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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)4月9日(月曜日)
通巻第5665号
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モディ首相、ネパールのオリ首相会談で警告
「国境をむやみに開放すると中国が浸透してしまうゾ」
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4月6日、冷え切ったインドーネパール関係を緩和しようと、ネパールの左翼連合(マオイスト左右両派の呉越同舟政権)のシャルマ・オリ首相がインドを訪問し、7日、モディ首相と会談した。
席上、両首脳はいくつかの喫緊の問題で突っ込んだ話し合いをもった。
第一は中国の影響力増大へのインドの懸念である。金融ばかりか、通信の分野にも中国はシェアを拡大しようとしており、とりわけインターネット、携帯電話でネパールの市場拡大を狙っており、インドの寡占状態が脅かされてきた。
第二は過去のカトマンズ政権が拒否してきた「ブドバ・カンダキ水力発言所」プロジェクトである。
中国はこれを「一帯一路」の一環プロジェクトとして位置づけ、武漢本社の「フーバー集団」がオファーを出している。フーバー集団は通称であり、ダム建設の大手国有企業だ。
インドは中国のゼネコンを排除するよう申し入れ、同時にインドとネパールの国境に近い「アルン?ダム」(900メガワット)の建設に、インドは10億ドルを拠出する用意があるなどとしたらしい。
いずれにしても、インドはネパールの反インド的な行動の数々に不快感を露わにしており、とくにこの弐年間、両国関係は冷え切ってきた。
この背景にあるのはカトマンズの政権がマオイスト連合となって急速に中国に近付き、中国とのビジネス関係を強めることで、インドとのバランスをとるというナショナリスティックな綱渡りを演じてきたからだ。インドにとってネパールは長年面倒を見てきた保護領という感覚だった。
げんに中国の対ネパール外交は長期的展望に立脚している。
すでに「青蔵鉄道」を青海省の西寧からチベットのラサへと開通させ、その延長工事をシガツェ(チベット第二の都市、パンチェンラマの本拠地)まで完成、さらに、この鉄道をヒマラヤ山脈にトンネルを造成しカトマンズへ繋げようとしており、カトマンズは乗り気なのである。
インドの不快感はときに国境を制限し、ネパールへの物資供給を中断することなど経済制裁を課してきた。
このためネパールの歴代政権も不満を蓄積してきたことも事実、またインドがオファーしている「アルン?ダム」に乗り気でないのは、ここで発電された電力は大半がインドへ送電されるからだと言われている。
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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ライト兄弟が初めて飛行に成功したとき、現代の戦略爆撃機を予測しただろうか
外国から中古戦艦を買った日本が、最新鋭戦艦を誇った清の海軍に勝った
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竜口英幸『海と空の軍略100年史』(集広舎)
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二十世紀に戦争の形態が激変したのは海軍、空軍の飛躍的発展にある。
二十一世紀はAI搭載の無人兵器が、またも戦争形態を激変させようとしている。この百年の激動の歴史をコンパクトにまとめたのが本書である。
よもやライト兄弟が初めての飛行に成功したとき、現代の戦略爆撃機を予測しただろうか? 長距離を飛翔するミサイルの登場を予測していただろうか。
海軍は空母、原潜、いずれAI搭載の無人潜水艦が登場するだろう。
こうした技術史を基軸に戦争の歴史を巨視的にえがく力作が本書である。
米国は陰謀好きでほとんど共産主義者だったルーズベルトが仕掛けた対日戦争。トルーマンがルーズベルトの急死によって大統領となったとき、米国が原爆を保有していることさえ知らなかった。トルーマンは無能の人で、国際情勢を見通せるような眼力を持ち合わせていなかった。
だから致命的な失敗を何回も犯してしまった。トルーマンの夥しい誤りのなかには嫉妬のあまりにマッカーサーを解任したことも加えるべきかもしれないが、蒋介石と毛沢東を敵か味方も判別出来なかった。
その残忍さにおいて、両者に区別はないが、くわえて国民党と共産党は一卵性双生児だが、どちらが反共なのか、どちらが米国や西側に有利となるかの判定を間違えてしまった。
1949年8月に国務長官となったアチソンが『中国白書』をだすが、「蒋介石は無能で、軍は戦闘意欲を欠き、民心は国民党から離れている」と一方的に蒋介石を見限った。
翌1950年1月5日に、トルーマン大統領は「中国が台湾に侵攻しても、アメリカ政府は関与しない」と表明し、アチソンは翌週の1月12日に演説して「アメリカの極東防衛ラインを『アリューシャン列島から日本列島、琉球諸島、さらにフィリピン諸島』として、韓国は日本に比べてアメリカの責任の度合いは低いとしてこのラインの外側に位置づけた。また台湾も、このラインから外した」(191p)
決定的な政策の錯誤である。
共和党は、このアチソン演説に驚き「金日成に(朝鮮戦争開始の)青信号を出した」と猛烈に批判した。
その後もアメリカは数限りなき過ちを繰り返し、JFKはベトナムと戦争を始め、カーターは台湾と断交し、レーガンは日本にスーパー301条を適用し、ブッシュ・ジュニアはイラク戦争を始めた。
なかでもクリントン大統領の政策ミスは大きい。
「天安門事件直後、クリントンは中国を『北京の虐殺者』と呼び『最恵国待遇は中国を甘やかすだけだ』と公言していた」。
にもかかわらず政権末期に、WTOに中国が加盟する道を開き、「世界で最も人口の多い国との貿易関係を正常化する」「アメリカ企業は初めて、アメリカの労働者が造った製品を中国に売ることが出来る」「工場進出や技術移転をしなくても、アメリカの労働者の仕事を減らすことなしに、製品を輸出できる」等とクリントンは薔薇色の発言を繰り返し、道を間違えた。
中国は対米・対日貿易で稼いだカネを軍事力拡大にあて、いまや南シナ海を支配し、アメリカならびに米国と同盟する自由世界の多くの国々に軍事的脅威をあたえ、海軍力を飛躍的に拡充、増大させてアメリカにせまる勢いをみせた。
この百年の間に技術革新が飛躍し、海と空の地政学をひっくり返し、まさかの貧困に喘ぎ、人民が餓死していた国が、アメリカと並ぶ軍事力を保有することになるとは!
