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★小誌通巻5700号突破記念特大号
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)5月14日(月曜日)
         通巻第5701号
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 中国、ついに切り札「王岐山」を米国へ派遣
  劉?副首相では頼りにならない(?)。米中貿易戦争
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 劉?副首相はワシントンで軽くあしらわれ、協議の成果は何一つなかった。米中貿易戦争回避という特別任務は、彼の方には重すぎた。

 それもそうだろう、米国の対中貿易協議の交渉団の布陣は、これほど対中タカ派をよく揃えたと感心するほどにライトハイザーUSTR代表、ナバロ通商政策局長、その後に控えるのがムニューチン財務長官とロス商務長官だ。
 かれらはトランプの姿勢に共鳴している男たちなのである。

 米国の中国に対しての強烈な要求は2020年までに対米輸出を2000億ドル減らせというもので、具体的な工程を求めている。
でなければ1300品目に対して制裁関税を掛けると、脅しなのか、本気なのか、この基本線を譲る構えはない。

 北京での米中経済協議は物別れに終わり、5月第二週に中国はふたたび劉?副首相をワシントンに派遣したが、たんなる経済学者相手に交渉しても政治力がなければ交渉の決断は無理とばかり、冷遇されている。

 そこで中国共産党は、とっておきての切り札、王岐山国家副主席をワシントンに派遣して、中国交渉団のトップに据えるかまえ。これまでアメリカからの受けも良く、対米交渉の責任者だった王洋は、すでに飾りのポストでしかない政協会議主席に回されており、蚊帳の外である。しかし王岐山が渡米して、はたして何処までの進展があるか?
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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 「朝鮮侵略」などと言われたが、ようやく明かされた秀吉の朝鮮出兵の真実
  キリスト教の野望を潰えさせたばかりか、スペインは日本の脅威に備えた

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平川靜『戦国日本と大航海時代』(中公新書)
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 おりしも日本政府はユネスコに対して「潜伏切支丹」を世界遺産に登録するように本格的な働きかけをなし、登録が確実視されている。
熊本県、とくに天草の島西南部と、長崎県の長崎市外海、平戸などに散在するキリスト教会、長崎市内の大浦天主堂など12の教会は切支丹伴天連が禁止された時代を生き延び、マリア像を貝殻などに偽装して「隠れ信者」を集めたという。
 評者(宮崎)はこれらの教会をほとんど見ているが、天草の隠れ教会は岸壁に位置していたり、外海の各地でも美観をほこる場所にひっそりと建っている。この因縁からか遠藤周作文学記念館は、外海の崖っぷちに建つのである。
 しかし、なぜ禁教に至ったかを日本政府は先に国際社会に説明しなければならないだろう。「世界遺産」をこのまま登録されては、日本がまるで時代錯誤的な宗教弾圧国家と誤解されないからだ。

 日本は当初、キリシタンバテレンに寛大だった。
 本書はかかるべくして書かれた、正当な歴史書である。あの大航海時代に、世界を荒らし回ったスペインとポルトガル。しかし日本は世界最強のスペインの侵略を跳ね返したばかりではなかった。スペインは植民地化し軍事拠点としていたフィリピンで厳重に武装を固め、日本からの攻撃に震えながら備えたのだ。
 こうした真実は長きにわたって歪められて解釈されるか、無視され続けた。
 近年、キリスト教の宣教師たちが侵略の先兵だったことは広く知られるようになった。貿易の利を吹聴しつつ、ホンネはキリスト教の武装集団を日本国内に組織化し、いずれ国家を転覆して日本をまるごとキリスト教の植民地にする。日本に運ばれる珍品は、ときに彼らが倭寇も顔負けの海賊行為を働き、ほかの貿易船から盗んできた。ようするに南蛮船とは海賊船と同義語でもあった。
 異教徒の宣教師が日本に上陸して布教を始めたのは九州が最初だった。大友氏、島津氏、そして長州では大内氏がめずらしくもあった異教に寛容だった。なにしろデウスと日本の神様が似ているという故意に歪曲された解釈がまかり通ったからだ。マリアは観音様に模された。
いくつかの領内では仏教寺院が破壊され、仏僧らは強く抗議していた。にもかかわらず信長はキリスト教の布教に異様なほど寛容だった。

