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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)11月14日(水曜日)弐
        通巻第5889号
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こんどはマダガスカルが「あの国」に狙われた
 カヌー漁業へいきなり近代漁船330隻を投入、大統領のスキャンダルに発展
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 マダガスカル? 地球の何処にある?
 アフリカ東海岸モザンビークの東沖合400キロに浮かぶ島。しかし「島」とは言っても面積は日本の1・6倍、人口は2200万人強。大半の国民は一日2ドルで暮らす最貧国。もとはフランス植民地だった。

 突然、この国にスポットが当たったのは、テレビの旅行番組だった。
マダガスカルにしかいない「横っ飛びの猿」(ベローシファカ)、キツネザルなど珍しい動物とキノコのお化けのような木々がジャングルに群生するという不思議。自然に興味の向き是非とも行ってみたいと思うかも知れない。かくいう筆者、1985年に一度、行っている(といっても正確に言うと、ヨハネスブルグの帰路、2時間ほどトランジットしただけですが)。

世界政治から、突然、マダガスカルが注目を浴びたのは「コバルト」だった。世界のコバルト消費量の48%が中国、20%が日本。スマホの急発展によって、リチゥムイオン電池の需要が急伸し、その基幹のレアメタルがコバルトである。

日本の企業も、コバルト輸入には神経質となっており、げんにコバルト価格は過去三年で四倍に膨れあがっている。世界一のコバルト生産はコンゴ民主共和国(昔のザイール)。鉱山経営のアメリカ企業から、中国はぽんと26億ドルのキャッシュを支払って筆頭株主となっている。
このコバルトがマダガスカルで生産されているのだ。日本企業もはやばやと住友商事がコバルト鉱山開発に手を染めている。コバルトは銅、ニッケル鉱に付随して産出されるので、精錬に高度の技術が必要とされる。

それまでは旧宗主国フランスも経済支援には投げやりで、なにしろ主要部族だけで16,多くの部族語はボルネオあたりから漂着したマレー語が源流とも言われる。統一言語がないため、フランス語と英語が公用語である。
ちなみ通貨単位は「アリアリ」。何もないのに在るとは、これ如何に?

政情不安、機能しない政府、憲法に基づかない政権交代など、要するに法治主義とは何かが分かっていない人々が、この国を統治している。
地理学的には紀元前にアフリカ大陸から千切れ、インド亜大陸から、もぎ取らてれ孤島となってしまい、世界との交流は少なかったため、独自の動・植物が育った。沿岸部ではカヌーを改良したような小舟の原始的な漁業が営まれている。


 ▼マダガスカルの基幹産業が壊れる

 降って湧いてきた壮大無比のプロジェクトは、やっぱり「あの国」からである。
 近代的漁船330隻がマダガスカルに投入されるという。総額27億ドル(マダガスカル史初の巨額)という漁業協定はマダガスカル政府ではなく、民間企業と北京政府系の中国企業コンソシアムとの間に署名され、しかもその企業は、当時のヘリー・ジャオナリマンビアニ大統領の息子が取締役を務める会社である。

 だれが考えても面妖な話、しかもこの協定にマダガスカル政府漁業省が一切関知していない。民間企業は「マダガスカル経済発展推進社」とかの、公的なニュアンスを匂わせる会社だが、実態は不明である。

 署名式は9月5日、北京で行われた。しかも署名式の部屋の片隅にヘリー・ジャオナリマンビアニ大統領が映っている証拠写真がメディアによって報じられ、大統領は「私は知らない。なんの署名式だったのか、関与していない」と誰もが嘘と分かる弁明。

 同大統領はその二日後に辞任した。このため90日以内に大統領選挙が行われるが、下馬評でトップを走るのが、やはり、このヘリー・ジャオナリマンビアニ大統領なのである。

 中国が近代的漁船を大量に派遣して漁業を営めば、マダガスカルの漁業資源はあらかたが取り尽くされる。なにしろ漁獲量の殆どは中国への輸出に廻される契約となっているらしい(契約内容は公開されていない)。

 地元漁民は小型ボート(エンジンもない)、沿海でしか操業できず、中国の「漁業侵略」が始まったらひとたまりもなく失業するだろう。それでなくとも北部に住み着いた華僑を通して、地元民はその阿漕な遣り方を知っており、中国人が嫌いである。


 ▼中国の乱獲、独占は悪名高いゾ

 『アジアタイムズ』(2018年11月12日)に拠れば、中国側の契約相手は七つの民間の漁業、船舶、港湾開発など特定できない中国企業で、最初の三年間に7億ドルを投じ、まず港湾と整備し、漁場を調査・観測し、保冷倉庫や輸出設備を造成、地元漁民も一万人が雇用されるという薔薇色の青写真が提示されている。

 その後、14メートルの近代的な漁船には保冷設備を内蔵し、トロール方式で漁獲効率をあげるというが、日本でも小笠原諸島近海で、赤珊瑚を根こそぎ盗んでいった実績を誇る中国の漁船団は、近年、アフリカの海も荒らし回っており、EU委員会の報告に寄れば、2017年度だけでも250万トンの魚介類を水揚げした。

