--------
↓全文読めない等の場合はバックナンバーでご覧下さい↓
http://melma.com/backnumber_45206/
--------
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)10月27日(土曜日)
通巻第5868号 <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「米中貿易戦争は、本当の戦争を誤魔化す手段だ」とトマス・ピケティ
富裕層には減税、貧困層には代理の敵を攻撃して、目標を逸らす
****************************************
トマス・ピケティという怪しげな経済学者がいるが、フランスの左翼学者は、流行の議論を音楽のように発展させるのがうまい。
ジャック・アタリなどを連想すれば、すぐに了解できるだろう。ピケティの『資本論』も、マルクスの階級史観を換骨奪胎したかのようなベストセラーが現象としてあったが、いまは忘れられた。
そのペケティが『サウスチャイナ・モーニングポスト』(10月26日)のインタビューに応じて、トランプが仕掛けた関税による米中貿易戦争は、真の戦争から目を逸らす手段でしかなく、これによって富裕階級は事実上の減税が批判されることを回避できするうえ、貧困層は「誰がわれわれの富を奪ったか」という訴えで、敵を中国と思いこんだ。内部矛盾を外敵とすり替えた、とピケティは云う。
代理として設定した敵(中国)を意図的に強い口調で攻撃したのも、トランプ政権が、中間選挙を前にして、本当の目標を逸らすことに成功したのだ、と頓珍漢な、一面だけの分析をしている。
しかしこの発言を大書して掲載したのが、北京よりの香港メディアだから、いまの中国にとっては、ピケティの理論に状況分析を頼るという不安な心理の別の評言ではないか。
ピケティはインタビューの中でも、米国のサンダースや英国のジェレミー・コルビンのように貧困救済の政策を、欧米はもっと盛り上げるべきだと主唱している。
ナショナリズムをバックに国益をかけての歴史的戦争の開始という歴史認識はどこにも見られず、左翼学者のぼやきとなっている。
ピケティはまたマレーシアのナジブの敗北を中国べったり政策への国民の反発とはみないで、物品税とサービス課税が原因だと主張している。
▽◎◇◎み◇◇▽◎や◇◎◇◇ざ◇◎◇◇き◎◇◇◇
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@
【知道中国 1808回】
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(33)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
△
「實利」と「?榮」の「兩個の性格、交互錯綜して、一種不可解なる支那の國民性を、構成」している。だから「支那人と交らんと欲する」なら、「彼等の實利を、尊重する」と同時に「其の體面を毀損」しないよう努めなければならない。
「人は弱點に於て、他と?る」ものだから、「支那人の?榮心は、寧ろ支那人の美點と見て可也」。
――まったくもって厄介極まりない方々だが、徳富の考えに従えば虚栄心を満足させる程度に実利を与えることが、彼らとの最善の付き合い方ということになりそうだ。さすれば「中国の夢」なる虚栄心を満足させる程度に実利を与えることで、一帯一路を骨抜きにできるかもしれない・・・のだが――
■「(五八)無事的調法物有事的厄介物」
日本人は「一旦緩急的」であり、「支那人は、普通尋常的」である。かくして「日支兩國人が、互ひに相提携し難」いことになる。
およそ決められたことを決められたように順序づけて「繰り返すには、支那人程、調法な者はな」い。いいかえるなら彼らは「生命ある器械」であり、「盲目的服從、無心經的動物」ということだ。だから「一旦既定の順序が、齟齬する」なら、「支那人の弱點」は暴露され、「周章し、狼狽し、途方に暮れ、進退度を失」う。つまり「臨機の才能、應變の智惠」がないことから、「支那?史の慘劇の多くは」起こっている。
■「(五九)常に處して變に處せず」
「所謂神智靈覺は、支那人も最も不長也」。「彼等の多數は、順風快潮の舟師にして、惡風激浪の水夫」ではなく、「比較的低級の氣轉さへも、餘りに利かぬ者もあり」。
