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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)2月12日(月曜日)
         通巻第5611号
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 中国で続発するローンウルフ型テロ行為
  こんどは北京のど真ん中、西単ショッピングモールで12名を殺傷
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 2月11日午後、買い物客でごった返す北京のど真ん中西単のショッピングモールで、12名が殺傷されるというテロ事件が発生した。女性ひとりが病院に搬送されたが、直後に死亡、ほかに三名の男性と八名の女性が重症を負った。

この襲撃犯はナイフによる凶行に及んだもので、湖南省出身の「朱」となのる男としか警察の発表はない。

影響を恐れて情報を封鎖しているからで、政治的スローガンも檄も発表されず、不気味なローンウルフ型テロ行為である。

 先週も上海のど真ん中、南京路にバンが突っ込んで、十数名が負傷した。
この事件で犯行に使われたバンにはガスボンベが大量に積み込まれており、犯人等はライターを手にしていた。

 これもローンウルフ型テロ行為で、ドイツやフランス、ベルギーで起きたテロ事件の類型行為、ようするにローンウルフ(一匹狼)、当局が日頃からマークしてきた団体とは関係がない。

 昨年の2月15日、新彊ウィグル自治区の和田(ホータン)でおきたナイフ殺傷事件は八名が死亡したが、以後、一切の発表がなく、事件の拡散をおそれる中国共産党の情報封鎖が行われている。
 今後も、そうした事件の詳細が発表されることはなさそうだ。
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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 劉暁波は、なぜ全体主義の過酷な牢獄にあっても、「絶望」と戦えたのか
  最後の言葉は「わたしに敵はいない」

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余傑著、劉燕子ほか訳『劉暁波伝』(集広舎)
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 劉暁波の最後の言葉は「わたしに敵はいない」だった。
 キリスト教の影響を受けたと見られる、この一言が世界の人々を感動させた。ノーベル平和賞に輝く民主活動家は、中国の監獄からメッセージを発信し、慌てふためいた中国共産党は遺族に火葬を命じたうえ、散骨を海にさせて、将来の影響力を抑え込むことに必死の形相だった。
 しかし物理的な墓は地上に残らなくとも、多くの人々のこころのなかに墳墓ができたのである。
 劉暁波の親友だった余傑は現代中国を代表する作家の一人である。余は中国の監視から逃れ米国へ渡った。事実上の亡命である。その余傑が精神を絞り込んで、書き上げたのが本書である。
 余は、こう書いた。
 「(遺言は)暴力を乗り越えて正義と和解を実現できる理念である」(中略)「中国では、それはまだ幽谷のこだまのように空しく響くだけである。しかし、劉暁波の提唱により、春雨のように『風に随って潜かに夜に入り、物を潤し細かにして声なし』(杜甫)と、人々にしみ浸みいることだろう」(351p)

 劉暁波は天安門事件の学生運動を支援し、学生を背後で鼓舞して「黒子」とも言われたが、長年の思考の蓄積をもとに書き上げた、「08憲章」を起草し知識人を奮い立たせた。この憲章は忽ちのうちに全世界に伝播し、チェコの大統領バーツラフ・ハベルらが感動し、賛同を呼びかけた。
劉暁波は、何回も米国へ出国のチャンスがあったのに、自分の意思で中国に留まった。何が彼をしてそうさせたのか?
 「心の自由のために、彼は身体の不自由という代償を支払った」と余傑は言う。
 「どうすれば長期間もの牢獄にいる災厄に打ち砕かれずにすむだろうか? 劉暁波は自身で体得したことを次のように語っている。『極端に過酷な環境の中で、楽観的平常心を保ちさえすれば、時に襲われる絶望も自殺の毒薬にならずにすむ。特段の災厄に遭っても、男に捨てられてくどくどグチを言い続ける女のようにならずにすむ。なぜ自分はこんな不運な目に会うのだろう』といった自己中心の深い淵に陥らずにすむ」(286p)。
 精神的に惰弱となった現代日本の若者に、この書を読んで貰いたい。

