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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成31年(2019年)2月3日(日曜日)
通巻第5978号 (節分)
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スリランカ、またまた中国に10億ドルの融資を要請
コロンボからキャンディへの高速道路建設を再開させる
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スリランカの対外債務は531億ドル(2018年九月末時点)。2019年に償還期限のくる負債は49億ドル。さらに2020年までにあと150億ドル。ま、パキスタンと同様にIMF管理は時間の問題だと騒がれている。
99年の租借を飲まされ、ハンバントタ港を中国に明け渡す無惨な結果を招いたのはラジャパクサ前大統領の、強気の読みと中国との親密なコネクションからだったが、結局は返済できず「借金の罠」に落ちた。番狂わせで彼は落選し、無名のシリナセがスリランカ大統領となった。
コロンボからスリランカの名勝地キャンディに至るハイウエイは途中悪路、崖や河沿いを縫うように、車で四時間近くかかる。鉄道もあるが、一日二本程度、しかも外国人観光客でほぼ満員だ。この区間に、ハイウエイを通すのはスリランカの政治家なら誰もが魅力と思うだろうし、票に繋がるプロジェクトと考えられた。ところが、資金不足に陥り、現場労働者の日当がはらえず、あちこちで工事が中断した状況になっていた。
そかし、そのプロジェクトの再開はなしより、喫緊の課題は償還期限のきた負債処理で、債務不履行に陥りそうな条項はパキスタンと同じ。ここで救世主として登場するのがインドという役割も同じである。
インドはモルディブへ14億ドルの信用供与に踏み切った後、こんどはスリランカへも同額の信用供与を、通貨スワップを通して行い、工事が中断している高速道路工事に廻す手筈を整えた。
なにしろインドは中国の浸透を快しとはしていないので、無理してでもスリランカを救済し続けるのだ。
□◎□○み△◎□◇や○◎○□ざ□◎□○き○◎○□
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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「最後の皇帝」=溥儀の虚実、異常な性格破綻を抉り出した労作
なぜ、このような最低レベルの皇帝に歴史は振り回されたのか
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加藤康男『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)
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本書は平成二十六年に刊行された『禁城の虜』を大幅に加筆、修正した新書版である。発売と同時にベストセラー入りしている。
最後の皇帝となった溥儀の性格異常的な愛欲、それも偏執的な性欲、そして迎えた悲惨な結末。映画『ラストエンペラー』はかなりの綺麗事をフィルムにしたが、真実とはかけ離れている。
家庭教師だった英国人が書いた『紫禁城の黄昏』も、大事な部分を、岩波の翻訳書は割愛していた。
溥儀は異様な性欲のなぜ持つように至ったのか。
溥儀は二歳と六ヶ月で皇帝の座について、幼年期から女官に性行為を教え込まれ、十代で宦官との同性愛、そして宮廷内で宦官達を虐待する悪質な性癖を身につけた。
しかも十六歳で本妻と妾を同時に娶り、後に正妻の産んだ子を「不義密通の疑いがある」として「捨てよ」と命じ、正妻を幽閉した。
あれほど日本に依存し、紫禁城を追われてからは天津の日本租界に逃げ延び、二十八歳で満州国皇帝となった。ところが、終戦後はソ連に抑留された。
このあたりの顛末が明瞭に語られたことは少なかった。加藤氏は克明に追跡調査をおこない、通化事件の舞台ともなった場所から、溥儀は日本軍の用意した飛行機で奉天へ逃げ、そこから日本へ逃亡する予定だった。ところが、偶然進駐してきたソ連軍に発見され拘束されてしまったのだ。
ソ連を転々としていたのも束の間、東京裁判では、のこのことソ連側証人として市ヶ谷の軍事裁判法廷に出てきた。でたらめな証言をスターリンの命じるままに行い、さらにそのあとは中国に送還されて撫順刑務所で洗脳された。
評者(宮崎)は嘗て通化の現場や、遼寧省の炭鉱町に残る撫順刑務所跡では溥儀の拘束されていた部屋を見学したことがある。
したがってこのあたりの記述と撫順刑務所の情景とが重なった。
やがて釈放されると、溥儀はこんどは毛沢東の飼い犬の如くに、中国共産党の宣伝材料に酷使された。
「数奇の運命」といえば、なにやら悲劇の主人公のようだが、自立性を完全に欠如させた異常人格というより性格破綻者。そのうえ比類なき権力欲、物欲、我欲、性欲、名誉欲、自己保身の権化。結局、日本はこの程度の人物に振り回されるしかなかったのか。
本書は溥儀の虚実を語り、異常な性格破綻者を抉り出した労作であり、読後感といえば、なぜ、このような最低レベルの皇帝に歴史は振り回されたのかという歴史のアイロニー、というより歴史の悲しみであった。
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1852回】
――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(10)