「支那人が戰爭に適せざるは、其の平和的人種なるが爲めのみにあらずして」、臨機応変の振る舞いができないからだ。「彼等は練兵場に於て好兵士」ではあっても、「戰場に於いて、好兵士」ではない。それというのも「常に處」することはできるが、想定外の事態が連続的に起こる戦場における「變に處する能はざれば也」だからだ。
「支那人現時の平凡生活は、今や殆んど支那人を驅りて、行屍走肉たらしめたり」。
■「(六〇)數の勢力」
「如何なる點より觀察するも」、「支那の強味は、其の人口の衆にあり」。「之を強味として利用するは、政治の妙機」である。「戰爭に於ても、平和に於ても、數は一大要素」であり「數は即ち資本」である。であればこそ「吾人(徳富)は此の一點に於て、支那の前途を悲觀す可き理由を見ず」。
■「(六一)烏合の衆」
「數をして最有力ならしむるは、組織にあり、結合にあ」るが、「支那人は個人萬能、團體零能」だ。「支那人程、彌次馬根性の増長したるものなし。一犬?に吠へ、萬犬實を傳ふとは、支那の犬を形容するよりも、寧ろ支那人を形容すべき名言也」。
「飛語、流言、訛傳、風説、何も非常の勢力を以て、支那を席捲し、時としては政府を?覆し、國家を破滅」させることもあるが、その依って来る所以は「皆な支那人の雷同性にある」のだ。
彼らのような「烏合の衆」を組織化するには「規律に服從する順法精神」と「公徳心」とが大前提だが、「此の二者は、個人主義萬能の支那には、不幸にして缺乏」している。だから「衆ありて、大を做す能はざる」のである。
数が多いだけ。しょせん「個人萬能、團體零能」のヤジウマ集団にすぎないわけだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
【知道中国 1809回】
~~~~~~~~~~~~~~~~
■「(六二)言論の勢力」
「支那に嚴正なる意義に於て、公議輿論なるもの」なし。というのも、「公議輿論」を「調節し」、「培養し」、「發揮する適當なる機關が見出さゞれば也」。だが、だからといって「人民の意思は、全く爲政者に無視せられたりとは、速了す可らざる也」。
歴史を振り返ると、「支那の革命」、つまり王朝の交代劇は「概ね流賊により、其端を啓かるゝも、流賊の先驅をなすものは、人心の動揺」であり、「民心の放潰」である。「此の衆庶心意の發作合離は、實に支那の史上に於て看過す可らざる暗流也」。これを「公議輿論」とは言えないかもしれないが、少なくとも「衆庶の心理情態の作用」であり、同時に「支那人の雷同性」であることは確かだ。
「堂々たる青天白日の高論崇議は勿論、其の童謡、俚歌さへも、動もすれば千萬の軍隊よりも偉大なる勢力を逞うしたる例」は、たしかに歴史上に認められる。ならば王朝をひっくり返すような「支那人の雷同性」に火を点ける「童謡、俚歌」もまた形を変えた「公議輿論」と見做すべし、ということだろう。
■「(六三)新聞雜誌の勢力」
「支那に於ては、正議?論よりも訛傳、流説を以て、有力なりと爲す」。それというのも、「輿論の理性に質す」というよりは、「寧ろ衆庶の迷信、若くは雷同性、彌次馬根性に訴ふうる」ことが有効であるからだ。「支那に於ては、口舌、文章の力は、兵力に比すれば、?々偉大なる働きを爲す」ものである。
これを「要するに拳力よりも、舌力有効」であり、「舌力既に然らば、筆力亦た固より然らざるを得ず」。「今後有力なる新聞出で來りて、支那を風靡する」ことだろう。そこで「吾人(徳富)は處士?議の風が、一轉して新聞專制の時代となる可く、豫期」した。
――百万の軍隊よりも強力な民衆の雷同性に火を点けるのは、やはり「舌力」、これをいいかえればメディアの力である。
中国では世の中を動かし、ひっくり返す大きな力として「槍杆子」と「筆杆子」の2つが挙げられている。鉄砲と筆、兵隊とメディアだ。毛沢東は「政権は鉄砲から生まれる」との有名な言葉を残した。わが国では毛沢東の革命は鉄砲が生んだなどと軽はずみにも誤解し、「鉄砲から革命を」などと叫んであさま山荘に立て籠った“革命戦士”がいたが、「槍杆子」が有効に働くためには「筆杆子」が絶対必須条件なのだ。
それは文革初期、毛沢東が「筆杆子」において政敵・劉少奇を“圧倒的に圧倒”したことを振り返れば判るはずだ。今日なお共産党中央宣伝部がなぜ力を持っているのか。中国における「筆杆子」の総元締めだからである――
■(六四)興亞的一大新聞」
