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「依りすがる人」と「引受る者」
SK生
■■ 転送歓迎 ■■ No.2774 ■■ H30.04.18 ■■ 7,946部■■
__________
(伊勢雅臣)経済においても、防衛においても「引受る者」がいなければ、国は成り立ちません。「諭吉の啓蒙は武士的な精神をもつ国民たれと教へたのである」「『四民平等』は・・・強く高いところで平等にならうとしたのだった」とは、心に残る一節です。
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「一身独立して一国独立する事」とは、福澤諭吉の『学問のすすめ』の一節である。一国が独立するには国民一人一人が独立せねばならない。その独立とは何か。
諭吉は「独立とは自分にて自分の身を支配し他に依りすがる心なきを云ふ」と述べ、「人々この独立の心なくして唯(ただ)他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがるの人のみにて、これを引受(ひき うく)る者はなかるべし」といふ。
さて、お前は独立できてゐるのか、他人に依りすがる心なきか、と問はれれば、まことに心もとなく恥づかしい次第だが、それでも「他人の力に依りすがらんとのみ」せず、「これを引受る者」でありたいと思ふ。
「依りすがる人」と「引受る者」―この言葉は人間が子供から大人になっていく過程を思ひ起させる。親から仕事を言ひつかり、家庭の中での役割をもつ。さらに職を得て社会に出る、結婚して家庭をもつ。それは、職務を引受け、子供の養育や新しい親への孝養を引受けることでもある。
就職や結婚といふ慶事のよろこびの反面には新たな責任を負ふ緊張がある。かうして自身の責めや務めを引受ける人がゐることで、世の中は世の中として成り立ってゐる。
日本の経済を支へてきたのもさうした人々の地道な努力によるものだった。日本のものづくり経営研究の第一人者である藤本隆宏教授は、日本の多くの生産現場においては、よく言はれるやうなバブル破綻以降の「失はれた20年」はなかった、そこにあったのは「苦闘の20年」であった、と説いてゐる(『現場から見上げる企業戦略論』)。
真実はさうであったらう。円高と中国など低賃金後発国との厳しい競争に晒される中で、生産現場では、(教授の言葉を借りれば)〝ジタバタと〟生産性の向上などに苦闘したのである。さういふ現場の多くは生き残り、依然として日本経済の足腰となってゐる。
『学問のすすめ』の文章に戻れば、諭吉のいふ「引受る」といふ言葉はさらに強い意味をもつ。
「外国に対して我(わが)国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々貴賤上下の別なく、其(その)国を自分の身の上に引受け、智者も愚者も、目くらも目あきも、各(おのおの)其国人たるの分を尽さざるべからず。」
「国を自分の身の上に引受ける」といふ言葉は激しいが、逆に我が国では長い間、国を自分で引受けるのではなく、自分を国で引受けてくれと依りすがってきた。福祉政策の行き過ぎである。もう40年ほど前になるが、山本勝市博士は『福祉国家亡国論』において、福祉そのものはよしとされつつも社会保障の行き過ぎに警告を鳴らされた。
その理由の一つは倫理的なものであった。私人間で慈善的な救助を受けるのであれば、そこに恩を感じ、或いは身の恥を思ふといふことが起きるが、社会保障の場合は、負担する国民と享受する国民の間に国家権力が介在するためにさうした恩や恥も感じない。
家族内の自発的扶養も後退する。その結果「自己責任の意識や家族の連帯感隣人愛というごとき健康な自由社会の根底を破壊するという心配」を示された。今や社会保障にどっぷりとつかり、その副作用は財政の巨額赤字としても顕現した。
もう一つ国民が依りすがってゐるのは国防問題である。目下の日本は諭吉の時代と同様、泰平の時が過ぎ、周辺国が牙をとぐ現在である。しかもその当の日本で根強い論調は、故意に危機から目を閉ざすか、或いは「独立の心なくして唯他人(国際社会?)の力に依りすがらん」ともいふべきもののやうだ。
戦後占領憲法の呪縛といへようか。さうした日本を「引受けよう」としてじっと機会を窺ってゐるのは実は中国ではないか。この状況に目を見開いて、我が国の存立を我々国民が引受けていく、その大事な一歩が憲法九条の改正(本来は自主憲法の制定)である。
諭吉の啓蒙は武士的な精神をもつ国民たれと教へたのである。明治といふ時代が偉いのは、実際にその武士的気風が国民各層に広がったところにある。「四民平等」は皆が弱く低いところで平等になったのではなく、強く高いところで平等にならうとしたのだった。