河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)
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河東は長江を望む甘露寺の眺望に満足すると共に、「音もしなければ、動くとも見えない、海のうねりも池の漣も立たない、このノッペラボーな(長江の)水が、人間の力も機械の働きも、容易くはなし得ない、沈黙の活動をしてゐることが、そこに測るべからざる力強さの包蔵されていること」に驚嘆し、納得する。
甘露寺では、「この附近の豪家の某氏が、この長江での水死人の爲めに、近く大きな施餓鬼をする其の準備に忙殺されてゐ」た。「長江の水死人を考へることが、私に堪らなく詩的な情趣を誘」ったという。かくして「そこに慈悲を及ぼす隠れたる善人のあることが、ソシアルデモクラシー化してゐる支那の現状を裏切る重大なものに思ひ做さるゝのであつた。よし、さういふ施主は、恐らく佛?的な迷信から出發してゐるとしても」である。
どうやら河東は「ソシアルデモクラシー化してゐる支那の現状」を余り好ましいものとは見做していないようだ。
南京の脂粉の街を散策する。
耳に聞こえてくるのは「遊冶郎の遊冶氣分を唆る」歌声だった。「そこに伴奏する月琴胡弓の低音といふ者を持たない最高音階の樂器が鼓膜を通して肉の活躍を煽つて來る」から、「氣を靜め思ひを沈ましめる餘裕などありやうはない」。
そこで支那の音楽に思いを馳せた。
「音樂が其時の情緒を動かす力を持つてゐるといふことが眞實であるならば、支那の樂器と聲樂とは、たゞ肉を煽動し肉に喝かしめる程度の材料に過ぎなくなる、たゞ肉の伴奏を勤める役目である」ところの「支那の音樂の今日に到つた徑路は、餘處事でなく、支那の無自覺から自覺運動に至る道程を暗示する者ではないだろうか」と。
「支那の音樂が刺戟性の頂點に停滯してゐる、それでなければ音樂としての價値を持たないといふことに、この私達の味つた寂しさが原因づけてゐるのではないだらうか。帝王になれば國家の安泰、大官になれば位置の安泰、庶民になれば財産の安泰、それらを通じて生命の安泰の絶對に保證されない國柄、そこに四千年の長い歴史を持つた思想、それが因となり果となつて訓致された國民性、それに反抗することも、それから逃避することも不可抗力で壓しつけられてゐる人生の桎梏、それを手短かくつゞめて見れば、不完全な飛行機の搭乘者のやうな心理、そこから湧くドン底の寂寞味が、自然に音樂をも肉的に誘致せしめるのではないだろうか」。
とどのつまりは「刹那に生きようとする所以」ということだろう。
この河東の考えを敷衍するなら、あのけたたましい音楽は「刹那に生きる」ことを運命づけられた中国人の人生にくっついて離れない「ドン底の寂寞味」がもたらすもの。いわば人生の寂寥感を噛み締め自らの内側に閉じ込め昇華させるのではなく、ひたすら外に向かって発散させるためのもの。であればこそ「最高音階の樂器が鼓膜を通して肉の活躍を煽つて來る」ことになるわけだ。
「刹那に生きんとする心持は、帝王の尊貴を以てしても、どうすることも出來ない自然の運命であつた」がゆえに、「歴代の帝王が、其の先人の墓陵を華麗にするといふことも」、「それによつて我が滿足を買はんとする」からだ。その背景には「其の一時の榮譽を誇示せんとする自我の發揮が基調になつてゐることを閑却することは出來ない」。
「百千の人を使役し、巨萬の金を散ずる豪快味」は、それが先人の壮大華麗な墓陵建設に投ぜられたにせよ、「美酒佳肴に費やされる」にせよ、「刺戟性の頂點に停滯してゐる」音楽と同じように、共に「刹那の慾求を充たす心理」がもたらすことになるようだ。
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◎読者の声 ☆どくしゃのこえ ★READERS‘ OPINIONS
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(読者の声1)貴著『青空の下で読むニーチェ』(勉誠出版)、読み進めるにつれて益々おもしろくなり、いたるところで宮崎さんの精神と思想が強く示され、まことに真剣勝負。感動しました。鉛筆でメモを入れながら読了しました。
心の底にズシンと響くご本でした。
(HN生、新潟)
(宮崎正弘のコメント)ようやく再版の運びとなりました。なお、既読の読者で初版乱丁本をお持ちの方は版元に交換を要求して下さい。出版社側の送料負担で実物と無料交換になります。
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(読者の声2)日本にとって韓国は日本の国防面での必要性はまだあるのでしょうか?
この辺は一度整理し直してみた方がいいように思いますがいかがでしょうか?
下記の通り、朝鮮半島は今日の日本にはほとんど戦略的な意味はないように思いますが、いかがでしょうか?
日清や日露戦争の頃、ロシアの南下政策に対抗する地政学的な目的より、日本にとって朝鮮半島は大陸側の橋頭保として軍事的に必要であったことは容易に理解できますが、この当時は航空機もなければ、ロケット兵器も巡行ミサイル兵器もなければ、当然、潜水艦や航空母艦などもない時代の頃の地政学的必要性から、日本にとって朝鮮半島を確保することはそれなりに戦略的な拠点としての利点があったと思いますが、航空機やロケット兵器や巡行ミサイル兵器が進歩し、航空母艦などの機動戦力も発展した今日において、日本にとって朝鮮半島はほとんど戦略や戦術的な重要度なないように思います。
上記のような状況変化から推察して、大陸側からどこかの国(例示的に言えばロシアと中国と思いますが)が日本に侵攻して来た場合でも、朝鮮半島が日本にとって防衛上のクッシ//