だから「若し日支親善を、事實の上に現呈せしめんと欲」するなら、「只だ須らく支那に於て有力なる新聞、雜誌を發行す可し」。これこそが「即今の急務也」。イギリスは上海で『北支那日々新聞(ノース、チャイナ、デリーニュース)』を発行している。「其の紙數は、眇焉たるも、其の勢力は、隱然一敵國の觀をなし」ているほどの、「支那に於ける英國勢力の重鎭たり」。
だからイギリスにとっての『北支那日々新聞(ノース、チャイナ、デリーニュース)』に当たる機関を、日本は早急に持つべきだ。だが、「出來得る限りに於て、公平中正の態度を持」つ必要がある。
「徒らに褊狹、固陋の我利的、主我的の言論」を振り回すことは厳禁。
それというのも「支那人をして、斯くの如く思惟せしむること」が肝要だからだ。
□◎□○ひ△◎□◇い○◎○□ず□◎□○み○◎○□
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声1)人種差別撤廃提案100周年記念講演会
日本の真珠湾攻撃が西欧の支配からのアジア解放の引き金になった
セナカ・ウィーララトゥナ氏(スリランカ弁護士)
1919年2月13日、日本政府はヴェルサイユのパリ講和会議における国際連盟規約を草案する委員会で、人種差別の撤廃が規約に盛り込まれるように提案しました。米英などの反対に遭い実現しませんでしたが、それから50年後の1969年人種差別条約が国連で採択され、発効しました。
人種差別が第二次世界大戦の大きな理由の一つになっていました。日本の戦争目的は日本の存続を脅かす人種差別的な世界秩序の撤廃、すなわちアジア民族の解放にありました。1943年11月5日、6日に開かれた「大東亜会議」には、アジアの独立国6か国と自由インド仮政府が参加しました。
スリランカの弁護士、社会活動家のセナカ・ウィーララトゥナ氏は、日本の真珠湾攻撃こそがアジア解放の引き金になったという論文を「史実を世界に発信する会」 に寄稿してきました。ニュース・レターNo.154Jでご紹介いたしました。
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senaka.pdf
「史実を世界に発信する会」 では、ウィーララトゥナ氏の来日に合わせて「人種差別撤廃提案100周年記念講演会」を開催することにいたしました。//
↓全文読めない等の場合はバックナンバーでご覧下さい↓
http://melma.com/backnumber_45206/
--------
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)10月27日(土曜日)
通巻第5868号 <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「米中貿易戦争は、本当の戦争を誤魔化す手段だ」とトマス・ピケティ
富裕層には減税、貧困層には代理の敵を攻撃して、目標を逸らす
****************************************
トマス・ピケティという怪しげな経済学者がいるが、フランスの左翼学者は、流行の議論を音楽のように発展させるのがうまい。
ジャック・アタリなどを連想すれば、すぐに了解できるだろう。ピケティの『資本論』も、マルクスの階級史観を換骨奪胎したかのようなベストセラーが現象としてあったが、いまは忘れられた。
そのペケティが『サウスチャイナ・モーニングポスト』(10月26日)のインタビューに応じて、トランプが仕掛けた関税による米中貿易戦争は、真の戦争から目を逸らす手段でしかなく、これによって富裕階級は事実上の減税が批判されることを回避できするうえ、貧困層は「誰がわれわれの富を奪ったか」という訴えで、敵を中国と思いこんだ。内部矛盾を外敵とすり替えた、とピケティは云う。
代理として設定した敵(中国)を意図的に強い口調で攻撃したのも、トランプ政権が、中間選挙を前にして、本当の目標を逸らすことに成功したのだ、と頓珍漢な、一面だけの分析をしている。
しかしこの発言を大書して掲載したのが、北京よりの香港メディアだから、いまの中国にとっては、ピケティの理論に状況分析を頼るという不安な心理の別の評言ではないか。
ピケティはインタビューの中でも、米国のサンダースや英国のジェレミー・コルビンのように貧困救済の政策を、欧米はもっと盛り上げるべきだと主唱している。
ナショナリズムをバックに国益をかけての歴史的戦争の開始という歴史認識はどこにも見られず、左翼学者のぼやきとなっている。
