明治時代以降、今日に至るまで吉田松陰の伝記は数多く出版されてきました。
山岡荘八の『吉田松陰』などはよく知られていますが、初めての伝記は外国人の手で書かれたのはご存じでしょうか?
致知出版社の人間力メルマガ 2019.2.4
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占部 賢志(中村学園大学教授)
※『致知』2019年3月号【最新号】
※連載「日本の教育を取り戻す」P126
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【占部〉
あなた方は松陰の伝記を読んだことがありますか。
【教師A】
山岡荘八の『吉田松陰』を駆け足で読んだことはあります。
【教師B】
私はまだ読んだことがありません。
【占部】
明治以来現在まで数多くの伝記が出ていますから、読むに足りないものも結構あります。
じつは松陰の伝記でいち早く世に出たのは、日本人ではなく、外国人が書いた松陰伝なんです。
【教師C】
いつ頃、誰が書いたのですか。
【占部】
『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』で有名なスティーブンスンが1880年に書いたんです。
1882年にイギリスで出版された随筆集に収録されています。
【教師C】
あのスティーブンスンがですか。はじめて聞きました。
【教師B】
どんなきっかけで松陰について知ったんでしょうか。
【占部】
松陰の門下生の一人がロンドンでスティーブンスンに話して聞かせたのがきっかけです。
彼の名は正木退蔵(まさき・たいぞう)と言います。
松下村塾で松陰の教えを受けたのちイギリスに留学し、ロンドン大学ユニバーシティーカレッジで化学を学んでいます。
帰国後は東京職工学校初代校長を務め、理系の教育者として活躍しました。
この学校が現在の東京工業大学です。
【教師B】
松陰の教え子にそんな人物がいたんですね。
【占部】
その彼が2度目のイギリス滞在中の1878年、スティーヴンスンと面識を得る。
その時、スティーブンスンは正木から師の松陰の話を聞いて感動したらしい。
こうして、『Yoshida-Torajiro』と題する伝記を書くのです。
(中略)
【教師B】
教育者としての松陰について、スティーブンスンはどう見ていたのでしょうか。
【占部】
こんなことを取り上げています。
ペリーが下田に来航した時、門弟の金子重之輔とともに海外渡航を企て、米艦に乗り込もうとして失敗し投獄されたことがありますね。
金子は商人の家に生まれ、のちに足軽の養子になった若者です。
ですから、松陰に比べて身分はずいぶん低い。
入牢させられた獄も士分の者が入る野山獄ではなく、士分以外の者を対象とする岩倉獄でした。
そんなわけで環境は劣悪で、金子は獄中で病死します。
この二人の師弟関係を正木から聞いたスティーブンスンはよほど心を動かされたようです。
それは、松陰の持つ「感化力」です。
教育というより、そう言った方がぴったりします。
【教師B】
なるほど、感化力ですか。
【占部】
ええ。高い教養がある者だけではない。
金子のような若者の心をも奮い立たせる力です。
スティーブンスンはそこに強い魅力を覚えたのです。
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【教師C】
いつ頃、誰が書いたのですか。
【占部】
『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』で有名なスティーブンスンが1880年に書いたんです。
1882年にイギリスで出版された随筆集に収録されています。
【教師C】
あのスティーブンスンがですか。はじめて聞きました。
【教師B】
どんなきっかけで松陰について知ったんでしょうか。
【占部】
松陰の門下生の一人がロンドンでスティーブンスンに話して聞かせたのがきっかけです。
彼の名は正木退蔵(まさき・たいぞう)と言います。
松下村塾で松陰の教えを受けたのちイギリスに留学し、ロンドン大学ユニバーシティーカレッジで化学を学んでいます。
帰国後は東京職工学校初代校長を務め、理系の教育者として活躍しました。
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松陰の教え子にそんな人物がいたんですね。
【占部】
その彼が2度目のイギリス滞在中の1878年、スティーヴンスンと面識を得る。
その時、スティーブンスンは正木から師の松陰の話を聞いて感動したらしい。
こうして、『Yoshida-Torajiro』と題する伝記を書くのです。
(中略)
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教育者としての松陰について、スティーブンスンはどう見ていたのでしょうか。
【占部】
こんなことを取り上げています。
ペリーが下田に来航した時、門弟の金子重之輔とともに海外渡航を企て、米艦に乗り込もうとして失敗し投獄されたことがありますね。
金子は商人の家に生まれ、のちに足軽の養子になった若者です。
ですから、松陰に比べて身分はずいぶん低い。
入牢させられた獄も士分の者が入る野山獄ではなく、士分以外の者を対象とする岩倉獄でした。
そんなわけで環境は劣悪で、金子は獄中で病死します。
この二人の師弟関係を正木から聞いたスティーブンスンはよほど心を動かされたようです。
それは、松陰の持つ「感化力」です。
教育というより、そう言った方がぴったりします。
【教師B】
なるほど、感化力ですか。
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