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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)6月25日(月曜日)
         通巻第5736号
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 ベトナムとフィリピンで「反中デモ」が再燃
  「中国はでていけ」「スカボロー岩礁から立ち去れ」
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 ドゥテルテ大統領はフィリピン領海のスカボロー岩礁が中国に盗まれ、ハーグ國際裁判所が「中国の言い分には根拠がない」という判決をだしたにも関わらず、中国に厳重な抗議せず、むしろ中国から援助を獲得するという狡猾な外交を展開した。
 二年間のドゥテルテ大統領の対中外交は一定の成果をあげたかに見えた。

 漁場を失った漁師らは執拗に政府に抗議し、フィリピン外交の弱腰を批判してきた。
しかしドゥテルテ大統領は「中国と戦争をしたら勝てるはずがない」「中国から物資が輸入できなくなり」「出稼ぎ労働者が中国で解雇され」「バナナは陸揚げを拒否されて腐ったではないか」と、むしろスカボロー沖合の資源開発を共同で行うアイディアを振りかざし、習近平とは何回もの会談をこなした。
またミンダナオのイスラム都市マラウィの復興には中国資本の参入を歓迎する。


▲フィリピン政府はパシフィズム

しかし、スカボロー岩礁に中国軍が軍事施設を構築して以後、「近海から魚がいなくなった」と漁民が訴える。「もぅあそこは漁場ではなくなった。昔のように豊かな資源の漁場に戻して欲しい」。
ところが中国とフィリピンの沿岸警備隊が共同パトロールすることで合意した沿岸警備活動も、いまでは「フィリピンの警備艇はいない。付近をパトロールしているのは全部、中国の艦船だ」と地元漁民はフィリピンのテレビのインタビューに答えている。
フィリピンの民衆は立ち上がって「スカボロー岩礁から中国は立ち去れ」のスローガンを掲げ、マニラ市内て反中デモを展開した。
2009年制定の「フィリピン基本法 第9522号」にはスカボローはフィリピン共和国の領土と明記されている。

 一方のベトナム。
 一党独裁の全体主義国家でもあるベトナムは、中国との友好関係を謳い、中国企業の工業団地を提供するとして以来、反中抗議デモが全土で展開されている。
 デモ隊は中国企業の工場に繋がる高速道路を塞ぎ、ホーチミンから始まったデモは、ダナン、ハノイへと伝播した。またたくまに数千の労働者らが抗議の列に加わり、台湾企業まで巻き添えをくらって、生産活動が停止した。


 ▲ベトナムの反中暴動の背後にあるもの

 ベトナムでは2014年に大規模な反中暴動が発生し、中国人に死傷者がでた。ベトナムの怒りはスプラトリー諸島領海に展開される中国の海洋リグ開発を巡って、中国海軍がベトナムを威嚇し漁船を追い払い、何隻かを沈没させ、そのうえ近くに島にミサイル基地を建設したからだった。

 2018年のデモは、ベトナム共産党が中国企業用に特別団地を三箇所、99年租借という条件で提供するという議会の動きに反撥しておこった。
これら工業団地創設プロジェクトは、総計68億7000万ドルの投資となり、またヴィンタン水力発電所の建設も中国がオファーしているが、総工費は17億6000万ドル。

 くわえて貿易関係ではベトナムの出超がつづき、そのうえに中国からの観光客と、マンション建設などへの投資が顕著なった。表向き、中国の侵略行為を非難しながらも、投資と貿易は歓迎という二枚舌がベトナム政府の姿勢だった。
 「中国は交易増大、輸出の拠点が欲しい。ベトナムは中国の投資と金が欲しい」(ロバート・ロス、ボストン大学教授)。

 したがって民衆の怒りをもっともしながらも、ベトナム政府は都市部での抗議行動には弾圧をもってのぞみ、百名の抗議デモ参加者を逮捕した。ハノイの中国大使館が「在ベトナムの中国人の生命と財産を守るようにk」との要請に応えたからだ。

 民衆の反中抗議デモの目的は「ベトナム領土から中国を叩き出せ」「中国に一寸の土地も渡すな」だが、実際は反中行動というよりも、全体主義独裁のベトナム共産党批判が、真の目的である。

共産党支配層は、そのことを熟知しており、最近はネットの監視を強めて、反政府言論を厳しく取り締まり、言論空間を圧殺しつつある。
 ベトナムが最近議会を通過させた「サイバー・セキュリティ法」はフェイスブックやグーグルに対して、データの蓄積はベトナム国内で行えとしている。

 ベトナム議会は「99年租借を認める」法案審議を秋に延ばして抗議デモとの妥協を図った。
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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 あまたいた妖怪変化。孫文に張作霖親子、王兆銘、李哲元、張自忠エトセトラ。。
  ソ連に愛想を尽かされ絶望の淵に落ちた毛沢東、起死回生の秘策とは

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田中秀雄『中国共産党の罠』(徳間書店)
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 かの「日中戦争」は中国共産党と背後にあったコミンテルンの謀略によって巧妙に仕組まれた世紀の陰謀、罠だった。結果的に蒋介石は駒として弄ばれたのではないか。
 本書は現代中国史の論客、田中秀雄氏が心血を注いで叙述した裏面史。それこそ満州事変から廬講端事件まで、表向きのプロパガンダを覆し、本当は何が起きていたかを、様々な第一級史料と照合しながら迫る労作である。
 用いられる資料は、今日の現代史家が見落としてきた、あるいは左翼や親中派の歴史家が「意図的」にスルーしてきた重要な報道、回想録、インタビュー、そして当時の夥しい刊行物である。

