こんにちは。エンリケです。
「陽明丸と800人の子供たち」は、ロシアのこどもたち800人を救った日本人たちの知られざる歴史を発掘した記録です。
最も注目すべきは、第3部の茅原船長の手記で、本邦初公開の一級資料です。
http://okigunnji.com/url/355/
▼ロシア脱出
今から100年ほど前のロシアは、革命や内戦で混乱の極みにありました。
そんな中、食料が不足したため首都のペトログラードを離れてウラル地方に疎開した約800人の子供たちがいました。
疎開は最初、夏の間だけの予定だったんですが、疎開先で激しい内戦に巻き込まれてしまい、そのうち寒波が訪れてきたんです。寒波といってもロシアの酷寒の寒波です。その中で孤立した子供たちは 、凍死・餓死の危機に直面します・・・
そんな子供たちを危機一髪で救い出し、手厚く保護したのが、トリスラー博士(聖路加国際病院の創設者)率いる「米国赤十字シベリア救護隊」でした。彼らは、比較的安全だったウラジオストクまで子供たちを移送しました。
しかし赤化の波はついに極東のウラジオストクに及び、戦闘の危機が迫る事態となります。ロシア極東ではこのころ、わが居留民と軍警備隊が虐殺された「尼港事件」が起きています。現地がどれほど危険な状態だったかよくわかるでしょう。
事態を深く憂慮したシベリア救護隊のアレン隊長は、子供たちを洋上に逃がし、地球を一周して親元に帰そうと決意します。しかし、あまりに無謀な計画とみなされ、自国のアメリカ政府はじめことごとく協力を断られてしまったんです。
ところが思いもかけない救いの手が差し伸べられます。
それが、日本の船「陽明丸」でした。
▼陽明丸の快挙
陽明丸は神戸の船会社社長・勝田銀次郎が所有する貨物船でした。
勝田は私財を投じて貨物船を客船に改装し、子供たちを救う任務にあてます。
総勢1000人の乗客乗員は、国籍の違いを乗り越え、一致団結して2つの大きな海を横断。機雷が漂う危険なバルト海を通過して3ヶ月かけてロシアの隣国フィンランドに到着します。当初の目的通り、子供たちを無事親元に返すことができました。最初に計画案ができてから2年数ヶ月の歳月が流れていました。
陽明丸のこの快挙は、その後1世紀にわたり日本では歴史の闇に埋もれていました。
ところが2009年、サンクトペテルブルク(旧名ペトログラード)で個展を開いた北室南苑さんが、「「ウラルの子供たち」子孫の会」代表のオルガ・モルキナさんから船長探しを懇願されたことで事態が大きく動き出したんです。
北室さんの2年にわたる調査の結果、陽明丸の船長が茅原基治ということがわかり、船長の貴重な手記も発見されました。この発見により、日本は脇役に過ぎず単なる運び屋に過ぎなかったという、これまでの米国側の過小評価は覆りました。
茅原船長はじめ、日本人乗組員らの強い使命感で成し遂げられた陽明丸の偉業がここにはじめて明らかになったのです。この史実は米ロの関係者にも報告され、船長らの名誉回復が成し遂げられました。
リスクを顧みることなくロシアの子供たち800人の命を救った4人の男たち。
彼らの無私の献身と義侠心が成し遂げた陽明丸の実績が、100年の時を経て、今ここにようやく明らかにされます。
陽明丸のなしたことは、すそ野の広さ・スケールの大きさという意味で世界史上に残る大事業といって差し支えないでしょう。人道面で極めて大きな価値を持つ人類史に残る事業であり、ウラジオストクからフィンランドにいたる大冒険物語です。
戦後社会で埋もれていた「素晴らしい日本人の業績」を解明した資料です。
そんな彼らを顕彰し、その魂を後世に引き継ぐための引継書です。
知られざる歴史を発掘した経緯を詳細に記したメモでもあります。
▼茅原船長の手記の発掘
さてこの陽明丸の大事業。民間人の義侠心だけでできるスケールではありません。大きな力が影で支えていたと見るのが自然でしょう。
同じ問い、疑問を持った一柳鵺さんは、ある仮説を立て、推論を裏付ける証拠集めを数年かけて行います。結論から言えば、直接の証拠はまだ見つかっていないんですが、キーマンXは、船長の茅原さんの親族で、シベリア派遣軍の高級幹部を務めていた陸軍少将ではないか?との推論を第二章で示されています。
それにしても、最終章の「ロシア小児団輸送記」。茅原船長の手記はすごい発掘だと思いますねぇ。発掘された手記全文がこの本に掲載されています。
「人生50という峠に達し・・・」で始まる茅原さんの冒頭の言葉には昭和9年元旦という日付があります。
当時の空気感が伝わってくる内容です。
企画を立てたアメリカ側からは「陽明丸のやったことは単なる船による運び屋に過ぎなかった」と見られ、軽く扱われていたようですが、実運用の世界は、そういう言葉で片付けられるほど生易しいものでは決してなかった、そのことが今回の発掘で明らかになったといえます。この事実は大きいですね。
▼書・篆刻家 北室南苑
この史実を発掘した「NPO法人 人道の船 陽明丸顕彰会」理事長・北室南苑さんは書・篆刻家です。芸術家なんです。そういう方が、隠れた歴史の事実を発見したというのが非常に面白いです。本当に素晴らしいです。
突拍子もない問い合わせにびっくりしながらも、あれやこれや前に向かって進む北室さんの姿を通じ、「困った人を目にした以上見過ごしにはできない」という義侠心がいちばんの核だったのではないか?と感じました。この心は、茅原船長、勝田さん、陽明丸の乗員・関係者と通じるものだったのではないでしょうか?