信長は比叡、石山ならびに伊勢の一向一揆に手を焼いており、この当面の敵に対応するためにキリスト教を利用しようとした。
 信長が派手に演出して正親町天皇も列席した「馬揃え」(軍事パレード)は、お祭りだったという浅薄な解釈があるが、この馬揃えには宣教師のウォリヤーノ(イエズス会インド管区巡察師)も招かれていた。驚くべし、天皇と異教宣教師が同席したのである。それ以前に正親町天皇は、伴天連追放の綸旨をだしていたにも拘わらず。
 平川氏は、これを「このパフォーマンスは諸大名向けというに留まらず、まさに天皇とイエズス会の上に信長が君臨するというメッセージ」だと解釈する。
 「ザビエルが来日してから、わずか40年にして、日本のキリシタン人口は約20万人あるいは30万人に達したといわれている。この勢いに気をよくしたイエズス会は、切支丹大名を支援して日本をキリスト教国に改造することを構想していた」。
 そのうえ日本人を拉致し、アジアからインドへ奴隷に売り飛ばして巨富を稼ぎ出した。戦国大名の何人かをキリスト教で洗脳し、当該藩内では寺院を打ち壊した。まさにキリスト教の野望、とどまるところがなかった。
 あまつさえキリスト教になった大名を煽動して、シナ侵略の手先につかえば、日本の武士の戦闘力は高いから、きっと役に立つと述べている宣教師らの本国への報告文書が、次々と発見されている。
 秀吉は早くからその脅威を認識していたが、全面禁止に到らなかったのは、かれらが運んでくる文明の利器、世界情勢に関する鮮度の高い情報が必要だったからである。
 しかし「朝鮮出兵によって日本は、朝鮮および明国の軍隊と干?(かんか)を交え、それと前後して、世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求するなど、強硬外交を展開した。朝鮮出兵という、日本による巨大な軍事行動は、スペイン勢力に重大な恐怖心を与えた」
 フィリピンに駐在したスペイン提督はマニラに戒厳令を敷いたほどで軍事大国としての日本の存在は以後、世界史に登場することになる。
 フロイスやヴァリヤーノよりも強烈な野心を研いで日本侵略の野望を捨てなかったのはコエリョだった。コエリョは日本準管区長であり、日本における信者獲得実績を誇大に報告して成績を上げることにも夢中だった。
 「コエリョは大量の火縄銃の買い付けを命じるとともに、有馬晴信や小西行長などの切支丹大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた」うえ、「フィリピンの総督や司教に対して援軍派遣を要請した」
 むろん、コエリョの要請をマニラのトップは拒否した。戦っても日本の軍事力に勝てるという自信がなかったからだ。

 家康の時代になっても、キリスト教宣教師らは野望を捨てていなかった。
 家康に巧妙に近付き、御追従と嘘を繰り出しつつ、何としても布教権を獲得しようと多彩な工作を展開した。
 日本をキリスト教国に仕立て直し、スペイン国王の支配下におく企みは進行した。ただし、「日本の強大な軍事力を前にして、武力による征服は不可能と悟った」がゆえに、「布教による日本征服」という遠大な方針に切り替えたのだ。
 メキシコやインディオを残虐な方法で殺戮し、植民地支配を拡げてきたスペインは、フィリピンまで征服し、次のシナ大陸進行の橋頭堡を確保するために日本を征服するという基本構想をすてた。
臨時フィリピン総督なったビベロが、日本各地をまわって、「要塞堅固な城郭に驚嘆し」(中略)「日本の軍事力の強大さ、強硬な日本外交を肌身に染みて感じていた」からに他ならない。
 つまり「日本を征服するどころか、逆にマニラが日本によって征服されるのではないかとすら恐れていた」。
 家康は新興勢力だったイギリスとオランダを重宝し、かれらが「布教を条件としない」のであれば、貿易を認める。それが平戸と出島だった。
 こうして明らかとなってきたことは、秀吉の正確な国際情勢の認識と対応の迅速さであり、戦後、日本の歴史学が閑却した朝鮮出兵の真実が明らかになったことである。
また秀吉のあとを継いでキリストの布教に潜む野心を把握していた徳川は布教の許可には慎重な態度を崩さず、一方で折から台頭してきた英国とオランダの情報を分析してバランスを取り、とくにオランダを貿易で徹底利用した。
当時の日本の指導者には歴史を冷静に客観的に判断できる、確かな目があったことである。

 ともかく信長がキリスト教の宣教師を保護し、布教を認めた背景を理解するには、当時の政治学的な状況を勘案しなければならない。信長の行く手を阻んだのは比叡であり、雑賀であり、しかも寺社勢力は武装していた。信長自身は法華経を信じていた。比叡の軍事力を殲滅するには新興宗教の力が必要だったうえ、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も大きかった。
 秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国からもたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情勢のニュースだった。しかし宣教師らを通じて得た情報とはキリスト教の布教の裏で、日本の美女をおびただしく拉致し、売春婦として西欧に運んだことであり、また同時に一神教の凶悪な侵略性だった。
切支丹伴天連の大名だった高山右近は、領内の寺社仏閣を破壊する凶暴性を示し、やがてキリスト教徒が日本を侵略する牙を研いでいることを秀吉は知って追放に踏み切った。
 家康はもともと浄土宗の信者である。
三河時代から一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心し、同時に家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を英国人ウィリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンから知った。それゆえキリスト教の布教を認めず、しかし貿易のために英国には平戸を解放し、オランダ人も通商だけに専念するとする理由で長崎出島の活用を許した。
布教は御法度だったが、天草では反徳川の不満分子が反乱を起こしたため、これをようやくにして鎮圧し、以後は「鎖国」として、キリストを封じ込めたのである。
 明治政府は、文明開化を鮮明にしてキリスト教の布教も許さざるを得なくなったが、同時に防波堤が必要であり、国内のナショナリズムを高めるために日本古来の神道の復活を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がおきた。かようにして宗教とは政治とが一体となれば、イランのような狂信的イスラム国家を産むように、政治と宗教は切り離すことが近代の政治のテーマとなった。
 いずれにせよ、本書は今日までのキリスト教を誤解してきた迷妄を打ち破る快心作ではないかと思う。
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