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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)4月18日(水曜日)
         通巻第5675号
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 シンガポールが中国企業の窮地につけこむ? それとも救済?
   「テマサク」、海航集団傘下のエアライン買収へ
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 債務超過で経営危機がささやかれる海航集団は、虎の子の啓徳空港跡地を香港のヘンダーソンランドなどに売却した。元空港跡地は広大で、住宅供給がおぼつかない香港では最大の土地売却案件だった。

 同集団は、そのほかにも保有してきたドイツ銀行株、ヒルトンホテルのグランド・バケーション、そのほかを片っ端から売却し、手元資金を確保している。

シンガポールの政府ファンド「テマサク」は嘗てゴールドマンサックスが保有してきた中国工商銀行の株式を購入した。このテマサクが次に狙っているとされるのが、海航集団傘下の二つのエアラインである。香港航空と香港エクスプレス(貨物専用便)だ。まだ正式の発表はないが、香港市場では噂が集中しているという。

海航集団は王岐山(国家副主席)の親せきが経営に深く関与していて特別な措置を受けているとされ、外貨規制が厳格に適用された時期にも、この集団だけは特別扱いで、外貨を投資に転用してきた。

豪、ニュージーランドでは目立つ不動産物件を購入し、ブラジルでは三位の銀行株に出資し、スイス空港の経営企業を28億ドルで買収、航空機リース専門の「アボロン・ホールディング」は22億ドル、ヒルトングループの25%株主などと鼻息が荒かった。

風向きが変わり、攻勢は守勢に転じた。万達集団と同じ行動パターンを示すようになり、保有財産を処分して、債務超過の財務バランスを是正するのだが、日本でも借金王だったダイエーの経営破たんがあった。
いまも孫正義の有利子負債は13兆円、ダイエーは12兆円内外だった。中国の万達集団の有利子負債も10兆円を超えている。

さて、問題はシンガポールのファンドである。
中国とシンガポール関係は、過去二年間急速冷凍のように冷え切った。フィリピンのスカボロー礁の中国軍施設建設に対してハーグの国際仲裁裁判所が、「中国の主張には根拠がない」とすれば、中国は「判決は紙くず」と言ってのけ、この無法国家の秩序破壊にシンガポールが怒った。

直後、台湾から輸送途中だったシンガポール軍所有の戦車を香港で長期にわたって足止めとする嫌がらせがあり、リーシェンロン首相は、29ケ国の元首が参加した習近平の晴れ舞台「一帯一路フォーラム」を欠席した。


▼シンガポールは中国の冷たく当たってきたのだが。。。

年初から米国の対中敵視姿勢がはっきりとしてきた。
華為技術(ファウエイ)と並ぶ中国通信企業大手の中興通訊(ZTE)はイラン制裁に違反して、テヘランに通信機材、設備を密かに輸出していたが、米国は120億ドルの罰金を課して制裁し、以後七年間、米国企業にZTE製品を買わないように勧告した。実質的な中国通信機器の締め出しである。

同社は三分の二の80億ドルの罰金を支払ったが、米国は購入禁止令を逆につよめて、政府、ならびに連邦職員の同社製品購入を禁止し、さらに民間企業にも適用を拡大してことになり、華為技術とともに米国市場からはじき出される。

米中貿易戦争を契機に中国は突然軟化しはじめた。
王毅外相が慌てて日本に飛んできた。8年ぶりのハイレベル協議をせっついてきたのだ。自衛隊と人民解放軍の交流も六年振りに再開である。習近平は冷却していた関係を見直し、日本に続けてシンガポールに秋波を送ったのだ。

シンガポールは人民元の取引では世界最大の規模である。
また金融面ではAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加してアジア諸国へのファイナンスに食い込んできた。シンガポールは国際金融都市と貿易中継地としての立ち位置からいえば、たしかに米中貿易戦争は避けたいと考えているのだろう。

さきにリーシェンロン首相は北京を訪問し、李克強首相と会談、『米中貿易戦争』で中国が失う分野での協力を惜しまないと発言した。
シンガポールによれば、「報復関税合戦は最終解決を生まない。あくまでWTOの場で討論するべきである」などとし、その足でボーアオの中国版ダボス会議にも出席して、「米中貿易戦争は世界の安全保障にとっても好ましくない」などとすっかり中国寄りの発言を繰り返した。
     ○◎▽み□△◎や◇◎□ざ▽◎○き○□▽
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 朝日新聞批判が基調だが、歴史観のゆがみを糺す発言が随所に
  アメリカはじつに品性のない国で、中国と共通する理由がある

