終えたところです。
(KY生、茨城)
♪
(読者の声3) 宮崎先生の新刊『明智光秀 五百年の孤独』(徳間書店)を拝読、まさに眼から鱗の連続でした。
これまで歴史家や文献研究者が完全に見落としてきたのが「愛宕百韻」にあり、「ときはいま天の下知る五月かな」に始める、あの連句を分析すれば、これはまさに明智の義挙を送り出す決起集会ではないかというご指摘。嗚呼、そういうことだったのか、時代の空気は明智の行動を予知していたのか、と膝を打ったことでした。
歴史の謎がひとつ解けた気になりました。有り難う御座いました。
(DF生、高崎)
♪
(読者の声4) 新元号の発表と御代替わりがいよいよ秒読みの段階になる中で、日本国解体の動きも一層露骨になってきました。その一つが共産党の元号廃止論であり、元号の憲法違反提訴があります。これに対して、竹田恒泰氏が、即座に日本国憲法を用いて法理論的に論破し、その愚を揶揄していました。
竹田氏は、それと関連して、「君が代」の解説で、「君が代」と「民が世」とは同一であると解説して、国民主権をもって天皇を否定しようとすることの愚をこき下ろして、法理論からだけでなく、国家論の本質からも見事に批判していました。
これが、どうして国家の本質論から見事な批判なのかを、前回の投稿で紹介したヘーゲルの全体‐部分相関論から、考察していきたいと思います。
ヘーゲルの全体‐部分相関論では、全体と部分とは、部分がなければ全体は存在せず、反対に全体がなければ部分も存在できないという形で、、互いに切っても切り離せない相互規定関係にあるにもかかわらず、それぞれが別々に独立しても存在しているというとても複雑な関係にあります。
つまり部分がいくら集まっても決して全体にはなれない、ということです。そしてその中で、特に注意しなければならない重要なポイントは、部分は、全体との否定的媒介の関係を反省しないと、その部分は自滅の運命にある、つまり自己崩壊するという点です。
この全体と部分との相関関係の一つの具体的形態が、ヘーゲルの国家論の構造です。
その国家論では、国家全体すなわち国家そのものは、客観精神として存在し、その実存がすなわち君主だということです。
つまりわれわれは実在する君主に、国家そのものを観なければならない、ということです。これに対して、直接性としての部分は、国民であり統轄機関である政府など、諸々の国家の現象形態を指します。
このような本質的国家においては、憲法は客観精神の具体的な形となる国家理念を表わすものとなります。//

