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□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2019年2月26日 第1690号 )

            
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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西村眞悟の時事通信


御譲位は、真の日本、真の日本人を取り戻す恩寵
平成31年2月21日(木)

第百二十五代の今上陛下は、平成三十一年四月三十日、譲位され、翌五月一日、皇太子殿下が践祚されて万世一系の皇位を践まれ第百二十六代天皇となられる。
この流れには、一瞬の隙もなく、今上陛下の譲位は、即ち新帝の践祚即ち即位である。
これが、皇統連綿、万世一系の皇位継承だ。
これを律しているものは、天照大神の「天壌無窮の神勅」と、この神勅を実践して万世一系現在に至る長い歴史のなかで生まれてきた「皇室の慣習」のみである。

現在の我らは、「法というもの」は、実定法つまり国会などで議決したことを「紙に書いた文書」だけであると思いがちだが、これは法というものが存在する形態の内のごく一部の「形式的な法」に過ぎず、幽遠の歴史と伝統のなかに慣例として存在する紙に書かれていない法が「実質的な法」なのだ。
そして、我が国こそ、遙か彼方から続く歴史と伝統のなかにある「実質的な法」によって律せられた国であり、その中枢にあるものが、我が国を日本たらしめている「万世一系の天皇」である。
この我が国の姿を、フランスの社会人類学者クロード・レビィ=ストロースが、次のように表現している。

「われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、そこでは誰もが歴史と神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にある。」

また、先の伊勢神宮の式年遷宮を見たフランス人オリビィエ・ジェルマントマは、フィガロ紙に「伊勢の聖夜」と題する次のような一文を記している。

「闇と沈黙のなか、女神アマテラスを聖櫃に奉じ、これに生絹を掛けて神官の群れが粛々と運んでいく。
生きとし生けるものの起源そのもののシンボルが、いま、眼前を通り過ぎてゆく。・・・東日本大震災の、抑えがたき自然の猛威にさらされて、どこから己を取り戻すか、日本人が自覚していることの何よりの証拠である。
それは森羅万象の諸力を崇敬するという伝統の維持であり、そこに日本的ジェニー(天才)はあるのだ。」

この、彼ら西洋人が指摘している我が国おける「神話と歴史の間の密接な絆」そして「生きとし生けるもののシンボル」とは何か。
それは、天照大神であり、天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいて誕生した我が国の天皇が、万世一系、皇統連綿、現在に至っているということである。
その「神勅」は次の通り。

豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、是吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。
宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治らせ。
行矣(さきくませ)、宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と倶(とも)に窮(きわま)り無かるべし。

これが吉田松陰が斬首される十六日前に、友である堀克之助への手紙に、
「神勅相違なければ日本未だ滅びず。
日本未だ滅びざれば、正気重ねて発生の時は必ずある也。
只今の時勢に頓着するは神勅を疑わふの罪軽からざる也」
と書き送った神洲不滅の確信の根拠としての「天壌無窮の神勅」だ。
また、三島由紀夫は
「日本に命にかえても守らねばならないものが二つある。
それは、は天壌無窮の神勅と三種の神器である。」
と言った。
これらの吉田松陰や三島由紀夫の言葉は、日本を日本たらしめている中枢のもの、即ち我が国の「国体の淵源」を指摘したものだ。

そこで、まず、我が「国体の淵源」としての神話から発する歴史のなかで生まれた慣例に基づいて行われた昭和天皇の「御践祚」の実際を、「昭和天皇実録」と東宮侍従としてそれを見届けた木下道雄氏の「宮中見聞録」から記しておきたい。

大正十五年十二月、病が重くなられた大正天皇は、神奈川県葉山御用邸で御静養されていたが、同月中旬になって御容態が憂慮される状態となられ、東宮(皇太子)殿下は急いで葉山に行かれて仮泊された。
以下、時系列に従って記する。
なお、当時の皇室典範は、現在のように国会で定める「法律」ではなく、「皇室の家訓」であり、その十条に「天皇崩ズルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定められている。

十二月二十五日午前一時二十五分、大正天皇崩御、御年四十八歳、御在位十五年。
皇太子裕仁親王、皇室典範第十条により直ちに皇位を践ませられる。

同日午前二時四十分、内大臣、総理大臣、連署の告示をもって崩御を公表。

同日午前三時十五分、葉山御用邸謁見所内にて、新帝が三種の神器を承ける為の「剣璽渡御の儀」が行われる。
この儀は、元帥大勲位伯爵東郷平八郎、大勲位公爵西園寺公望、内閣総理大臣、枢密院議長ら顕官の立ち会いの下、牧野内大臣が、先帝の二人の侍従に神剣と神璽を捧持させて、新帝の前にある卓の上にこれを安置して、新帝に、三種の神器を、謹んでお承け願う儀式である。

そして、これと同時刻に、東京の皇居の賢所では、掌典長九条直実が賢所の神前即ち天照大神に、御代の移り替わりをご報告した。

なお三種の神器は、天孫降臨の時に天照大神から皇孫に授けられた神鏡と神璽(勾玉)、そして須佐之男命が退治した八岐大蛇の尾から出てきた神剣であるが、神剣と神璽は陛下の一泊以上のご旅行の時は、必ず侍従が捧持して行在所に安置するのが当時の風習で、葉山でも陛下の御寝所近くに安置されていた。
神鏡は皇居の賢所に奉安されていた。

