NEC_1036.jpg

--------
↓全文読めない等の場合はバックナンバーでご覧下さい↓
http://melma.com/backnumber_45206/
--------

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)10月15日(月曜日)
        通巻第5858号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 マティス国防長官、近く辞任観測
  ロシア政策でボルトン補佐官と対立、トランプの暴走発言にも嫌気
****************************************

 かねてから辞任の観測が燻っていたが、中間選挙を前に政権が内部で揺れることは得策ではないとマティス国防長官 vs ボルトン大統領補佐官の対立は表面化していなかった。

ボルトンは、もっとも強硬なタカ派イメージだが、その基底にあるのは戦略的原則を守ることにあって、原理を代えないという姿勢だ。それゆえ全米の保守陣営からは信頼されている。

 一方、マティスも「狂犬」というニックネームは別にして、軍人出身者には珍しい読書家であり、歴史を語れる。自宅には7000冊の蔵書、独身。軍のエリートは、米国ではやはりエリート。相当の知識人でもある。なによりも重視するのは秩序、そして軍人は何事にも慎重である。

 ボルトンは「イランとの核合意」に一貫して反対してきた。
またブリーフィングも簡潔で分かりやすく、くどくど説明されることが嫌いで、苛立ちを隠さず、長い長い演説のような情勢解説をしたマクマスター補佐官を馘首して、ボルトンに代えた経緯がある。

トランプはボルトンを信頼しているが、ふたりの意見が食い違うのはロシアへの姿勢で、なんとかロシアを反中国陣営に引き入れようとするトランプと、核戦略政策における確執からロシアとは距離を置くべきとするボルトンの差違。しかしボルトンは二十年も歴代政権から干されていた経歴から、譲るところは譲り、もっとも大統領に影響力を行使できる立場を確保しようとしている。

 ボルトンは周知のように沖縄に駐留している米国海兵隊を台湾に移動せよと主張する台湾擁護派のトップでもあり、日本に関しても拉致問題にもっとも関心がある政治家だから、その動向に注目している。

 ところでドイツのメルケルの牙城バイエルンで、メルケル与党が大敗北を喫した。
これは「番狂わせ」というよりメルケル時代の終わりを告げる選挙結果だ。

中間選挙まで三週間となって米国でも、反トランプ陣営の旗手、民主党応援団長格のジョージ・ソロスが、中間選挙では「民主党はまた敗北するだろう」と予測していることが分かった。
     ▽◎◇◎み◇◇▽◎や◇◎◇◇ざ◇◎◇◇き◎◇◇◇
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆
 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「西尾幹二流・ツァラトゥストラ」。LIBERTY と FREEDOMの差違。
  自由な精神世界に、私たちは本当に生きているのだろうか?

  ♪
西尾幹二『あなたは自由か』(ちくま新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 意表を突かれた、この題名に。
 これまで「自由」とおもってきた概念も、状況も、じつは自由ではない。本当の自由から、わたしたちは不自由な世界にいるのか、いやそれとも異次元の自由世界に身を置いているのだろうか?
 議論はまず、自由はLivertyか、Freedomか、から始まり、「自由」と「平等」の差違をギリシアの歴史にまで遡及する。本書は随筆ではなく、やさしい哲学の書である。
 冒頭から三分の一あたりまで読み進むうちに、まず評者(宮崎)の脳裏を去来したことは、「日本人が変わってしまった」という不思議な感覚だった。
 自由が際限なく拡大解釈され、平等は無限の政治的力を発揮し、そして日本という存在そのものを脅かしている。
 「平等」の誤認が{Me#Too}とか、外国人留学生特待とか、少数派が強く、何でも予算化されるという政治風土を培っている。
 そのうえ「新自由主義」とかいう、つかみ所のない、空恐ろしい市場原理主義の暴走を一方に見ながら、人間本来のもつ、規律が壊れていくのを日々目撃している。
 道徳的に言えば、戦後日本人から徐々に失われてしまった倫理観。著者の西尾氏は終戦時にはっきりと自意識に目覚めていた世代だから、伝統的な道徳の喪失、価値観の転換、人間の変節を目の当たりに目撃し、体験してきた世代である。
評者は戦後生まれだから、その倫理観、道徳観にちょっとした感覚的差違があることは自然なこととしても、これは「世代感覚の違い」という範疇で説明できる。
 評者は、日教組教育の直撃的な洗脳を受けてしまった世代だが、それでも「蛍の光」、「仰げば尊し」を唱って、涙した。
 小学校の校庭か玄関にはかならず二宮金次郎の像が置かれていた。


 ▼自由を律する「神の見えざる手」は不在になった

「三歩さがって師の影を踏まず」という道徳律を教わって、それが当然の道徳、行動規範だと思ってきた。大学へ入って最初の衝撃は学生が先生に噛みつき、ぼろくそに批判し、殴りかかっていたことだった。道徳、倫理がそこにはなかった。
日本の何かが崩壊している!
 現代の若者をみていると、これらの価値観をみごとに失っている。卒業式で蛍の光も仰げば尊しも唱わない。歴史を何も知らないから赤穂浪士の蹶起の意味が分からない。平気で「太平洋戦争」とか「天皇制度」とかコミンテルンやGHQボキャブラリーを使う。先輩・後輩の秩序を重視するのは体育会系くらいで、年長者を敬うという感覚はほとんど喪失している。
象徴的なのは電車やバスで年寄りに席を譲る若者が殆ど居ないことだ。
 自由をはき違えている結果である。弱者が平等をいい、それを擁護拡大したのがオバマだったが、自由とは激烈な競争のことを意味すると古代からの原則を主張したのがトランプだった。アメリカは両者の価値観がせめぎ合う、と西尾氏は言う。
 そうこう思索しながら読み進んでいくとハンナ・アーレントや、ソルジェニーツィンの箴言を考察していくチャプターに行き当たり、なるほどこの本は帯に書かれているように、「西尾幹二流・ツァラトゥストラ」である。ということは西尾氏の思索の原点はニーチェなのである。

