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■「加瀬英明のコラム」メールマガジン



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 御代替りに私たちが考えるべきこと


 3月は、国会が「森友問題」で忙殺された。

 そこに、5月に米朝首脳会談が行われるというニュースが飛び込み、北朝鮮の金正恩委員長が北京を電撃訪問して、世界を驚かせた。

 そのためだろうか、来春、天皇陛下が退位され、御代替りにともなう重要な一連の式典や、祭祀が行われるが、国民が十分な関心を向けていないと思う。

 今上天皇は退位されるのか、譲位されるのか

 今上陛下が「天皇退位等に関する皇室典範特例法」に従って、来年4月30日に退位され、翌日、126代目の天皇が即位される。

 今年の新年参賀には、13万人を超える善男善女の波が皇居を訪れた。来年、譲位される陛下への崇敬の念と愛借の情が、皇居へ向かわせたのだった。

 私はここで不本意に「退位」という言葉を使っているが、退位はロシア革命によって、皇帝が退位を強いられ、あるいは第2次大戦の敗戦によって退位を強いられた、イタリアの国王に起ったことである。

 退位は王朝が絶えることを、しばしば意味した。

 今上陛下のご意志によって、来春、皇太子に皇位を譲られるのだから、譲位というべきだった。

 ところが、政府も国会も「特例法」のなかで、なぜか「退位」という言葉を用いている。

 一昨年8月8日に、今上陛下がテレビを通じて譲位されたいという、御意向を明らかにされた。

 私は月刊『WiLL』誌(平成28年10月号)に、「これは、天皇によるクーデターだった。お言葉のなかで、皇室典範が定めている摂政制度を斥けられたが、天皇が法を改めるよう要求されることは、現憲法下であってはならないことだった」と、寄稿した。

 陛下の御意志に従って、譲位を実現するために、皇室典範を改めなければならなかった。

 そのために、政府も国会も、天皇の御意志によって法律を改めたのでなく、陛下の御高齢に配慮して、法を改正したという体裁を繕って、退位という言葉を用いた。

 即位にともなう祭祀は、それなしに皇統の継承が成り立たないのに、憲法が定める「政教分離原則」に従って、「私的な皇室行事」とみなされ、国事として催されない。

 来年11月に、新天皇によって大嘗祭が行われる

 来年11月14日に、新天皇によって大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われる。

 新天皇の誕生に当たって、天皇が行われる最初の新嘗祭(にいなめさい)である大嘗祭が、もっとも重要な祭祀であってきた。

 もっとも、「皇室の行事」は「皇室の公的な行事」であって、大嘗祭が「国事行為」とされない理由として、憲法上、天皇の「国事行為」は「内閣の助言と承認」を必要としており、皇室祭祀には適用されないという説明もあるが、強弁でしかなかろう。

 大嘗祭のために、黒木と呼ばれる、木肌のままのクヌギの丸太を用いた悠紀殿(ゆきでん)と、主基殿(すきでん)の2つの大嘗宮が造営される。

 両殿はまったく同じ造りで、床下は土間のうえに草をしいて、そのうえに竹簀を置く。奥の部屋は大地に蓆(むしろ)をしいただけで、そのうえに衾(ふすま)と呼ばれる夜具が置かれる。

 古代が21世紀に生きている

 新嘗祭は新穀の収穫を、神々に感謝する祭である。大嘗祭はまず悠紀殿において「夕の儀」が行われ、天皇は天照大御神が降臨されると、新穀の米飯と栗飯を3箸ずつ、柏の葉を重ねた器(うつわ)に盛られて、おすすめする。

 柏の葉の皿を枚手(ひらて)といい、箸は2本棒ではなく、箸の原形とされる、削いだ竹を火で焙ってピンセット状にしたものだ。大嘗祭は「おほにへまつり」と呼ばれた、古いお祭りである。