ピケティはまたマレーシアのナジブの敗北を中国べったり政策への国民の反発とはみないで、物品税とサービス課税が原因だと主張している。
▽◎◇◎み◇◇▽◎や◇◎◇◇ざ◇◎◇◇き◎◇◇◇
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@
【知道中国 1808回】
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(33)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)
△
「實利」と「?榮」の「兩個の性格、交互錯綜して、一種不可解なる支那の國民性を、構成」している。だから「支那人と交らんと欲する」なら、「彼等の實利を、尊重する」と同時に「其の體面を毀損」しないよう努めなければならない。
「人は弱點に於て、他と?る」ものだから、「支那人の?榮心は、寧ろ支那人の美點と見て可也」。
――まったくもって厄介極まりない方々だが、徳富の考えに従えば虚栄心を満足させる程度に実利を与えることが、彼らとの最善の付き合い方ということになりそうだ。さすれば「中国の夢」なる虚栄心を満足させる程度に実利を与えることで、一帯一路を骨抜きにできるかもしれない・・・のだが――
■「(五八)無事的調法物有事的厄介物」
日本人は「一旦緩急的」であり、「支那人は、普通尋常的」である。かくして「日支兩國人が、互ひに相提携し難」いことになる。
およそ決められたことを決められたように順序づけて「繰り返すには、支那人程、調法な者はな」い。いいかえるなら彼らは「生命ある器械」であり、「盲目的服從、無心經的動物」ということだ。だから「一旦既定の順序が、齟齬する」なら、「支那人の弱點」は暴露され、「周章し、狼狽し、途方に暮れ、進退度を失」う。つまり「臨機の才能、應變の智惠」がないことから、「支那?史の慘劇の多くは」起こっている。
■「(五九)常に處して變に處せず」
「所謂神智靈覺は、支那人も最も不長也」。「彼等の多數は、順風快潮の舟師にして、惡風激浪の水夫」ではなく、「比較的低級の氣轉さへも、餘りに利かぬ者もあり」。
「支那人が戰爭に適せざるは、其の平和的人種なるが爲めのみにあらずして」、臨機応変の振る舞いができないからだ。「彼等は練兵場に於て好兵士」ではあっても、「戰場に於いて、好兵士」ではない。それというのも「常に處」することはできるが、想定外の事態が連続的に起こる戦場における「變に處する能はざれば也」だからだ。
「支那人現時の平凡生活は、今や殆んど支那人を驅りて、行屍走肉たらしめたり」。
■「(六〇)數の勢力」
「如何なる點より觀察するも」、「支那の強味は、其の人口の衆にあり」。「之を強味として利用するは、政治の妙機」である。「戰爭に於ても、平和に於ても、數は一大要素」であり「數は即ち資本」である。であればこそ「吾人(徳富)は此の一點に於て、支那の前途を悲觀す可き理由を見ず」。
■「(六一)烏合の衆」
「數をして最有力ならしむるは、組織にあり、結合にあ」るが、「支那人は個人萬能、團體零能」だ。「支那人程、彌次馬根性の増長したるものなし。一犬?に吠へ、萬犬實を傳ふとは、支那の犬を形容するよりも、寧ろ支那人を形容すべき名言也」。
「飛語、流言、訛傳、風説、何も非常の勢力を以て、支那を席捲し、時としては政府を?覆し、國家を破滅」させることもあるが、その依って来る所以は「皆な支那人の雷同性にある」のだ。
彼らのような「烏合の衆」を組織化するには「規律に服從する順法精神」と「公徳心」とが大前提だが、「此の二者は、個人主義萬能の支那には、不幸にして缺乏」している。だから「衆ありて、大を做す能はざる」のである。
数が多いだけ。しょせん「個人萬能、團體零能」のヤジウマ集団にすぎないわけだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
【知道中国 1809回】
~~~~~~~~~~~~~~~~
■「(六二)言論の勢力」
「支那に嚴正なる意義に於て、公議輿論なるもの」なし。というのも、「公議輿論」を「調節し」、「培養し」、「發揮する適當なる機關が見出さゞれば也」。だが、だからといって「人民の意思は、全く爲政者に無視せられたりとは、速了す可らざる也」。
