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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)8月9日(木曜日)
        通巻第5783号  <前日発行>
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「えっ?」。カスピ海と黒海の間に「ユーラシア運河」を建設
  中国が資金投資による関与か。プーチンは、このプロジェクトに前向き
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 カスピ海から黒海への運河は、小型船の水路としてなら「ヴォルガ・ドン運河」がすでに存在している。
 いわくつきの難工事で、もともとはオスマントルコが、抵抗線として水路の活用を思い立ったが、途中で挫折した。ついでピョートル大帝が建設を復活したものの、途中で中断し、実際に本格工事が開始されたのは1941年にまでもつれ込んだ。

囚人が大量に動員され、1952年に完成した。鉄のカーテンが敷かれた時代だから、西側は、この運河の完成を知らなかった。途中、ポンプで揚水し、水深を調節する関門は17ケ所、最大5000トンの船舶が通過できる。
 カスピ海の東側はトルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンがあって、石炭、鉄鉱石、木材などが運ばれた。

 新しい運河構想はヴォルガ川ルートより南側を、アストラハの南方からおよそ1000キロ、黒海の北西端に位置するロストフへと至る。
 このルートは北カフカス、タゲスタン、カルムイク共和国などを通過する。プーチンが意外に前向きなのは新興財閥の利権となることであり、景気刺激にも繋がり、旧衛星圏だったカザフスタンなどの中国傾斜をすこしでも食い止める政治効果もあると踏んでいるからだ。

 中国側も大いに政治的裨益があると読む。なによりも、習近平の思惑は、資金投入によって中国のシルクロード(一帯一路)の支線としても使える上に、プーチンの中国離れを食い止めるには良い餌と見積もっているからだろう。

 ところが反対運動が起きた。
 通過地域にあるカルムイクは少数民族の自治共和国。もともとチンギス・ハーンの末裔が建国し、いまもチベット仏教を信仰する。人口僅か18万人だが、「首都」にはチベット寺院もあり、かなりの住民はロシア語のほかに、少数民族の言葉=カルムイク語を喋るという。

 この流域住民の反対運動に加わってきたのがモスクワなどにいる環境保護団体の活動家である。
かれらはウスリー川が、蒸留の中国の化学工場爆発によりベンゼン流失で汚染されたおりも、ハバロフスクに集合して中国と補償交渉をした。

 バイカル湖の水をパイプラインを敷設して中国に運ぶという壮大なプロジェクトを持ち上がったときも、イルクーツクにあつまって強硬な反対運動を組織化した「実績」を誇り、この環境保護の活動家らが、新運河建設予定地に集合し始めると、プーチン政権としては厄介なことになる。

 しかしクリミヤに新しい橋梁をかけ、サハリンにも橋を架ける工事を始めたプーチンは、ウラジオストクをすでに見事な都市に変貌させたように、この運河構想に積極的である。

ネックは総工費である。
最低に見積もって100億ドル、水深10メートル、1万トン級の大型船の航行が可能となり、途中の水門は六カ所。最終予算は170億ドルに達するとされ、この資金をいかにして工面できるか?
 資金難が明らかなために、プーチンは中国へプロジェクトへの参加を呼びかけたのだ。

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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 英雄や、それを支えた脇役たちは歴史小説、ドラマでお馴染みだが
  歴史に埋もれてしまった先覚者にも篤い焦点をあてる

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伊藤哲夫『もう一つの明治維新』(日本政策研究センター)
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 題名から推定したことは裏面史、幕末明治のダークサイドに焦点をあてた歴史物かと連想を逞しくしたのだが、さにあらず。歴史の枯れ葉に埋もれた、後世の歴史家からも忘れられかけた、偉大な人物たちの素描である。
 勝海舟や高杉晋作は多くが語られた。木戸考允、西郷隆盛しかり。もし、明治維新を是として、彼らの活躍を「陽」とすれば、「陰」にあたり、それほどの注目も浴びなかったが、偉業を成し遂げた一群の志士がいた。
 伊藤氏が最初に注目したのは高島秋帆である。
 知る人ぞ知る、この人物は長崎に生まれた英傑で、海防論が日本にようやく沸騰しかけた頃に、大砲、火力の重要性を説いて、私費で出島や上海などから兵器体系、新技術書籍を買い集めたうえ、実際に最新鋭の鉄砲や砲も買い込んで、自邸で実験を繰り返した。
 三年前に評者(宮崎)は、長崎に旧高島邸を訪ねたことがある。
タクシーの運転手はまるで知らず、坂の多い小道に車を止めてキョロキョロすると、小さな碑を発見した。その雑草の生い茂った階段をのぼると、意外に中が広く、門をくぐると、屋敷跡はそのまま空き地となっていた。ここで砲術の性能などを実験し、門下生に教えたのだろう。
 高島秋帆は「幕府の防備は時代遅れであり、最新の砲と火力とを整えよ」とする率直な建白書を出した。老中水野の部下だが、守旧派で「蘭学嫌い」の鳥居躍藏が、予算守備の一念から、高島案を退けたばかりか、讒言によって、かれを小伝馬町の牢に収監してしまったのだ。
 日本の防衛力整備は、かくして十年の後れを取った。
先見の目がするどい人物は、守旧派から排斥されるという古今東西のパターンの見本のようである。