 天皇は神饌を御親供になられたうえで、奥の部屋へ移られ、衾にくるまられる。赤児の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が夜具にくるまれて、高天原から天孫降臨されたのを再演される。

 「夕の儀」が終わると、主基殿において「暁の儀」が夜を徹して行われるが、まったく同じ内容の祭祀が繰り返される。

 政府は大嘗祭が“皇室の私事”として催されるが、内廷費で賄えないので、国費を支出するとしている。

 4月3日の閣議は、「大嘗祭の挙行については、『即位の礼・大嘗祭の挙行等について』(平成元年12月2日1日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において遺漏のないよう準備を進めるものとする」と、口頭で了解した。

 政府が大嘗祭を遺漏なく準備することは、「政教分離原則」に反しているが、野党もマスコミも異論を唱えまい。

 天皇が憲法に優っておられた

 天皇こそ、日本の芯である。そこで、天皇が行われる祭祀は、皇室の“私事”として扱うような、軽いものではあるまい。

 それとも、アメリカの占領下で強要した現行憲法が、日本の芯なのだろうか?

 だが、今上陛下が一昨年テレビを通じて、憲法に違反して法律を改めることを要求されたのにもかかわらず、国会が全会一致によって御意向に従ったことは、天皇が現行憲法よりも上にあることを、証したものだった。

 履き違えた「政教分離」

 アメリカ占領軍はまったくの無知から、神道を未開なというと、野蛮な宗教とみなして、「政教分離」を強制したのだった。アメリカは同じ敗戦国のドイツも占領して統治したが、ドイツはキリスト教国だったから、もちろん、「政教分離」を強要しなかった。もし、日本がフィリピンのようなキリスト教国だったとしたら、アメリカは日本に「政教分離」を強いることがなかった。私たちが神道を蔑視し続けて、よいものだろうか。

 いったい、現行憲法は日本という国より上にあって、日本国よりも尊いのだろうか?

 護憲派の人々は、日本国憲法が日本国よりも上にあると、主張している。

 だが、現行憲法の出自は暗いし、日本の国としての悠久の歴史とくらべれば、まだ70年しかたっていない。

 天皇こそが、日本を日本たらしめている。天皇の存在がない日本を、とうてい想像することはできない。

 天皇の存在がなくなってしまえば、日本は滅びてしまおう。断絶のない国体が、日本に気品を与え、日本を和の国として安定をもたらしてきた。

 今日の日本国民のなかで、どれだけの者が新嘗祭、大嘗祭はもちろんのこと、天皇家の起源を語っている日本神話について、知っているものだろうか。

 学校教育は国民の心を受け継いでゆくために、行われるべきものだ。憲法の目的も、2000年以上にわたる悠久の日本の心を守ることが、もっとも大きな役目であるべきだ。現行憲法は、日本を敵視している。

 天皇の御存在が、危ふいものとなっている。平成28年に、秋篠宮家に悠仁親王が御誕生になられたが、このままでは皇統が遠からず絶えてしまうことになろう。まさに国難である。占領下で臣籍降下を強いられた11宮家のなかから、ふさわしい男子に皇籍復帰をお願いするべきである。

 人も国家も、伝統精神と現代精神が交わるところで、生きなければならない。

 いったん伝統精神が失われてしまえば、人も国家も糸が切れた凧(たこ)のように、あてどもなく世界を漂うことになってしまう。国家が漂流してよいものか。日本は押しつけられた、借り物の現行憲法のもとで、使い捨てのプラスチックの造花に似ている。

 宮中祭祀は国民のために行われる

 日本国憲法のもとで、天皇が「象徴天皇」として、神聖な存在でなくなってしまっている。

 日本国民の大多数が、天皇が神々(こうごう)しい存在であることを認めているが、憲法は現実から遊離している。

 現実からかけ離れた憲法は、国民の精神を狂わせる。人はしっかりと両足を大地につけて、立たなければならない。