本日は知られざる感動の物語の一つとして、戦前最後の沖縄県知事をご紹介します。
対談されたお二人の先生方が、もっと多くの日本人に知ってもらいたいと語る人物とは――。

致知出版社の人間力メルマガ 2018.3.21
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岡田 幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
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服部 剛(横浜市立公立中学校教諭)

※『致知』2018年4月号【最新号】
※特集「本気・本腰・本物」P22
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【岡田】
まず私がもっと多くの日本人に知ってもらいたいと思っている一人が、「島守の神」として沖縄の人々から敬慕される戦前最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)ですね。

【服部】
島田叡は立派な方ですね。

【岡田】
島田は沖縄戦直前の昭和20年1月に43歳で沖縄に赴任し、文官にもかかわらず、県民と運命を共にして自決した立派な人です。
ただ沖縄では有名でも、本土ではあまり知られていません。

その島田が沖縄県知事になったきっかけが本当に立派なんです。

これから沖縄は戦場になるということで、現職の知事が職務を放棄したため、急遽後任を決めることになりました。
ところが「死にたくない」と皆断るんです。

それで最後に、当時大阪府の内政部長をしていた島田にお鉢が回ってくるわけですが、彼は「私が行かないなら、誰かが行かなければならない。自分は死にたくないから、他の誰かが行って死ねとは言えない」と、即座に知事を引き受ける決断をするんですね。

(中略)

【岡田】
沖縄県知事として赴任した島田は、目覚ましい働きをします。
その一つが県民の疎開です。犠牲を少なくするため、島田は沖縄本土にいた約49万人のうち、22万人の人々を僅か2か月で疎開させるんです。
結果的には、約10万人の県民が亡くなりましたが、もし島田の努力がなければ犠牲者は2倍にも3倍にもなっただろうといわれています。

【服部】
大変な功績ですね。

【岡田】
そうしていよいよアメリカ軍との戦闘が始まると、本土から来ていた民間人の避難も始まりました。
その時、親しかった新聞社の支局長が訪ねてきて「知事さんは軍人ではないのだから、沖縄県民と最期を共にしなくてもよいのではないか」と言います。
しかし島田は次のように答えます。

「知事として私は生きて帰れると思うかね。
県民がどれだけ死んだか知っているだろう。
私ほど県民の力になれなかった知事はいない」

そしてその言葉のとおり、島田は沖縄に残り、自決して県民と最期を共にしたと。島田の生き方は、役人や指導者のあるべき姿の手本です。

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