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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官でもあります。
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こんにちは、エンリケです。

スセリビヒメ、アメノウズメ、藤田西湖、修験者、山伏、楠公などなど、おなじみの人物が続々登場します。

さっそくどうぞ。

エンリケ



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わが国の情報史(2)

日本史に登場する女性スパイと忍者

     インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに

 1月22日(月)は、4年ぶりの大雪でした。私は都内某所で「戦略的インテリジェンス入門」と題する講演に出かけていました。当初は80人近い、ビジネス・パーソンの参加が見込まれましたが、残念ながらの大雪のため、参加者は半数以下にとどまりました。いや、このような悪天候の中で、熱心の方々が30人以上も、お集まりいただいたことに、より大きな感謝をしております。

 それにしても、今回の大雪に関する、気象庁の予測は見事でありました。2週間前くらいから、ピンポイントでこの日を指定し、この日の午後から積雪が見込まれると予測し、ほぼ完璧に正解したのですから、見事の一言です。

 しかし、草津白根山の噴火はまったくの前兆がないということで、警報も出されず、残念な結果となりました。不幸にも自衛官1名がお亡くなりになりました。つつしんでご冥福をお祈りいたします。

 天気予報よりも、国際情勢の趨勢を予測することはむずかしいようです。とくに、独裁者の意図に左右されるような朝鮮情勢を占うのは容易ではありません。それでも、脳漿を絞って、何らかの予測を立てなければなりません。

 この際、有効なものとしては、まずシナリオを作成し、次にシナリオの推移に基づく兆候(前兆)リストを予め作成しておき、実際にそのような兆候が発生しているか否か注意深く見ていく手法であります。

 シナリオや兆候に関しては、ダイヤモンド・オンラインの1月15日公開の「元防衛相情報分析官に聞く、仕事に生かせる実践分析術」にて、プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社代表取締役秋山進氏と小生が対談し、少しだけですが、要点的なことを述べていますので、ご興味のある方はどうぞ。

http://diamond.jp/articles/-/153669

 さて、前回はわが国の情報活動の起源について、日本書紀や神話を引き合いにお話しするとともに、『孫子』のわが国への伝来などについてお話しました。

 今回は、神話の続きで、まずは日本史に登場する女性スパイの話から始め、忍者、山伏、楠木正成といったお話に展開させていきます。

▼神話に登場する女性スパイ

 わが国には神話の時代から、女性スパイにまつわる話がある。

 日本書紀などに登場する須佐之男命(スサノウ)の、娘である須世理姫(スセリビメ)は大国主命(オオクニヌシ)に出会って一目惚れした。スセリビメがオオクニヌシを父親のスサノウに紹介したところ、スサノウはヘビやハチ、ムカデのいる部屋にオオクニヌシを入れたりして嫌がらせや虐待を続けた。スセリビメは、それをオオクニヌシにいち早く知らせ、こっそりと救いの手を差し伸べた。スセリビメは惚れた男のために情報活動を行なったのである。

 スセリビヒメは日本最古の女性スパイであろうか?

 岩戸神話では、姉の天照大神(アマテラス)が、弟のスサノウの振る舞いに怒って天の岩戸に隠れて世界が暗闇になった。その時、岩戸の前でアメノウズメが胸乳や女陰を露わにして踊って八百萬(ヤオヨロズ)の神々を大笑いさせた。その大笑いの様子を不思議に思い、アマテラスは戸を少し開けた。そこをアメノウズメは見逃さず、アマテラスを首尾よく外に引っ張り出した。アメノウズメが仕掛けたハニートラップによる国家謀略である。

 日本武尊(ヤマトタケル)が16歳で熊襲(九州の豪族)征伐に向かった際、ヤマトタケルは美少女に変装して熊襲の寝床に忍び込み、熊襲を斬り、使命を果たした。ヤマトタケルは女ではないから、女性スパイというわけではないが、女性を利用した意味では軌を一にする。(『東京=女性スパイ』など)

 スパイは、娼婦につづく歴史上、二番目にふるい職業とされるが、人類の発祥と共に、男女の営みや、戦いの歴史が開始され、同時に秘密を守る重要性とそれを暴く情報活動や謀略工作が進展していったようである。

▼忍者と情報活動との関係

 わが国の情報活動は忍者や忍術とも関係が深い。秘密戦を教育する陸軍中野学校で忍術を教えた(実際にはわずかばかりの講義であった模様)、甲賀流忍者第14世の藤田西湖は次のように、忍術とスパイとの関係を述べている。