マダガスカルのEEZ(経済的排他海域は、宏大であり、合法的にも中国の船団が入ってくれば、海の生態系も変わる。

マダガスカルにおいて欧米の自然環境保護団体が多数活躍しており、彼らが自然破壊に繋がると懸念を表明している。地元漁民の反対デモなどはまだ確認されていないが、数日中に大統領選挙の投票時を迎える。
大統領選挙、どういう結果になるか?
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1819回】  
 ――「支那の國ほど近付いてあらの見ゆる國は無し」――關(3)
關和知『西隣游記』(非売品 日清印刷 大正七年)

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 じつは清朝八大親王の1人である肅親王善耆は、「男装の麗人」「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子こと金璧輝の父親である。母親は肅親王善耆の第四側妃。芳子には2人の妹がいたが、下の妹の愛新覚羅顕?は『清朝の王女に生まれて』(中公文庫 1990年)に金璧輝が川島芳子になった理由を、「父が日本人を利用して清の復辟を祈願していたため、当時父に取り入っていた川島浪速という日本人に、連れられて行きました」と記す。

 川島「お雇い外人」として末期の清朝で警察官の養成に当たったが、その際、肅親王善耆やその娘婿に当たる蒙古王公のカラチン王と親交を結んだ。
清朝崩壊後、北京を離れ旅順鎮遠町十番地に移り住んでいる。おそらく關和知らは、この鎮遠町十番地に肅親王善耆を訪れたのだろう。

 1912年、川島は肅親王善耆を擁して第1次満蒙独立運動を計画するが、日本政府の命令で計画は頓挫する。その後、1916年(大正5)年に第2次大隈内閣の進める「反袁政策」の下で第2次満蒙独立運動を画策するが、日本政府の方針転換と袁世凱の死で失敗に終わった。

 1922(大正11)年の肅親王善耆の死を『清朝の王女に生まれて』は、「父は北京をでる時、(清朝崩壊と亡命の悲哀を綴った)詩を作って、それっきり北京の土は踏みませんでした。復辟(退位した皇帝を再び復位させる事)運動にも失敗して、わずか享年五十七歳で、亡命の地旅順に在って最後の息を引き取ったのです」と記す。

 關ら6人は1917(大正6)年10月から12月にかけて旅行しているところからみて、一行が面会し当時の肅親王善耆は、第2次満蒙独立運動失敗の失意に落ち込んでいた頃と思われる。
「日本人を利用して清の復辟を祈願し」ていた肅親王善耆である。はたして清朝復辟のために日本人と見たら誰彼となく「人を動かす」ような言辞を弄していたのだろうか。

 肅親王善耆の次は反日運動を考えたい。
 「支那人の日本人に對する惡感は依然として存在」するばかりか、最近では盛んになってきて、「往々にして我が威令を輕じ、時に反抗的態度に出づ」。たとえば「埠頭に於ける苦力のストライキ」であり、「荷馬車曳のストライキ」であり、「日本婦人に對する支那車夫の侮辱」などだ。その責任を考えると、やはり「日本に於ける我政府の對支方針が、單に支那の歓心を買ふを以て能事とする、所謂親善主義なるもの」にある。それというのも、日本側の微温的な対応が相手側に「帝國の威信を輕ずるの弊を誘致」してしまったからである。その一例として鄭家屯事件を挙げ、事件を曖昧な形で収束させてしまったことが「帝國政府自ら輕ずるの甚だしき一例」とする。

 鄭家屯事件とは、1916(大正5)年8月に日本人売薬店員と中国兵のささいな口喧嘩が発端となって遼寧省鄭家屯で起こった両国軍衝突事件。
日本軍が同地を占領した後、当時の大隈重信内閣は中国側の司令官の懲戒に加え、南満洲・東部内蒙古の必要地点への警察官の駐在を要求した。じつは1900年の北京で起こった義和団事件(北清事変)を機に結ばれた北京条約によって、日本は欧米諸国と同じように自国民保護のために軍を駐留させる権利を得ていたのである。

 当時の両国関係を簡単に振り返っておくと、1915(大正4)年1月、日本が提出した対華21カ条要求をめぐる交渉がはじまったものの、日本はイギリスの抗議を受け、要求の一部を取り下げた。
この対応が、日本がイギリスの圧力に屈したことであり、延いては中国側の日本に対する軽侮・蔑視的態度を誘発するとの考えが当時の陸軍から生まれる。
その筆頭が、袁世凱に密着していた陸軍支那通の代表的存在の坂西利八郎らしい。

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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)スー・チーから「人権賞」を取り上げるそうです。
(引用開始)「【AFP=時事】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International、本部=英ロンドン)は12日、ミャンマーの実質的最高指導者アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)国家顧問に授与していた同団体最高の賞を撤回したと発表した。アムネスティは、同国軍のイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)への残虐行為に対し、スー・チー氏が「無関心」だと指摘している」(引用止め)。
 欧米の基準がかくも胡散臭い見本のようなものですが、それなら大江健三郎からも「ノーベル文学賞」を取り下げて貰いたいですね。
  (NB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)スー・チーは英国で教育を受け、しかも配偶者が英国情報部の男性だった。だから「配偶者が外国人の人物は大統領には馴れない」というミャンマーの憲法の前に、大統領にはなれないが、最高実力者として君臨できる。
英国はこれでミャンマーを操れると過剰な、というより支配者の僭越な論理で動かそうとしたわけで、こんどはスー・チーが言うことを聞かないから批判してい~//