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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まっすぐに心情を綴った遺書替わりの日記風自伝だが
当時の軍隊の生活、慰安婦への労りが、歴史の真実が滲み出ている
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田中秀雄『スマラン慰安所事件の真実』(芙蓉書房出版)
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こういう地道な、苦労ばかりの仕事をされるのは、やっぱり田中さんをおいていないだろうなぁと思いながらページをめくる。
この本は「慰安婦問題」で争われている「強制性」の再考を促すためには、格好の歴史資料である。「パタビア軍事裁判」で、ただひとり死刑判決をうけた岡田慶治が、その獄中で綴った手記の復刻、正確には昭和十七年以後の分量を活字化したもので、最後に岡田が家族にあてた遺書も収録されている。
日本軍人としての矜持と、健気な日本男児の生き様が行間から飛び出してくる。
そもそも「スマラン慰安所事件」とは何か?
日本が占領したオランド領東インド(いまのインドネシア)でオランド人女性35人をジャワ島のスマランの慰安所に「強制連行」したうえ、売春を「強要した」という言いがかりに対して、BC級戦犯11人が有罪とされ、責任者の岡田慶治が銃殺された。つまり岡田はスケープゴーツにされたのだ。
オランド女性を「強制連行」した事実はなく、契約により、ちゃんと金銭の授受もあって当時の常識で言えば「合法」ビジネスでしかない。「強要性」はない。
岡田は剛毅の軍人で、大酒飲み、女大好き、しかし部下の面倒見が良く、そのうえ女性に優しかった。岡田は広島県福山出身であり陸軍士官学校、少尉に任官し、連隊大隊長としてビルマ作戦に従軍した。
ジャワ幹部候補生教育隊の教官もつとめた。パレンバン、ボルネオ混成旅団大隊長だった。
本書は岡田がまっすぐに心情を綴った遺書替わりの日記風自伝だが、獄中で書いただけに迫り来るような感動をともない、また当時の軍隊の生活、慰安婦への労り、なによりも歴史の真実が滲み出ている。
昭和21年3月に復員するも、22年3月に巣鴨に収監され、ジャワに移送後、バタビア軍事裁判で昭和23年に刑場の露と消えた。享年38歳だった。
バタビアとはいまのジャカルタ、スマランとは、ジャンジャカルタの北西部に位置する。
ボルネオは北西部が英領、南東部をオランドが領有していた。当時、岡田が作戦で赴いた「アピー」とは、いまのコタキナバルである。
往時の地図をみると現在の地名との懸隔にも驚かされた。
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1713回】
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(2)
『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)
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若者たちは郊外電車に乗り「獨乙醫工學堂」に向う。「支那人を限り入學を許すものでその設備等は我同文書院の比ではなく、彼等が極東殊に支那の經營には如何に高價な犠牲をも厭わぬこと」に改めて衝撃を受ける。そして教師を目指す高等師範學校生徒らしく、教室よりむしろ「小閑を利用して海外一歩の地に來つて榮枯盛衰の跡や白人の活動振りを見せたい」と、実地教育の必要性を訴える。つまり百聞は一見に如かず、ということだろう。
また「支那はその昔榮えた東洋の墓場で、某の社も寺も澆季の世となれば香たく人も空しく、懐疑と死の憐れなる子の信仰は蘆の上に作られたる四十がらの?である、槿花一朝の榮を持ちたるが故に再び榮ゆと思ふ勿れ」と、「白人の跋扈」する上海から「國民の覺醒」を学ぶのであった。
それにしても「支那はその昔榮えた東洋の墓場」とは、じつに正鵠を得た表現だと思う。
やがて南京見物を終え、広島高師の生徒たちは上海から北上し大連に向う。40時間に及んだ船中でのことだ。
大分出身の「金時計金指輪した好箇の紳士」が「一體日本人の仕事はやり方を誤つている」と口を開いた。
辛亥革命以来の日本外交の「事なかれ主義」を批判し、「支那人はいくら助力してやつても有難がる人間ではないんですから」、たとえばフランスのように「機會を捕へてしつかり利權を擴大しなけりや駄目ですよ」。//