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(伊勢雅臣)経済においても、防衛においても「引受る者」がいなければ、国は成り立ちません。「諭吉の啓蒙は武士的な精神をもつ国民たれと教へたのである」「『四民平等』は・・・強く高いところで平等にならうとしたのだった」とは、心に残る一節です。
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「一身独立して一国独立する事」とは、福澤諭吉の『学問のすすめ』の一節である。一国が独立するには国民一人一人が独立せねばならない。その独立とは何か。
諭吉は「独立とは自分にて自分の身を支配し他に依りすがる心なきを云ふ」と述べ、「人々この独立の心なくして唯(ただ)他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがるの人のみにて、これを引受(ひき うく)る者はなかるべし」といふ。
さて、お前は独立できてゐるのか、他人に依りすがる心なきか、と問はれれば、まことに心もとなく恥づかしい次第だが、それでも「他人の力に依りすがらんとのみ」せず、「これを引受る者」でありたいと思ふ。
「依りすがる人」と「引受る者」―この言葉は人間が子供から大人になっていく過程を思ひ起させる。親から仕事を言ひつかり、家庭の中での役割をもつ。さらに職を得て社会に出る、結婚して家庭をもつ。それは、職務を引受け、子供の養育や新しい親への孝養を引受けることでもある。
就職や結婚といふ慶事のよろこびの反面には新たな責任を負ふ緊張がある。かうして自身の責めや務めを引受ける人がゐることで、世の中は世の中として成り立ってゐる。
日本の経済を支へてきたのもさうした人々の地道な努力によるものだった。日本のものづくり経営研究の第一人者である藤本隆宏教授は、日本の多くの生産現場においては、よく言はれるやうなバブル破綻以降の「失はれた20年」はなかった、そこにあったのは「苦闘の20年」であった、と説いてゐる(『現場から見上げる企業戦略論』)。
真実はさうであったらう。円高と中国など低賃金後発国との厳しい競争に晒される中で、生産現場では、(教授の言葉を借りれば)〝ジタバタと〟生産性の向上などに苦闘したのである。さういふ現場の多くは生き残り、依然として日本経済の足腰となってゐる。
『学問のすすめ』の文章に戻れば、諭吉のいふ「引受る」といふ言葉はさらに強い意味をもつ。
「外国に対して我(わが)国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々貴賤上下の別なく、其(その)国を自分の身の上に引受け、智者も愚者も、目くらも目あきも、各(おのおの)其国人たるの分を尽さざるべからず。」
「国を自分の身の上に引受ける」といふ言葉は激しいが、逆に我が国では長い間、国を自分で引受けるのではなく、自分を国で引受けてくれと依りすがってきた。福祉政策の行き過ぎである。もう40年ほど前になるが、山本勝市博士は『福祉国家亡国論』において、福祉そのものはよしとされつつも社会保障の行き過ぎに警告を鳴らされた。
その理由の一つは倫理的なものであった。私人間で慈善的な救助を受けるのであれば、そこに恩を感じ、或いは身の恥を思ふといふことが起きるが、社会保障の場合は、負担する国民と享受する国民の間に国家権力が介在するためにさうした恩や恥も感じない。
家族内の自発的扶養も後退する。その結果「自己責任の意識や家族の連帯感隣人愛というごとき健康な自由社会の根底を破壊するという心配」を示された。今や社会保障にどっぷりとつかり、その副作用は財政の巨額赤字としても顕現した。
もう一つ国民が依りすがってゐるのは国防問題である。目下の日本は諭吉の時代と同様、泰平の時が過ぎ、周辺国が牙をとぐ現在である。しかもその当の日本で根強い論調は、故意に危機から目を閉ざすか、或いは「独立の心なくして唯他人(国際社会?)の力に依りすがらん」ともいふべきもののやうだ。
戦後占領憲法の呪縛といへようか。さうした日本を「引受けよう」としてじっと機会を窺ってゐるのは実は中国ではないか。この状況に目を見開いて、我が国の存立を我々国民が引受けていく、その大事な一歩が憲法九条の改正(本来は自主憲法の制定)である。
諭吉の啓蒙は武士的な精神をもつ国民たれと教へたのである。明治といふ時代が偉いのは、実際にその武士的気風が国民各層に広がったところにある。「四民平等」は皆が弱く低いところで平等になったのではなく、強く高いところで平等にならうとしたのだった。
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