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地球史探訪: 映画『KANO』~ 民族を超えた甲子園への夢
戦前の台湾で、日本人、漢人、高砂族の混成チームが甲子園を目指した。
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■1.台湾と日本の真心の交流
台湾と日本の真心の交流が続いている。2月6日に台湾東部を襲った地震に対して、安倍首相は「この困難な時、私たち日本人は古くからの友人である台湾の皆さんと共にあります。日本として、全力を挙げて支援して参ります」とのメッセージを送り、蔡総統も以下のような感謝の言葉を日本語でツイッターに投稿した。[1]
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安倍首相からのお見舞いは、まさかの時の友は真の友、まさにその通りです。このような困難な時の人道救助は正に台日双方の友情と価値観を体現するものだと思います。
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日台の心の交流として思い出深いのは、東日本大震災時の台湾からの真心のこもった支援に対して、平成25(2013)年に東京ドームで行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の台湾-日本戦で、観客席から「311支援 謝謝台湾」「日本人は永遠に台湾人の真心を忘れない」など、多くのプラカードが掲げられたことだ。
それに応えて、試合後、台湾の選手たちがマウンドに集まり、観客席に向かって360度の円陣を作り、帽子をとって深々と一礼したのである。このやりとりは台湾のテレビや新聞でも報道されて、感動を呼んだ。
台湾での野球は日本統治時代から始まったものだが、戦前にも美しい物語があった。それを描いたのが、2014(平成26)年に台湾で制作された映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』(原題『KANO』)である。[2]
■2.「監督は本気だ」
物語は、昭和4(1929)年、台湾南部・嘉義(かぎ)市の嘉義農林学校、略して嘉農(KANO)を舞台に始まる。嘉農の野球部は連戦連敗どころか、発足以来、まだ一点も得点をとった事がなかった。町の日本人からは、大陸からやってきた漢人や蕃人(台湾の原住民)も混じって仲良くやっている様子に「遊び半分の野球なら、さっさと解散しちまえ」とまで言われていた。
そこに無理に頼まれて監督となったのが近藤兵太郎だった。近藤監督は月曜日の朝6時に全員を神社に集合させ、「俺がお前たちを甲子園に連れていく!」と宣言する。
近藤監督は、毎日、選手たちに嘉義市内一周のマラソンを命じ、また午前は各自でキャッチボール2時間、午後に打撃と捕球訓練という特訓を始めた。捕球では「両手でキャッチしろ」「腰を落とせ」などと基本を徹底的に仕込んだ。
それとともに、選手たちに私費でグローブやバットを買い与えた。近藤の妻は選手たちにうどんを差し入れした。さらにメンバーが足りないと見て、テニス部などで見込んだ選手の家にまで行って、野球部に勧誘した。「監督は本気だ」と、選手たちは感じた。
■3.「球は霊(たま)なり」
近藤監督の指導は、精神面を重視していた。球場は神聖な場所として、入る前に必ず一礼させた。「球は霊(たま)なり。霊正しからざれば球また正しからず」と教えた。
好きな台湾人女性が結婚すると知って思い悩んでいた漢人ピッチャー呉明捷(ごめいしょう)は、近藤監督から「本気で投げているのか? ボールと相手、自分に意識を集中して投げろ」と指導され、次第に快速球を投げられるようになった。
やがて嘉義中学校との試合。いつもの通り零封され、3対0で迎えた9回裏。嘉義中のピッチャーは「勝負はついたな。5分以内で終わらせるぞ」と豪語したが、近藤監督が「絶対にあきらめるな!」と檄を飛ばすと、選手たちも「みんなたった3点差だ! 最終回で逆転するぞ!」と応じた。
一番バッター呉明捷は球に集中して二塁打を打つ。その呉を二番バッターは送りバントで三塁まで送る。二人三振して追い詰められた後、監督の勧誘した漢人の新人・蘇正生(そしょうせい)がヒットを打って、嘉農野球部創設以来、初めての得点を記録した。
試合には負けたが、初めての得点に大喜びした嘉農の選手たちに、近藤監督は「お前たち、よくやった。目標に一歩一歩近づいているぞ」と言いつつも、「目指すは甲子園だ!」と宣言した。さらなる猛特訓が始まった。
拙著『世界が称賛する 日本の教育』では、中学校教師・小田島裕一さんが、青年海外協力隊の一員としてアフリカのウガンダで野球の指導をした際、まず「時を守り、場を清め、礼を正す」と生活態度から正して、結果的に野球の実力も大きく伸ばしたという実話を紹介した[b]。まずは真剣に生きる姿勢を身につける事が、野球においても基礎となるのである。
■4.「漢人と蕃人に野球をやらせて何が悪いんですか?」
近藤監督は校長に連れられて、裕福な地元の日本人に野球部への寄付を頼みに行った。校長が「我が校の野球部には日本人が6人、漢人が3人、蕃人が4人おりまして」と言うと、相手は「漢人? 蕃人? わははは- 冗談でしょう! 彼らに野球をさせるなんて!? 蕃人に野球? 首を狩らないように気を付けないと!」
台湾の原住民には、かつて首狩りの風習があったのである。そして、当時の台湾においては野球をするのは日本人学生だけだった。
近藤監督は杯を卓に叩きつけて、言った。
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漢人と蕃人に野球をやらせて何が悪いんですか? 蕃人は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない。きちんと練習すれば、必ず甲子園に行ける。あんたらに一体、何がわかるというんですか!