 唐突に評者は或る不思議な感覚に囚われた。
三島由紀夫の四部作『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』のなかで、インドのベナレスの描写に衝撃を受け、評者が最初の海外旅行先をインドに決めたのはおよそ半世紀近く前のことだった。
 三島は「さるにても恐るべきインドだった」と書いた。聖なるガンジスで沐浴し、歯を磨き、排便をする人々と、その隣で遺体を燃やし、遺灰をガンジス河に散布する無常な光景を三島由紀夫は活写した。ベナレスでは聖と俗、崇高と卑猥、あらゆる森羅万象が「聖なる河」に溶け込んで流れ、去る。なんという巨大なるニヒリズム!
 いや、ここでこそヒンズー教徒は社会的束縛からも宗教的ドグマからも離れて「自由」になるのだ。
 ベナレスを死地と決めて、インドの津々浦々からやってくる人々の列があり、かと言って市井の日常生活にはヒンズーの神々の小祠が辻々にかざされているが、ほかに取り立てての特異性もなく、早朝、日の出の僥倖に与ろうと、夜明け前にゲートに集まる人たちが引きも切らない。評者も、太陽の輝く瞬間をガンジスの河に浮かべた船の上から見ようと、小型のボートを雇い、河の中央から望遠レンズを向けて、大いなる虚無と崇高と卑猥と猥雑を撮影し、灯籠流しの小型模型を買い求め、願いを込めて流した。
 まさにこの光景は、文明から隔絶した、宗教の死生観を基礎としての営為だが、そこには一篇の合理主義もなければ科学的客観性などという近代文明の病理からも解放された空間が、古代から永遠にそうであったように時間を超えてベナレスに存在していた。ベナレスに、輪廻転生はたしかに存在する。
 永劫回帰、そうか、ニーチェの思想の原点は、この人間の永遠の営みから、絞り出された思考なのか。そう思いながら、ホテルに戻って、旅行鞄から携行してきた、ニーチェを論じた西尾幹二氏の新書本を開いたのだった。


 ▼「自由は光とともに闇だ」

 前置きが長くなった。
 「自由は光とともに闇です」と西尾氏は言う。
 この場合、「光」と「闇」は自由と不自由の比喩的な意味であり、「自由は量的概念ではもとよりなく、質と量の対立概念でもありません。光と闇も同じことで、両者は重なっているのです。光は同時に闇なのです」(255p)。
 「現代人はとかく何かを主張するのに、何か別のものに依存するのではまだ真の自由ではないなどと言いたがる。(中略)完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はありえない。私は生涯かけてそう言い続けてきました。『個人』が自律的であるのは『社会』からの解放や自由や独立を意味してはいません」(204-205p)
 この議論は繰り返されて説かれる。
 「自由と平等というのはある種の相反概念です。と同時に相関概念でもあります。自由というのは単独では成り立たないからです。しかし、平等は自由の反対概念ではありません。自由の反対概念は必然、または宿命です。自由と平等は相互に対応する対概念です」
 そして西尾幹二氏は、『自由は物狂いの思想』であり、平等は『狂気の思想』である、と言われる(124p)。
現代は自由を律した『神の見えざる手』をなくした。
「ベルリンの壁の崩落のあと、西側は自己規律を失ったのです。果てしない『自由』の拡大を目指して暴走し始めた。東側も釣られるようにその後を追った」
そして、「開かれた自由は社会、物質の量と情報の速度が果てしなく拡大していくわれわれの現代社会は、自由が自己崩壊に面していることを告知しています」(99p)
 深刻な精神の危機に現代日本人は直面している。

    □◇◎□◇◎□◇◎□◇◎□◇◎□◇◎
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(休刊予告)小誌、海外取材のため10月21日‐26日が休刊です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ♪
(読者の声1)「アラブの春」に出てくる国々、チュニジア・リビア・エジプト、いずれもオスマン帝国領だった国ですね。
オスマン帝国解体からおよそ百年ですが、百年など歴史から見ると短いもの。2018年の今年、日本では明治150年ですがちっとも盛り上がりません。
2020年は明治神宮創建百周年で、神宮のいたるところ修復工事中。明治天皇が祀られていると知ってか知らずか中国人観光客の絵馬がたくさんある。
 百年前からの歴史を見るのにちょうどいいのが台湾の民国暦。今年は民国107年ですが、実は大正107年でもあります。
日露戦争と第一次世界大戦の中間に起きたのが辛亥革命。若いころは50年前の事件といえば歴史的出来事だったのに、還暦を過ぎると百年前の事件も身近に感じてしまうのが不思議です。
 中国はアヘン戦争以来の屈辱の歴史などなかったかのように覇権主義的な動きを強めていますが、百年前まで北アフリカから中東・バルカン諸国・東欧の一部まで支配していたトルコの今後はどうなるのか。//