■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
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あえかにわかき新妻を 君わするるや
中島兄哥は、強きを扶(たす)け弱きを挫く、平成の侠客だ。気っ風がよい。姐さんは後光がさすように、微笑(ほほえ)む。
兄哥さんは朝起きると、「向ひゐて見れども飽かぬ吾妹子(わぎもこ)」(安倍蟲麻呂、万葉集)と、口ずさむにちがいない。
私も妻鈍(さいのろ)では、負けない。妻鈍は妻にだらしないほど甘い夫で、明治以後の造語だ。
私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。
外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。
最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。
やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。
そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。
父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物を、もっぱら愛護するようになった。
正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。
男には気負いが、必要だ。意気ごみが男をつくる。
気が天地を満たし、活力の源となる。いつも研ぎ澄まされた刀身を、心の鞘に収めていなければならない。
刀身と同じように、匂ふような男とならねばならない。「匂ふ」は古語で「輝く、美しい」を意味する。
女性に懸想し、言い寄ることを、古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。
“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。
たまに美女に出あうと、気が散ることもある。たまに乱れることも、正常さを保つために必要なのだ。
私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。
あえかは、「かよわい、たよりない」という意味である。
それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は、男の矜持を欠いている。閣僚や、県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。
大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の安物の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。
財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を「あえかな花」(帚木)と、描いている。
江戸時代に夜鷹は、引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。
もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで、禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。
私は武道に携わってきたが、「心、姿勢、技」を、その順で重んじることを、旨とすべきことを教えられた。
「姿勢」は肉体的な姿勢だけではなく、人生に対する姿勢でもある。「技」が最後にくることが、眼目である。
高学歴の高級官僚や知事が、人足か無宿者か、女衒(ぜげん)のように卑しいのは、この3、40年の教育に、大きな欠陥があるからだ。
現代の日本では、小学校から大学まで教えることはしても、育てることをしない。
「心」や、「姿勢」を整えることを御座なりにして、「技」だけ教えるために、今日の惨状を招いているのだ。
このような政治や、行政を預かる者ばかりでは、日本が遠からずしておもいやりが欠けた、心無い社会になってしまおう。
無宿者は人別(にんべつ)帳から外されて、さすらっている者をいい、物乞いも非人として扱われたが、総じて心が貧しく、野卑で荒(すさ)んでいた。
江戸期には全国にわたって、庶民の子を教育するために、大小2万校以上の寺子屋があった。
すべて町や、村の地域社会の手造りの学校だった。教科書は往来物と呼ばれたが、7000種以上が現存している。
寺子屋では4年間のうちに、読み書き、算盤のほかに、農業、漁業、商業など、それぞれの地域に合わせた、生業を教えた。
男女の師匠は、礼儀、作法、精神修養にことさら厳しかった。教育は何よりも徳育だった。このようにして育てられた庶民が、幕末から明治にかけて、輝かしい近代の日本を建設した。
技しか知らない者は、巾着切(きんちゃくき)り(掏摸(すり))か、空き巣狙いと、かわらない。
幕府には教育を担当する役人が、1人もいなかった。私は文科省を廃止して、教育を地方社会に委ねるべきだと思う。
夜這いは平安時代には、けつして下卑(げび)た行為ではなかった。「婚(よば)い」とも、「懸想(よばい)」とも、書かれた。男たちは相問歌や、懸想文(よばいぶみ)に、一輪の花を添えて、あえかな花を摘みに、思い人のもとに通った。
女は男を映す鏡だ。このような下卑た男ばかりでは、日本にとって、何よりも大切な宝である女が劣化する。
私は日本の美風を守るために、女性を大切にしてきた。これからも、心と姿勢を正してゆこうと、決めている。
(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者)
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あえかにわかき新妻を 君わするるや
中島兄哥は、強きを扶(たす)け弱きを挫く、平成の侠客だ。気っ風がよい。姐さんは後光がさすように、微笑(ほほえ)む。
兄哥さんは朝起きると、「向ひゐて見れども飽かぬ吾妹子(わぎもこ)」(安倍蟲麻呂、万葉集)と、口ずさむにちがいない。
私も妻鈍(さいのろ)では、負けない。妻鈍は妻にだらしないほど甘い夫で、明治以後の造語だ。
私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。
外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。
最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。
やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。
そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。
父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物を、もっぱら愛護するようになった。
正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。
男には気負いが、必要だ。意気ごみが男をつくる。
気が天地を満たし、活力の源となる。いつも研ぎ澄まされた刀身を、心の鞘に収めていなければならない。
刀身と同じように、匂ふような男とならねばならない。「匂ふ」は古語で「輝く、美しい」を意味する。
女性に懸想し、言い寄ることを、古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。
“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。
たまに美女に出あうと、気が散ることもある。たまに乱れることも、正常さを保つために必要なのだ。
私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。
あえかは、「かよわい、たよりない」という意味である。
それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は、男の矜持を欠いている。閣僚や、県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。
大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の安物の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。
財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を「あえかな花」(帚木)と、描いている。
江戸時代に夜鷹は、引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。
もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで、禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。
私は武道に携わってきたが、「心、姿勢、技」を、その順で重んじることを、旨とすべきことを教えられた。
「姿勢」は肉体的な姿勢だけではなく、人生に対する姿勢でもある。「技」が最後にくることが、眼目である。
高学歴の高級官僚や知事が、人足か無宿者か、女衒(ぜげん)のように卑しいのは、この3、40年の教育に、大きな欠陥があるからだ。
現代の日本では、小学校から大学まで教えることはしても、育てることをしない。
「心」や、「姿勢」を整えることを御座なりにして、「技」だけ教えるために、今日の惨状を招いているのだ。
このような政治や、行政を預かる者ばかりでは、日本が遠からずしておもいやりが欠けた、心無い社会になってしまおう。
無宿者は人別(にんべつ)帳から外されて、さすらっている者をいい、物乞いも非人として扱われたが、総じて心が貧しく、野卑で荒(すさ)んでいた。
江戸期には全国にわたって、庶民の子を教育するために、大小2万校以上の寺子屋があった。
すべて町や、村の地域社会の手造りの学校だった。教科書は往来物と呼ばれたが、7000種以上が現存している。
寺子屋では4年間のうちに、読み書き、算盤のほかに、農業、漁業、商業など、それぞれの地域に合わせた、生業を教えた。
男女の師匠は、礼儀、作法、精神修養にことさら厳しかった。教育は何よりも徳育だった。このようにして育てられた庶民が、幕末から明治にかけて、輝かしい近代の日本を建設した。
技しか知らない者は、巾着切(きんちゃくき)り(掏摸(すり))か、空き巣狙いと、かわらない。
幕府には教育を担当する役人が、1人もいなかった。私は文科省を廃止して、教育を地方社会に委ねるべきだと思う。
夜這いは平安時代には、けつして下卑(げび)た行為ではなかった。「婚(よば)い」とも、「懸想(よばい)」とも、書かれた。男たちは相問歌や、懸想文(よばいぶみ)に、一輪の花を添えて、あえかな花を摘みに、思い人のもとに通った。
女は男を映す鏡だ。このような下卑た男ばかりでは、日本にとって、何よりも大切な宝である女が劣化する。
私は日本の美風を守るために、女性を大切にしてきた。これからも、心と姿勢を正してゆこうと、決めている。
(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者)