調査の過程で北室さんは、茅原船長や勝田さんなどと同じ心映えに突き動かされる時空を超えた同志になっていたのではないでしょうか?
なかなか進まぬ調査に苦労する北室さんを支えたものは、この世にある力だけではなかったように思います。時空を超えた力も支えていたのかもしれません。あとがきに「神」という表現が出てきますが、北室さんは鋭い感性を通じてこのことを感じ取っておられるのかもしれませんね。
それでは知られざる歴史を発掘した第一級資料の中身を見ていきましょう。
▼目 次
日本の読者の皆さまへ(オルガ・モルキナ)
「陽明丸事績」関連年表
第一部 幻のカヤハラ船長探索記 (北室南苑)
第一章 サンクトペテルブルクでの出会い
第二章 探索開始
第三章 カヤハラ船長を発見!
第四章 たった一冊の船長手記
第五章 人道の船「陽明丸」
第二部 陽明丸大航海 (一柳 鵺)
第六章 革命の荒波をこえて
第七章 ロシアの子供たちのその後
第八章 航海中の陽明丸あれこれ
第九章 陽明丸の四人の男たち
ライリー・H・アレン─シベリア救護隊長
茅原基治─日露米の架け橋
ルドルフ・B・トイスラー─聖路加国際病院の創設者
勝田銀次郎─敬天愛人
古き良き時代の好漢たち
第十章 「陽明丸」七つの謎
五人目の男― 石坂善次郎将軍
第三部 茅原船長の手記 (茅原基治)
ロシア小児団輸送記─赤色革命余話
参考文献
おわりに
第一部は、茅原船長を探し出すに至った経緯を詳細に記した記録です。
第二部では、陽明丸の事績はいかなるものであったか?をいろいろな角度から詳細に解説しています。
第三部が、本邦初公開となる陽明丸船長・茅原基治の手記全文です。
本著を通じて、誇らしい先人に会うことができました。うれしいです。
こういう機会を作ってくれた北室さんはじめ、陽明丸顕彰会の方々、本づくりにかかわったすべての人に心から感謝したいです。
大正時代、日米露の懸け橋となったわが陽明丸の事績が、1人でも多くの日本人、世界の人々の目に触れるよう、こころから望みます。
わが国にはこういう事績がきっとたくさん眠っているはずです。これからもさまざまな実績が発掘されることを期待します。
一人でも多くの方に読んでいただきたい本です。
心からオススメします。
北室南苑
陽明丸と800人の子供たち
http://okigunnji.com/url/355/
エンリケ
追伸
<私にとって茅原船長は、子供時代からずっと伝説的なヒーローのような存在でした。
・・・1920年当時、茅原船長は35歳で、まだ若い男性ではありましたが、腕白盛りの子供たちを扱うには、気配りと寛容さが大切なことを、その賢明な洞察力で理解されていました。
手記の中で、私が最も心を打たれたのは、そういう腕白な子供に対しても、彼らを優しく包み込むような実に温かいお言葉で述べられていることです。
彼らの子孫の1人として、私はその紛れもなく高潔であられたあなたに心からの敬意を捧げるものです。>
「『ウラルの子供たち』子孫の会」代表オルガ・モルキナ
http://okigunnji.com/url/355/
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