同日午前三時三十分、元号建定の為の緊急閣議。
閣議決定の後、枢密院にて、元号案可決。

同日午前九時四十五分、新帝、元号御裁可。

同日十時二十分、新帝、次の詔書に御署名。詔書は直ちに官報号外にて公布。

朕皇祖皇宗の威霊に頼り大統を承け万機を総ふ茲に定制に遵ひ元号を建て大正十五年十二月二十五日以後を改めて昭和元年と為す。 
御名御璽 大正十五年十二月二十五日

これが現在の「日本国憲法」以前の皇室の歴史と慣例に基づいて行われた践祚、皇位継承の姿である。
つまり、大正天皇の崩御と昭和天皇の践祚、剣璽渡御の儀(三種の神器の承継)と天照大神への報告という神事であり、新しい御代の始まりを告げる新元号の公布と不可分である。
もちろん、これは、我が国の、「神話と歴史の密接な絆」を基にして記された大日本帝国憲法第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」、同第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」を体現するものだ。

その上で、平成三十一年の今上陛下の御譲位と新帝の践祚の姿は、この大正十五年の践祚から如何に変容されるのかを見つめねばならない。
そうすれば、その変容をもたらした「日本国憲法」とは何か?
という戦後の根本問題、即ち戦後の根本的疑念に帰着することになる。
ここに、「日本を取り戻す」つまり「日本の再興」という我が国家の存亡をかけた課題があるのだ。
斯くして、我らは、今上陛下の御譲位を、「国家の再興」に結びつけねばならないのである。

それは、即ち、まず第一に、「日本国憲法」第一条の「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」というこの規定、これは、そもそも真実なのか、ウソなのかと問うことだ。

この第一条には、ウソが書かれている。
これが、答えであろう。
天皇の地位は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいているのである。
これが日本と日本人の真実だ。
日本人とは、この真実を公言する者である。

そもそも、我が国が大東亜戦争の降伏文書に調印した昭和二十年九月二日から日本国憲法が起案され施行される同二十二年五月三日までの一年八か月の間に、天皇を誰にするかどうかの「国民投票」でもしたのか?!

重ねて言う。
「日本国憲法」第一条はウソだ。
第一、GHQ(占領軍総司令部、以下同じ)のトップであるD・マッカーサー元帥自身が、昭和二十年九月二日、戦艦ミズーリ号に「大日本帝国天皇陛下及び日本政府の命によりかつその名において」来訪した外務大臣重光葵を受け入れて降伏文書調印式に臨み、さらに、同月二十七日に、天皇陛下の訪問を受けて謁を賜り、退出される陛下を見送るとき、彼は天皇陛下を「ユアー・マジェスティー」と呼んでいたではないか。

要するに、昭和二十二年五月三日に「日本国憲法」が施行されたから、天皇が国民の総意で誕生したのではないのだ。
繰り返すが、我が国の天皇は、天照大神の「天壌無窮の神勅」によって天皇となり、以後万世一系現在に至るのだ。
「日本国憲法」は、日本を占領統治していたGHQの統治方針に基づいて「ウソ」を書いたものであり、我が国の「神話と歴史の密接な絆」を前提にして書かれた大日本帝国憲法とは全く違うものであることを確認しなければならない。
全く違うとは、「日本国憲法」は、大日本帝国憲法と同じ日本の「憲法典」ではないということだ。

よって、ここにおいて、我らは、この度の今上陛下の御譲位に際して、如何なる課題に遭遇しているのか、その正体を見極めねばならない。
それは、この御譲位の課程に、壮大な「文明の衝突」ともいうべき「GHQの日本占領統治方針」と「日本の歴史と伝統」の相剋が浮き彫りになっているということである。

この、「GHQの日本占領統治方針」とは前記のクロード・レビィ=ストロースが「日本の最大の魅力の一つ」と言った「日本の歴史と伝統」を奪い、さらに、戦力を奪うことによる「日本国家の無能力化」だ。

従って、この度の御譲位において、七十五年前の大東亜戦争における火器を用いた戦闘が終わった遙か後の現在においても続いている、思想を用いた攻勢によって我が国の「歴史と伝統」を消去しようとする勢力に対して我が国の独自性を如何に守り抜くのかという精神世界における重大課題が浮かび上がっている。
これ、まことに意義ある戦いが鮮明になっているというべきだ。
即ち、今上陛下の御譲位に、国家再興の切っ掛けが見えてきたと捉えるべきだ。
以下、この観点から論を進めたい。

まず第一に、この度の御譲位において浮き彫りになった敵味方の識別、つまり、戦後の我が国における「文明の衝突」の当事者の識別が必要だ。
即ち、「GHQの日本占領統治方針」を堅持する勢力は誰であるか?
鮮明になったその当事者は、もはやGHQではなく、GHQの下僕であり続けようとする日本国政府そのものである。
このことは、安倍内閣にして、今上陛下御自ら鮮明にされた「譲位の御意思」に、不遜にも頑なに目を閉ざし、「生前退位」としていることから明らかであろう。

「生前退位」なる言葉は、我が国の万世一系の皇位継承の歴史の中で、未だかつて使われたことはない。
それ故、皇后陛下は、平成二十八年十月二十日の御誕生日における宮内庁を通じて国民に伝えられたお言葉で、次のように言われたのだ。//