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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)8月7日(火曜日)弐
通巻第5780号
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やっぱり中国製だったドローン。ベネズエラ大統領暗殺未遂
ドローンはいつでも殺人兵器になりうる
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ドローンは空中撮影に駆使され、ドキュメントフィルムから不動産の物件紹介、秘境探検など「平和利用」で多くのメリットがある。
とりわけ日本では世界旅行などの番組で、バスを追いかけたり、従来は難しかった手法がドローンノ活用で、多角化している。
だが、一転してダークな目的に転用されると、軍事的には偵察、監視、そして殺人兵器になる。
とくに米軍特殊部隊やCIAは、アフガニスタンで、ドローンを活用し武装勢力の指導者の潜伏先を発見し、除去してきた。
7月4日、ベネズエラでマドゥロ大統領の式典の最中、二機の大型ドローンが飛翔してきた。
プラスチック爆弾を搭載したドローンは、大型で、中国製だった。あやうく難を逃れたが、ドローンへの通信妨害がなされていたためとする。
ベネズエラは事実上、国家財政が破綻しており、鉱区開発権をもつ中国が420億ドルという大金を融資している。
このため、大統領選挙の裏側では、中国の支援が囁かれた。
大統領暗殺未遂は、なにも初めてでもないが、ドローンを兵器に転用したケースは、初めてであり、背後に反政府勢力が蠢動した。米国のジョンボルトン補佐官は「ベネズエラの自作自演説もある」とした。
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1771回】
――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(3)
釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)
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釋宗演が現に仏教の復活が絶望的なら「多少生命を繼いでゐる孔子?を事實上の國?と定めて、國民の幸福を計り思想を統一されんことを希望」したところ、梁啓超は「其厚意を非常に喜んで謝し同感であることを話した」という。
その際の梁啓超の態度は「單にお世辭ばかりでもなかつた様だ」とか。だが、両者の遣り取りは奇妙だ。一方の釋宗演(ということは日本の大方の仏教者)は中国における仏教を誤解し、梁啓超は釋宗演の誤解を判ったうえで「非常に喜んで謝し同感である」と意思表示した。つまりは「單にお世辭」だったように思えるのだが。
いったい中国における仏教の立場は、それが禅宗であれ日本とは違うように思う。仏教が名もなき民衆の日常生活を大きく律しているわけはないから、どだい「國?」化はムリな話だ。
「多少生命を繼いでゐる孔子?」にしたところで、やはり広く流布しているとは思えない。となれば、「多少生命を繼いでゐる孔子?を事實上の國?と定め」たくても定めようがないだろうに。どうやら円覚寺の高僧の誤解に基づく“独りよがり”に基因する一方通行というのが、両者に会話が成り立たなかった背景にあったようだ。
次いで表敬した外務総長の汪大燮に向っても釋宗演は宗教について語りだし、「孔子の道が優れてゐて、宗?の要素を遺憾なく持つてゐる故、之を向上せしめて不文の國?としては」と慫慂する。
これに対し汪大燮は「別に異議はない」と応える。これに気を良くしたのか釋宗演は、「孔子の?に君臣の關係を嚴格に説いてあるが、今の御國の状態では夫が全然一致しないと思ふが」と問い掛けた。すると汪大燮は「是は一應尤ものことだが」と口にしたうえで『易』に記されている「小康大同」の4文字を持ち出し、「君の字を狹く解する必要はない、廣い意味に用いて差支えない筈である、モツト低く云へばお互いに使ふ所の君とか僕とか云ふ時の字も、同一の字を用ふるではないか」と返してきた。
随行者・二條毅堂は汪大燮には「此(仏教や儒教)の方面の研究に充分向ける程の餘裕は絶對にないことと思」い、「隨分窮した答辯を捻り出した」と酷評する。
だが、ここでも梁啓超との遣り取りと同じように、釋宗演の解釈に問題があるはずだ。「君の字を狹く解する必要はない、廣い意味に用いて差支えない筈である」という汪大燮の見解が正しいと考えられる。
どだい融通無碍の人々である。日本化された厳格な概念をぶつけたところで、彼らにとってみれば余り意味をなさない。
まさにすれ違い。思い違い。これが同文同種の実態である。
同じ漢字を使い、同じく儒教経典を繙き、同じく仏教を学んだとしても、その内実には千里万里の径庭があるということを、やはり日本人は理解しておくべきだったろう。これは現在にも通じるはずだ。
「有名な萬壽山に遊」んだ際、「其の規模の宏大なる事は支那式を發揮してゐて、其の思ひ切つた計劃は將來を考へないで、唯現代に理想を實現すれば滿足と云つた調子に思うはれた」と嘲笑気味に感想を綴った後、とはいうものの「考へ方によつては痛快な筆法である、將來ばかり考へていぢけてゐる島國人の到底眞似の出來ない藝當である」とした。
「將來ばかり考へていぢけてゐる」かどうかは異論のあるところだが、いずれにせよ「島國人」からすれば、「計劃は將來を考へないで、唯現代に理想を實現すれば滿足」であるなんぞという彼らの振る舞いは判る訳がない。逆も、また然り。