 なお劉暁波の略歴は次の通り。
1955年12月28日、吉林省長春に生まれる。文芸評論家、詩人、文学博士(北京師範大学大学院)、自由を求め中国民主化に尽力。1988年12月から米国にコロンビア大学客員研究員として滞在するが、天安門民主化運動に呼応し、自らも実践すべく予定をきりあげ急遽帰国。1989年6月2日、仲間3人と「ハンスト宣言」を発表。4日未明、天安門広場で戒厳部隊との交渉や学生たちの無血撤退に貢献し、犠牲を最小限に止める。その後、反革命宣伝煽動罪で逮捕・拘禁、公職を追われる。釈放後、文筆活動を再開。
1995年5月~1996年1月、民主化運動、反腐敗提言、天安門事件の真相究明や犠牲者たちの名誉回復を訴えたため拘禁。1996年9月から1999年10月、社会秩序攪乱により労働教養に処せられ、劉霞と獄中結婚。2008年12月8日、「08憲章」の中心的起草者、及びインターネットで発表した言論のため逮捕・拘禁。
2010年2月、国家政権転覆煽動罪により懲役11年、政治権利剥奪2年の判決確定。2010年10月、獄中でノーベル平和賞受賞。2017年7月13日、入院先の病院で多臓器不全で死去(一説では事実上の獄死)。
 著書多数。日本語版は『現代中国知識人批判』、『天安門事件から「08憲章」へ』、『「私には敵はいない」の思想』、『最後の審判を生き延びて』、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』、『牢屋の鼠』、『劉暁波・劉霞詩選』(近刊予定)
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1700回】  
――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(7)
    内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

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孫文らの武装蜂起が失敗を重ねていた当時、「東京におる留学生の思想なども頗る変化して、一時は百のうち九十人までは革命主義であったが、近頃では百中九十までは革命主義を離れ温和な改革説に傾いて来て、康有為、梁啓超一派の議論が勢力を得て」いる。だが武昌蜂起を機に状況が一変すると、はやり「温和な改革派というものは勢力を得にくい」。事態が過激に動き始めるや「温和な改革派」が総崩れになることは、我が明治維新やらロシア革命、さらには毛沢東革命の歴史を見ても明らかだ。そこで当時の事情に即して考えるなら、次に問題となるのが「朝廷の残喘を保持して、革命軍と妥協」を模索する袁世凱の道か、それとも一気に清朝を打ち倒そうとする革命派の動きか、ということになる。

 革命軍が北京に攻め入ったなら、清朝当局に対し「要求するのは恐らく禁衛軍の解散」であり、その次が「政府の明け渡しということにな」り、そこで清朝側と革命派との間で講話が問題となる、というのが内藤の読みだ。

 以下、清朝側に控える袁世凱を軸に、内藤の考えを整理して見ると、
!)袁世凱は「機に乗ずる政治家としては無比の資格を持っておる」が、「すでに末路に瀕している」。だから「どうかすると袁に望みを属して、袁さえ出廬すれば、現状維持が出来るものと考えておった者が少なくない」が、それは誤りだ。

!)袁世凱を軸に清朝側が団結すれば「南北分立が出来るかなどと考える者もあるらしい」が、そもそも歴代王朝の興亡・盛衰を振り返って見ても、中国の経済の中心は長江流域以南の南方にあり、そこを押さえない限り北方の政権は維持できない。つまり南北分立も「大謬見である」。つまり南方と切り離されたらな、北方の経済的自立は不可能である。であればこそ、ゆめゆめ「北方朝廷の援護支持など考えたり」してはならない。

この時点で内藤は、袁世凱は頼りにならないと判断していたわけだ。

 この革命に「ドイツとかアメリカとかいうような国が最もあせって」いるようだが、「この革命の結果が一番我が日本に著しく影響すること」に「最も注意を要する」はずの「隣国たる我が邦」は焦っている風でもない。その背景を考えるに、日本政府が「確かな意見を懐いておっていかなる事変にでも応じ得られる態度がきまっておるためであるのか、それとも何の意味も無くただ事変を傍観しておるのであるか」は不明である。だが対応を誤るなら「日本の将来にとって非常に悪い影響を来すこと」を考えておかなければならない。

「非常に悪い影響」の一例として、内藤は新聞で報じられている「北京などで日本が満洲朝廷を満洲に擁立して一運動を試みるというような奇怪な説」を挙げる。「もちろん日本の当局者としては、そんな愚かな考えを持っておるようなことはなかろう」と断わってはいるが、革命=混乱という機会に乗じて日本が「支那に関する色々な未決な問題をこの際に一挙に解決しようと」して、「亡滅に瀕した朝廷を援助」し、「これを日本の勢力範囲たる地方に一主権者として迎えて置いて、新立国の深い猜疑を招いたり、また結局はその主権を我が邦の手で奪わねばならぬようなまずいはめに陥らぬよう、あらかじめ熟慮して置かねばならぬと思う」とした。

辛亥革命によって生まれた中華民国と交代し、清朝(=満洲朝廷)が幕を閉じたのが1912年初頭。次いで「日本が満洲朝廷を満洲に擁立し」、溥儀を執政に据えて満州国が「新立国」されたのが1932年3月。この20年の間に、日本は「まずいはめに陥らぬよう、あらかじめ熟慮して置」いたのだろうか。「支那に関する色々な未決な問題をこの際に一挙に解決」することのみに焦り過ぎはしなかったか。内藤の予言が気になるところではある。
《QED》
**都合に依り暫時休業。3月9日再開(予定)後も宜しくお付合い願います。**

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