歴史を振り返ると、「支那の革命」、つまり王朝の交代劇は「概ね流賊により、其端を啓かるゝも、流賊の先驅をなすものは、人心の動揺」であり、「民心の放潰」である。「此の衆庶心意の發作合離は、實に支那の史上に於て看過す可らざる暗流也」。これを「公議輿論」とは言えないかもしれないが、少なくとも「衆庶の心理情態の作用」であり、同時に「支那人の雷同性」であることは確かだ。
「堂々たる青天白日の高論崇議は勿論、其の童謡、俚歌さへも、動もすれば千萬の軍隊よりも偉大なる勢力を逞うしたる例」は、たしかに歴史上に認められる。ならば王朝をひっくり返すような「支那人の雷同性」に火を点ける「童謡、俚歌」もまた形を変えた「公議輿論」と見做すべし、ということだろう。
■「(六三)新聞雜誌の勢力」
「支那に於ては、正議?論よりも訛傳、流説を以て、有力なりと爲す」。それというのも、「輿論の理性に質す」というよりは、「寧ろ衆庶の迷信、若くは雷同性、彌次馬根性に訴ふうる」ことが有効であるからだ。「支那に於ては、口舌、文章の力は、兵力に比すれば、?々偉大なる働きを爲す」ものである。
これを「要するに拳力よりも、舌力有効」であり、「舌力既に然らば、筆力亦た固より然らざるを得ず」。「今後有力なる新聞出で來りて、支那を風靡する」ことだろう。そこで「吾人(徳富)は處士?議の風が、一轉して新聞專制の時代となる可く、豫期」した。
――百万の軍隊よりも強力な民衆の雷同性に火を点けるのは、やはり「舌力」、これをいいかえればメディアの力である。
中国では世の中を動かし、ひっくり返す大きな力として「槍杆子」と「筆杆子」の2つが挙げられている。鉄砲と筆、兵隊とメディアだ。毛沢東は「政権は鉄砲から生まれる」との有名な言葉を残した。わが国では毛沢東の革命は鉄砲が生んだなどと軽はずみにも誤解し、「鉄砲から革命を」などと叫んであさま山荘に立て籠った“革命戦士”がいたが、「槍杆子」が有効に働くためには「筆杆子」が絶対必須条件なのだ。
それは文革初期、毛沢東が「筆杆子」において政敵・劉少奇を“圧倒的に圧倒”したことを振り返れば判るはずだ。今日なお共産党中央宣伝部がなぜ力を持っているのか。中国における「筆杆子」の総元締めだからである――
■(六四)興亞的一大新聞」
だから「若し日支親善を、事實の上に現呈せしめんと欲」するなら、「只だ須らく支那に於て有力なる新聞、雜誌を發行す可し」。これこそが「即今の急務也」。イギリスは上海で『北支那日々新聞(ノース、チャイナ、デリーニュース)』を発行している。「其の紙數は、眇焉たるも、其の勢力は、隱然一敵國の觀をなし」ているほどの、「支那に於ける英國勢力の重鎭たり」。
だからイギリスにとっての『北支那日々新聞(ノース、チャイナ、デリーニュース)』に当たる機関を、日本は早急に持つべきだ。だが、「出來得る限りに於て、公平中正の態度を持」つ必要がある。
「徒らに褊狹、固陋の我利的、主我的の言論」を振り回すことは厳禁。
それというのも「支那人をして、斯くの如く思惟せしむること」が肝要だからだ。
□◎□○ひ△◎□◇い○◎○□ず□◎□○み○◎○□
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声1)人種差別撤廃提案100周年記念講演会
日本の真珠湾攻撃が西欧の支配からのアジア解放の引き金になった
セナカ・ウィーララトゥナ氏(スリランカ弁護士)
1919年2月13日、日本政府はヴェルサイユのパリ講和会議における国際連盟規約を草案する委員会で、人種差別の撤廃が規約に盛り込まれるように提案しました。米英などの反対に遭い実現しませんでしたが、それから50年後の1969年人種差別条約が国連で採択され、発効しました。
人種差別が第二次世界大戦の大きな理由の一つになっていました。日本の戦争目的は日本の存続を脅かす人種差別的な世界秩序の撤廃、すなわちアジア民族の解放にありました。1943年11月5日、6日に開かれた「大東亜会議」には、アジアの独立国6か国と自由インド仮政府が参加しました。
スリランカの弁護士、社会活動家のセナカ・ウィーララトゥナ氏は、日本の真珠湾攻撃こそがアジア解放の引き金になったという論文を「史実を世界に発信する会」 に寄稿してきました。ニュース・レターNo.154Jでご紹介いたしました。
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senaka.pdf
「史実を世界に発信する会」 では、ウィーララトゥナ氏の来日に合わせて「人種差別撤廃提案100周年記念講演会」を開催することにいたしました。//