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その頃、嘉農の選手たちは、映画館で嘉義中のメンバーと鉢合わせしていた。嘉義中のひとりが、嘉農の蕃人選手に「このクソ蕃人!」と殴りかかり、そこから大乱闘となった。
翌日、選手たちの傷に気がついて、事情を聞いた近藤監督は言った。「やり返すなら球場でやれ! 嘉中に伝えろ! 試合で借りを返すと!」
■5.「いったい、どうなっているんだ?」
嘉中との試合は嘉農のグラウンドで行われた。嘉中の最初のバッターがゴロを打つと、ピッチャー斉藤が素早く捕って一塁封殺、と思われたが、素人審判がセーフの判定を下した。嘉農の捕手大江が文句をつけると、近藤監督は「無礼者! 審判の判定は絶対だ! プレーに集中しろ!」と怒鳴った。
嘉農のピッチャー斎藤とキャッチャー大江は卒業を控えて、これが最後の試合だった。二人は打者との勝負に集中し、2番バッターを三振にとり、3番バッターにはゴロを打たせた。嘉農の野手陣は確実な守備でダブルプレーをとった。嘉中のメンバーは「この守備力は何だ? ありえない。奴ら本当に嘉農か?」と相手の変化に気がつき始めた。
1回裏、嘉農の1番バッター、映画館で殴られた蕃人の平野が、まぐれ当たりのヒットで1塁に出ると、すぐに俊足を飛ばして2塁に盗塁。平野は2塁から「俺をホームへ帰せよ!」と叫んだ。今までとは完全に両チームの勢いが逆転してるのを目の当たりにして、嘉中の投手は「いったい、どうなっているんだ? どうしたらいい?」と迷った。
迷ったまま投げた球を2番バッター、これまた蕃人の真山がライト前にヒットすると、俊足の平野が3塁を回って長駆ホームイン。なんと嘉農は先制点を上げた。さらにこれまた快速の真山が2塁盗塁。嘉中のピッチャーは「どうしてこんなことになった? まぐれか? い、いや この打撃力、走力、全部実力だ・・・。今の嘉農は恐ろしいチームになっている」と悟った。
嘉中も本気で反撃し、試合は一進一退。8回表、6対5と嘉中が1点リードしているところで、大雨のためコールドゲームとなった。
最後の試合を終えて、捕手の大江が涙を流しながら「勝ちたかった・・・。一度でも勝ってみたかった・・・」と言うと、チームの皆も共に涙を流した。投手の斉藤も「俺たちの夢はお前たちに託した! 絶対に甲子園に行ってくれ!」と叫んだ。
■6.「変つた人種が同じ目的のため共同し努力してをる」
ここから嘉農が台湾全島での大会に優勝し、さらに甲子園で大活躍をする様は原作を見ていただこう。ただここでは、嘉農の活躍を甲子園で見た小説家・菊池寛が朝日新聞に寄せた「涙ぐましい・・・三民族の協調」と題した印象記を引用しておきたい。
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僕は嘉義農林が神奈川商工と戦つた時から嘉義びいきになつた、内地人、本島人、高砂族といふ変つた人種が同じ目的のため共同し努力してをるといふ事が何となく涙ぐましい感じを起させる、実際甲子園に来てみるとファンの大部分は嘉義びいきだ、優勝旗が中京に授与された時と同じ位の拍手が嘉義に賞品が授与される時に起こったのでもわかる、[2, p473]
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当時の甲子園の観客も「変つた人種が同じ目的のため共同し努力してをる」という美しい姿を感じとっていたのである。
■7.「八田與一はおれたちのおやじのようなものだ」
物語では八田與一も登場する。嘉農の選手の一人、小里の父は八田のもとで、嘉南平野の灌漑工事に従事していた。嘉農のある嘉南平野は降雨量は多かったが、急峻な傾斜のため、雨期は河が氾濫し、乾期は川底まで干上がってしまう。ここに東洋一のダムを造り、さらに嘉南平野全体に水路を細かく張り巡らせる、という大規模な工事だった。
現在はダムの北岸に地元民の建てた八田の墓と銅像がある。李登輝元総統が「台湾南部の嘉義から台南まで広がる嘉南平野にすばらしいダムと大小さまざまな給水路を造り、15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし、100万人ほどの農家の暮らしを豊かにしたひとです」と称賛したように、地元民の感謝と尊敬を集めている。[c]
小里は実習で、建設中の用水路を見学した。先生が「足下の灌漑用水路は蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、全部合わせると地球半周分になるんだぞ!」と説明した。小里は「この用水路が完成したら、みんな水のことで悩まなくて済むんだな」とつぶやいた。
そこにトラックで現れたのが八田與一だった。「八田先生!」と小里は駆け寄る。「おお! 君は・・・」と声をかける八田に、「僕は小里の息子です。用水路建設してくれてありがとうございます!」と言う。「…
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