紫禁城で宝物参観の機を得る。「陳列範圍が甚だ狭いが澤山古畫が陳列」されていた。
「予の鈍眼から見ると雪舟の如く雄渾豪毅な筆なく、又光琳の樣な堅實で構圖の優美な靈筆は無いように思はれた、是等が支那の代表的繪畫とすれば失望せざるを得ない」。
まあ、「雄渾豪毅な筆」や「堅實で構圖の優美な靈筆」なんぞ求めるだけムリです。
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)広島へ史上初の原爆が投下されて満73年。
日経新聞・朝刊(1面『春秋』)は、「日本中の都市が次々に焼け落ちていくのに」と題して、次のように述べている。
「日本中の都市が次々に焼け落ちていくのに、なぜか広島には空襲がなかった。・・・そのころ米軍は日本本土への原爆投下計画を着々と進め、・・・犠牲とする都市を絞り込んでいた。さまざまな候補地が浮かんでは消え、実際に投下されたのが広島と長崎だった。核を使うため、2つの都市は『温存』されて焼夷弾の猛威を免れていたのである。『直径3マイル(約5キロメートル)以上の大規模市街地を有すること』『爆風によって効果的な損害を与えうること』。目標検討委の議事録に、投下都市の条件を挙げた記述が残る。広島はそれにぴったり合っていた。・・・淡々たる、そして残酷な筆致だ。計画は無慈悲に遂行され、安芸門徒の国はおびただしい数の命を失った。73年前の、きょうのその朝まで無事を保っていた都市を一瞬にして滅ぼした非道である。」
そして、文末を「ひたすら原爆投下へ突き進んでいった米国。情勢を見極められず、いたずらに惨禍を拡大させた大日本帝国。歴史に学ぶべきことが、まだまだ山のようにある。」と結んでいる。
これを読んで想起するのは、米国は、原爆を投下するまで日本を降伏させないように図った、とする鳥居民氏の説(『昭和史を読み解く』草思社、2013年。『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』草思社、2005年。)である。
少し長くなるが、鳥居氏の説を以下に挙げておく。
広島・長崎への原爆投下がなぜ行われたかについては、戦後長くにわたって流布されている二つの伝説がある。
一つは「百万人の米国人兵士の生命を救うためだった」という、ハリー・トルーマン米国大統領の口上である。
もう一つが「日本がもっと早くポツダム宣言を受諾していれば避けられた、当時の首相・鈴木貫太郎が降伏しなかったことが原爆投下を招いたのだ」というものである。
しかし、この二つの「伝説」には決定的な誤りがある。ポツダム宣言の内容は、日本が決して受諾できないよう直前に変更されていた。
戦後、突如登場した「百万人の戦死者」という「創作」と、ポツダム宣言の内容変更には、いずれも二人の人物が密接に絡んでいた。トルーマン大統領と国務長官ハリー・バーンズである。広島・長崎への原爆投下は、この二人による意図的なものであり、そのために「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」という綿密な計画の下、実行されたのである。
5月8日にドイツが降伏して以降、トルーマンはソ連がいつ対日参戦するかを執拗なまでに知ろうとする。ソ連が参戦すれば日本が降伏し、原爆を投下するチャンスを失ってしまいかねないからだ。
5月31日と6月1日には原爆開発に関わった科学者を集め、会議を牛耳ったバーンズは、「できるだけ早く日本に対して原爆を使用する」「目標は都市とする」「事前警告をしない」の三項目、いわゆるバーンズ・プランを決定する。
7月24日、トルーマンは原爆投下命令の案文を作成、そしていよいよ7月26日に「ポツダム宣言」を発表する。ここには、最初の草案とは大きく異なる点があった。共同署名国からソ連が消されていたこと。そして、第12項目「天皇の地位の保持」が、まるごと削除されていたことである。
当時、日本は6月22日の天皇の「戦争終結の決意」を受け、降伏の準備を進めていた。7月12日には、東京からモスクワへ「大至急・親展」と電報が打たれたが、その内容は米国陸軍情報部に解読され、日本が、早急な和平を求め、ソ連を仲介役にしようとしているという情報は、トルーマンのもとに届いていた。
共同署名国からソ連を外すことによって、日本をしてソ連が和平の仲介に立ってくれるものと信じこませた。そして「天皇の地位の保持」を削除して、日本にこの宣言を無視させるように企んだ。さらに巧妙なのは、ポツダム宣言は、それが最後通牒であることを意識させないように、形式も伝達方法も公式の外交文書とは違う「宣伝文書」のような形で発表したのである。
かくして気息奄々だった日本の降伏は遅れ、原子爆弾は何の警告もなく、8月6日に広島、8月9日に長崎に投下された。ソ連は広島に原爆が投下されるや、日本がただちに降伏することを恐れ、予定を早めて8月9日に満州に侵攻した。
そして8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権を変更するとの要求を包含していないとの了解のもとに」との条件をつけて、米国政府にポツダム宣言の受諾を伝達。米国は天皇の地位の存続を暗黙のうちに承認した「バーンズ回答」を出した。しかし、その内容は実質的には「天皇条項」を復活させただけのものだった。
結局、7月26日のポツダム宣言で「天皇条項」を削り、8月11日に再び「天皇条項」を戻すまでの16日間は、2種類2個の原子爆弾を日本に投下するための期間でしかなかったのである。
(CAM)
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(読者の声2) 広島原爆投下事情について。 8月6日は73年前の広島原爆被害の日だった。//

