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「歌を味はふ」といふこと

池松伸典
■■ 転送歓迎 ■■ No.2779 ■■ H30.05.16 ■■ 7,946部■■

 合宿教室の参加必携書『短歌のすすめ』に、脇山良雄先生がお詠みになった連作11首が載ってゐる。昭和38年4月、長崎県大村湾の近くで行はれた「長崎大学信和会」の合宿にオブザーバーとして参加された時に詠まれたものである。当時、脇山先生は55歳であった。先生は長崎県立長崎中学校から五高、京大と進まれ、長崎市内で書店を経営されてゐた。

 私は大村湾に近い諫早市の出身で、昭和38年と言へばまだ小学校の二年生だった。ずっと後、大学を卒業して長崎に戻った折、お亡くなりになる前の一年半ほどの間、勉強会でご一緒させて頂いた。

 この度、先生の連作を改めて拝読して心が洗はれる感じがした。次はその中の三首である

   底ひまで澄める潮(うしほ)にかこまれて秋(あき)津島根(つしまね)の清らなるかな
   さざ波の打ちよするごと春風の吹きよするごと若き魂(たま)よる
   騒がしき世をはなれ来て春の海澄める底ひの石(いは)を見つむる

 大村湾は佐世保湾と一部が繋がってゐてその他は陸が取り囲んでゐる波穏やかな海である。繰り返すさざ波の心地よい音と海底の石が見てとれる澄んだ海を見つめながら、その情景とこの合宿に参加してゐる学生達の心の清らかさとが重なり合って詠まれてゐて、心が洗はれ清められていくやうな感じがするのである。

 この合宿に同じく参加されてゐた小田村寅二郎先生(国文研初代理事長)が、この連作短歌について次のやうに学生宛の書簡に書かれてゐる。

 「脇山さんは、こんな歌がいつでもおできになる方かどうかは私は存じません。…(素晴らしい歌を詠むために)もし経験の差(がある)というならば、〝私のことは忘れて、国を思うこと、世を思うこと、人のことを思うこと〟について〝ちぢに─大変こまやかに─心をくだいてきた経験〟とこそいうべきでしょう」(カッコ内は補記)

 小田村先生と脇山先生のご交流がどのやうなものであったかは私には分らない。ここでは経歴などの知識は無用で、小田村先生はこの短歌の三十一文字を通して一瞬の裡に人のまごころを感じ取ってをられることに深く教へられたのである。ともすると我々は歌の内容を味はふ前に、その人についての種々の情報を得ようとし、その情報量が多いほどその人に近づけると思ひがちである。

 確かに情報は必要かもしれないが、あくまで言葉を通じて相手の心に触れていかうとする姿勢があって、初めてその情報は生きてくるものだと思ふ。情報過多の現代においては様々な知識を容易に得ることができるが、その代償として、言葉に触れて人の心を直に感じとる能力が衰へてきてゐるやうに思はれてならない。

 小田村先生はさらに「脇山氏のうたのすばらしさに同感されても、それは経験がある方だから、といって自己との比較は遠ざけてしまわれ勝ちと思います。私は、それはいけないことだ、とここで注意しておきたいのです」とも書かれてゐる。

 今の私は脇山先生のご年齢を過ぎたが、とても上記のやうな歌は詠めない。「ちぢに心を砕くこと」を疎(おろそ)かにしてきたからであらうし、日々の仕事にかまけて自分を見つめ直し人のことを思ひやることから遠ざかってゐたためでもあらう。
先生は常日頃から手帳に和歌を認(したた)め、「技巧を凝らしたりせず、ただ自分の日記代わりの心の記録として歌を詠んだのである」と親族の方が先生の遺歌集『楠若葉』に書いてをられる。

 最近、短歌はテレビなどでもよく取り上げられるが、奇を衒(てら)ふ感じのものが多い。さういふ歌もあるだらうが、万葉の時代から詠まれてきた短歌といふ表現方法は単なる文学的なものといふよりは、本質的には「ちぢに心を働かせる」ことで人のまごころを確かめつつ生きていくためのものだったやうに思ふのである。

 防人から天皇の御歌まで貧富性別に関係なくあらゆる階層の人達が歌を詠んできた。さうした歌を味はふだけで万葉人の心根を蘇らせることができる。「感動」は時間とともに薄れて単なる記憶になりやすいものだが、この感動を正確に詠む努力を続けることで、人のまごころを感じ取る力も身につくのではないかと思ふのである。

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