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高山正之 解説・対談『渡部昇一の世界史最終講義』(飛鳥新社)
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 これは渡部昇一氏の一周忌に前に、単行本に収録されていない高山氏との痛快対談を軸として力強く論理が展開される「朝日新聞が教えない歴史の真実」である。
 随所に紹介される朝日新聞の出鱈目ぶりは、二人の読者ならば当然のことゆえに、目新しくはないが、それでも読み進む裡に清涼飲料が不要になる。
 すかっと爽やか、ワタヤマコーラ!
 アメリカは武士道が分からないから原爆を日本に平然と落とし、東京大空襲をやってのけ、無辜の人々を殺害した。インディアンを大殺戮してきた無慈悲のメンタリティが連綿と続いていた。
 自分たちのしでかした大虐殺を隠蔽するために、中国と組んで、「南京大虐殺」とかの架空の話をでっちあげた。
騎士道が育たない国の民は極悪非道なのだ。アメリカの浅薄な歴史観がなぜ造られたかを振り返りながらも、二人は本質の議論に突入していく。
 渡部 「戦争すれば景気が回復すると、アメリカのリーダーは思いこんだわけですね。もうひとつ、工場を外国へ移転する習慣がついてしまった」
 高山 「奴隷工場のつもりで中国に進出したんです。米国と中国の共通点として、国家の本質に『奴隷経済』がある」
 実際にメイフラワーが東海岸に着く前にアメリカには奴隷市場があった。以後244年間、奴隷売買をつつけていたのが米国なのである。
 しかし高山氏が続ける。
「経済成長で国内の労働コストが高くなり、製造業でこき使う奴隷が枯渇した。困った米国が世界を見渡すと、かつての自国とまったく同じ構造の国がありました。中国です」(中略)「だから習近平だとか胡錦涛、江沢民というのは、米国と手を組んだ奴隷工場の工場長、中国人奴隷を監督するボスですよ、これが米中蜜月のスタートでした」
この発言をうけて渡部昇一氏が答える。
「労働力があるところへ工場を建てれば良いという、安易な行動をとった。それが中国を大国にしてしまった」
 いまや奴隷で肥った国同士が決闘する時代を迎えつつあるとき、本書の指摘は本質を突いているのではないか。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1718回】  
――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(19)
  内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

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 辛亥革命から3年ほどが過ぎた大正3(1914年)7月に上海、南京、大連、旅順、奉天から朝鮮を旅行した広島高等師範学校生徒は、辛亥革命を「其名目は如何にも花々しく支那民族覺醒の聲を聞くようであるが(中略)丸で是れ利慾の輩の暴動である、銃劍や衆力を以て強奪を試みようといふのが彼の革命の動機の一半であるらしい」と捉え、袁世凱打倒を掲げた第2革命が失敗した原因を「砲の響の威嚇よりも財布のチャランチャランの魅力」が袁世凱軍に「比して(反袁世凱勢力が)遥に劣つて居たからだ」と断じている。

 この考えが正しかったのかどうかは別にして、おそらく当時、中国の大変動をこう受けとる日本人がいただろうことを承知しておいた上で、「支那学の泰斗」で知られた内藤湖南に戻り、『支那論』の本論を読み進もうと思う。

 冒頭の「自序」で「この書は支那人に代って支那のために考えた」「自分は全く支那人に代って、支那のために考えて、この書を書いたのである」と綴っているところからして、常識的に考えれば「支那のため」に本書が執筆されたことになる。

この点を指して「人はここに植民地経営にあたる本国知識人による対植民地の認識視点に類似するものを容易に見出すであろう」し、「湖南が中国人以上に中国数千年の歴史を観望し、(中略)現在の中国を分析し、判断しうるような視点の持ち主であること」を語り、「(中国に対する)認識論的な支配の欲求と、それを可能にする学への自負がある」(子安宣邦)と批判的に見る一方、「ひたすら中国社会の安定を望み」、「新生中国の自立的発展を願う」湖南の「民族を超えた文化史観」(谷川道雄)の発露だと肯定的に捉える声もある。いわば内藤は「上から目線」で本書を記したのか。それとも文字通り心底から「支那のため」を思ったからなのか??どちらが正しいのか。目下のところは不明としておきたい。

 さて「自敘」に拠れば、内藤は大正2年11月初めに思い立ち、11月から12月末までの2か月間に都合5回の口実筆記をしている。「変化の急激な支那の時局は」「目まぐるしいほど変転し」ているため、「すべて議論が時局に後れるようになっておることは免れないであろう」。

だが敢えて「改めるほどのこともないと思うから、やはりそのまま世に問うこととした」と断わった後、『支那論』で展開した議論には「積極的施設に関する考えが甚だ乏し」く、同時に「支那人に代って支那人のために考えた」ために、「外国の側から、例えば我が日本のごとく、支那の事勢によっては、多くの利害を感ずべき国から看た議論が欠けておる」と、「支那人に代って支那人のために考えた」議論であることを強調している。

 最近の財政に関する情報などが手元に「ほとんど全くない」ので、「状況から判断される限りの空論に留まることとなった」。
だが「目下最も大切なること」は、「支那のごとく絶大な惰力によって潜運默移しておる国情、人為による矯正の効力を超越しておる国情が、自然に落ち着くべき前途は、確かに積極的施設の基礎となすべきもので、この惰力の方向を知ること」である、とする。

 明末以来に発表された多くの経世論を振り返るに、「支那の宿弊を論じたところは、尤も痛切ではあるが、(中略)外制模倣を主張したところは、徹底しておらぬ恨みがある」。それというのも「支那の識者の智識」が「外制」、つまり欧米先進諸国を機能させている制度の「根源由来を明らめ知るまでに至らぬ」からだ。
「外制」を成り立たせ支えている歴史や文化に考えを及ぼすことなく形だけを取り入れようとするから、齟齬が起きることになる。//