 しかも田中氏は意外なことにエドガー・スノーの著作を屡々引用する。というのも、嘘だらけのスノーの親共産党プロパガンダ的な報道に、いっぺんの真実、僅か一行の記述に、ホンネが秘められているからである。
 スノーの墓は北京大学の敷地の中にひっそりとあるが、後年、スノー未亡人が語ったところに拠れば、「文化大革命の最中に訪中した彼は、毛沢東の神格化と独裁に幻滅の思いであった」という。
 評者(宮崎)も、数年前に石平氏の案内で北京大学構内をゆっくりと歩いた折に、所謂「北京大学版・三四郎池」の側にひっそりとスノーの墓があることを発見した。石氏の指摘がなければ見落とすところだった。
 本書の骨子は「満洲事変から廬溝橋事件」までに絞りこまれ、「満洲が日本の国防上いかに重要であったか、また満洲建国とその後の日本の行動の正しさの証拠」を列挙しつつ、「アジアに重点を移したコミンテルンの世界戦略、これと協働する中国共産党の満洲事変前からの策謀の実態、彼らが防共の砦としての満州国を打倒し、中国国民党を放逐し、中国を共産化するためにいかなる手段をもちいたか」を白日の下に晒すことにある。
 歴史的経緯は日清・日露の闘いにあるが、義和団の大混乱。そのどさくらに紛れて、ソ連は満洲全域を占領した挙げ句、「1896年には、ロシアと清国の間に対日軍事同盟密約が結ばれていた。その存在の噂はポーツマス会議以前からあったのだが、日本は確信ができないまま」、ポーツマス会議が進んでいたのだ(16p)。

 しかしシナの「実情を理解しないアメリカは、中国北京政府にとっては絶好の標的であった。外国の利権回収という目的達成のためにアメリカを利用するのだ」(21p)
 アメリカを舞台にシナのスパイや宣伝隊が躍動し、ジャーナリストを買収し、世論誘導工作を行った結果、アメリカの世論は日本に冷たく、シナに同情的となった。
 誤解を解くために新渡戸稲造は渡米し、各地で演説したが、短期的地域的理解しか得られなかった。とにかく日本は宣伝が下手なのである。
 そのうえ日本には東洋の理想という大義があり、中国とは友好関係が構築できるという理想論が先走り、善意の行為を続けた。

 その全てが中国人によって踏みにじられた。
 「支那は長年の日貨排斥、即ち廉価なる日貨を排斥し、高価なる西洋品を購入し来たれることにより、出超国が入庁国となり」(135p)、財宝、資金は海外へ流出した。中国経済は疲弊し、経済的破綻の惨状を描いていた。
 当時、酒井隆(支那駐屯軍参謀長)が『満洲時報』(昭和9年11月23日付け)に中国の裏切りの風土を語っている。
 酒井はこうも指摘した。
 「日本人はよく日支親善というけれども、この一語を聞いて、支那人の頭に、ピンと来るものは、利益交換主義である(中略)。一対に物事を僻(ひが)んで考えることと、機会ある事に自己をなるべく高値で売りつけようとする」(168p)
 彼らが命の恩人を避けるのは、そのときに代償を求められるからである。頭の中は貸借対照表で成り立ち、一流の駆け引きをもっとも得意芸とするのである。
 また支那人は約束事を守らない。
協定、条約を厳格に遵守する日本と、この点が根底的にことなり、いつも臍をかむのが善意に溢れる日本人である。
 一例を挙げる。
1936年8月、米国ヨセミテで開催された太平洋会議で身勝手な演説をした胡摘に対して日本代表の吉沢謙吉が次の反論をした。
 「ワシントン会議で日本は九カ国条約を結び、山東省を中国に還付し、関税自主権を認めた。関税自主権で率先したのは日本である。しかるに中国はこの恩を仇で返す。関税をどんどん上げて日本商品の流通を阻止した。あまつさえ日本との条約上の義務を守らず、鉄道平行線をつくるなどして日本の権利を取り上げようとした。中国に対する我々の融和的態度が官署の態度で迎えられず、中国側の継続的な暴力政策にあったことが満州事変の原因である」(213p)

 西安事件で国民党優位の軍事状況を戻した共産党は、それでもモスクワから信頼を得ていたわけではなく、周恩来は廬山におもむき、蒋介石と会談しているが物別れに終わっている。
第二次国共合作が陰謀的である事態に蒋介石は腹を立てていた。
 そのうえ、日独伊防共協定が締結されると、
「ソ連の国民党に対する比重が共産党より高くなっている。ボゴモロフ・ソ連大使の帰任がまぢかで、彼へのモスクワからの指示には、中国共産党との緊密な連絡を絶ち、これを指導することで中国の統一を妨害するのは止め、国民党の国内統一に協力することがあるという(中略)。そうした自党軽視の環境変化を毛沢東は敏感に感じ取っていただろう。南京政府の貨制改革が成功すれば、わが共産党には脅威である。乾坤一擲の勝負をかけるときが来てはいないか。国民党と日本軍を戦わせるのだ。『抗日戦争をすることにより、革命勢力は政権に就くことが出来る』と周恩来は言う。しかも『抗日戦争の初日が蒋介石失脚の始まりを意味する』のだ。。。」(268p)。

 かくて廬溝橋の発砲は中国共産党によってなされた。
 「国民党は1928年以来の無責任な排日政策、反日教育に自縄自縛され、それを共産党に逆用されることにより、対日開戦をせざるを得ない羽根に陥らされたのである。自業自得というべきであろう」(288p)。
 こうした歴史的事実は、今日の日中関係、ときにふんぞり返り、ときに猫なで声の豹変男たち、江沢民、胡錦涛、習近平の立ち居振る舞いや、対米外交における反日宣伝の謀略、約束を守らず、自己を高く売り抜ける処世など。満洲事変から廬溝橋までの近代史を彷彿とさせてくれるのでは//