このほか高野長英、渡辺崋山、ジョン万次郎らも、本書を織りなすが、白眉は江川(英龍)こと太郎左右衛門である。
伊豆韮山に行くと反射炉の跡が残り、江川の先見性が偲ばれる。
 ここもまた評者、じつは三回ほど行っている。駅からレンタサイクルで、ちょうど30分ほどの距離だろうか、田圃の真ん中にぽつんと反射炉が見える。
 さて本書の最後に、まるで知らない船大工が登場する。伊豆の船大工だった上田寅吉は、技量を見込まれて幕府の新造船から、初めての西洋船建造に尽力した。上田は単なる船大工ではなく、榎本武揚にしたがって函館五稜郭でも戦い、青森の獄に?がれた辛い経験もあるのだ。
 「長崎海軍伝習生から、石川島では洋船の造船に携わり、さらには本格的な洋船の造船技術を学ぶべく、文久二年の幕府留学生に一員となってオランダへ」赴いているのだ。

 上田寅吉は五稜郭戦争ののち「幕府から新政府に移管された横須賀造船所に出仕し、そこで日本最初の国産軍艦の建造に取り組み、成功させる」
 嗚呼、こういう無名のエンジニアあってこそ、日清日露を戦い、世界一の造船技術の国として発展する日本の礎が築かれた。縁の下には無名の努力家がいたことを本書は教えてくれる。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1772回】              
――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(4)
釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

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 清朝崩壊前後のドサクサに紛れ、紫禁城内の多くの宝物は皇帝に仕える宦官によって秘かに持ち出され売り飛ばされ、カネに換えられていた。
その場合、当然のように「雪舟の如く雄渾豪毅な筆」や「光琳の樣な堅實で構圖の優美な靈筆」から売り飛ばされたに違いないから、すでに逸品があろうはずもないわけだ。「予の鈍眼から見」ても「失望せざるを得ない」ような品々しかなかったとしても、それは当然のことだった。

だから「失望せざるを得ない」のは、清朝崩壊という愁嘆場に在って最期の皇帝である宣統帝に殉ずる道を選ぶことなく、先を争って歴代皇帝秘蔵の財宝を売り飛ばし、小遣い稼ぎにセッセと励んでいた宦官のあさましい姿だろう。
だが考えてみれば明日をも知れぬ皇帝に忠誠を誓ったところでロクなことはないわけだから、宦官の「窃盗行為」にも彼らなり事情があったと同情したくもなる。それにしてもアサマシイ限りではあるが。

 財政総長、外交総長の次に総統である「民國の御大將馮國璋」を表敬すべく向かった先は中南海だった。
紫禁城の直ぐ西側に在って元は清朝皇帝の多くの別宅が置かれ、毛沢東を筆頭とする初期の共産党政権幹部が住んで以来、中南海は共産党中枢を形容することになるが、当時から政府首脳が住んでいたわけだ。
ということは毛沢東は歴代権力者の伝統を引き継いだだけ、ということになりそうだ。住まいに関する限り、余り革命的ではない。

「總統の態度は豫想と甚だしく違つてゐて、却々手答へ」があり、「可なり宗?のことに注意を拂つて居」て、「流石に大頭の貫目が多少見えて嬉しく思つた」。

 ここでも釋宗演は仏教の国教化に熱弁を振るうのだが、「宗?の必要は感じてゐます、併し今急に國?を定めると云ふ事は頗る困難であります」と軽く躱されてしまう。だが釋宗演はめげることなく、「孔子?が一般に普及されて居る以上は之を發展せしめて事実上の國?になさるのが適當かと存じます、そして孔子?のなかにも佛?が含まれて居ります、殊に佛?と孔子?とは或る點に於て全然一致して居ると私は信じます」と持論を述べる。

 すると「民國の御大將馮國璋」は「イヤ」と先ず否定してから、「佛?と孔子?とは少しく異つてゐると私は思ひます。孔子?は現在を説いてゐます、佛?は?無を根本として説いてゐます」と両者の違いを説く。

 次いで「孔子の?は先ず人が多數寄集まると富と云ふものが出來てきます、次で其の人々を治める爲めに?と云ふものが生じてくる、即ち人と富と?の三者が鼎立して始めて成立するものであります、然るに佛?は?無と云ふ事から發して現在を説き未來を説いて居ります」と、儒教と仏教の違いを述べ反論してきた。

 だが釋宗演はメゲない。
「法華經の言の如く治生産業皆不與實相相違で俗界の仕事に働くと云う」のであって、仏教だからと言って虚無のみを説いているわけではなく、儒教と仏教とが「二つに離れるものではありません」。それのみか「孔子?の五倫五常と云ふことは吾々佛?の五戒十善の内容と全く同一のものでございます。(中略)儒佛の一致は枚擧に遑がありますん(「ありません」の誤植だろう)」と食い下がった。

 これに対し「民國の御大將馮國璋」は「佛?を排斥すると云ふ意思は毫もありません」と断わった後、「全く五倫が具はつて國家が治まるものであ」るから、儒教を「主?にしたい」と応じた。次いで釋宗演が「君臣の?」について問うと、「孔子は君を最高の者として居りますが、民國では此の君臣の間は政府と人民との關係」であり「政府が即ち君」である。

 だが「此の觀念が未だ一般人民に普及されて居ませんから從つて國家も充分に治まるとは思ひません」とした。
釋宗演は長時間、詳しく話が出来たことは「實に望外の欣びと嬉しさとを禁じ得られません」と話し、約1時間の対話は終わる。釋宗演の独り相撲ではなかったか。

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