「忍術は常に何時の時代においても行われており、忍術というものの行われない時は一日としてない、ことに現代のごとく生存競争の活舞台が層一層の激甚を加える時、人事百般、あらゆることに、あらゆる機会においてこの忍術は行われ、忍術の行われない社会はない。ただ忍術という名前において行われないだけである。
忍術というものはかつての軍事偵察、今日でいう間諜の術=スパイ術である。このスパイ、間諜というものは、何時の時代においても盛んに活躍していたもので、今日支那事変や大東亜戦争が起こると、世界各国の種々なる間諜、スパイが一層活躍しているのである」(藤田西湖『忍術からスパイ戦争』、現代かな遣いに改め)

 藤田によれば、忍術が支那事変や大東亜戦争のスパイ活動に応用されたということであるが、ここで忍者の歴史などについてみてみよう。

▼忍者の歴史

 わが国では飛鳥時代、源平時代から忍術・忍者が発祥したようである。『伊賀忍者博物館』および『日本忍者協議会』の公式HPや、その他の文献から忍者について要点を整理しておこう。

◇忍術を使う人を忍者と呼ぶ。忍者(にんじゃ)という呼び名が定着したのは江戸時代からである(昭和30年代になってからのこととの説もある)。

◇忍術の起源には多くの説があり、始祖などもはっきりしていないが、一説には、聖徳太子に仕えた、甲賀馬杉に住む大伴細入(さいにゅう、または、さびと)という人物が最初の忍者であるともいわれている。その当時は、忍者は志能便(しのび)と呼ばれていた。

◇伊賀の忍者は、鎌倉時代に荘園の中で発生した「悪党」に起源があると考えられる。

◇戦国時代、「伊賀衆」と呼ばれる者たちが、「忍び」と呼ばれるようになった。「忍び」は、乱波(らっぱ)・透波(すっぱ)・草(くさ)・奪口(だっこう)・かまりなど、地方によりさまざまな名前で呼ばれていた。「忍び」は、各地の大名に召し抱えられて、敵国への侵入、放火、破壊、闇討ち、待ち伏せ、情報収集などを行なったが、最も重要なのは敵方の状況を主君に伝えることであった。

◇徳川家康は、伊賀者・甲賀者を取り立て、江戸城下に住まわせ、大奥や無人の大名屋敷などの警備、普請場の勤務状態の観察などを行なわせたほか、寛永初年(1624)ころまでは隠密としても活動させた。
 江戸時代の平和な時代が訪れると、「忍び」は情報を得たり警護をすることが主な任務となり、隣国の政治状況を知って自国の政治に活かすということもしていた。実際はその土地の人と仲良くなって情報を聞き出すことの方が多かったようである。

◇忍術おいて、女性に化けたり、女性を利用したりする方法を「くノ一」(三字を一字に合体すれば女)の術という。
 徳川家康は隠密網を全国に形成し、伊賀、甲賀などの忍者を活用したが、当時を語る時代劇では、「くノ一」が全身黒ずくめの装束を着て銀幕上を賑わしている。
 なお国民的人気を誇る『水戸黄門』では「陽炎(かげろう)のお銀」が悪者に接近し、悪事の証拠を収集するなどする場面が描かれているが、これはフィクションである。実際の「くノ一」は、対象とする屋敷の女中などとして送り込まれ、働きながら屋敷の実情を見聞きするスパイ活動を行なっていたという。

 以上、忍者の歴史について述べたが、これらには諸説あって定かではないが、いずれにもしても、はるか昔から江戸時代の頃まで、戦時や平時において忍者集団が水面下での諜報活動や破壊工作などの任務に携わったようである。わが国の情報組織の一つの源流とみなすこともできよう。

▼忍者と山伏、悪党との関係

 忍術の基本理論は中国から伝来した『孫子』に基づき、その技術は平安時代における修験者(山伏)の活動によって発展したとみられている。

 修験者とは、修験道(しゅげんどう)は実践する者のこという。
修験道は、中国大陸から伝来した仏教に、日本古来の山岳信仰が取り入れられた、日本独特の宗教である。その悟り得るためには、山中に籠もって厳しい修業を行なうことから、修験道を行なう修験者は山伏とも呼ばれた。

 修験道は、奈良時代が起源とされるが、盛んに信仰されるようになったとの平安時代の頃である。さらに、鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立した。

 13世紀末の二度の蒙古襲来(元寇)に対して、鎌倉幕府は奇跡的に蒙古軍に勝利した。しかし、御家人たちに多大な犠牲を払わせたばかりで、財政に窮乏し、御家人に対しろくに恩償を与えることもできなかった。

 一方で幕府のトップ北条高時は、田楽や闘犬に興じ、政(まつりごと)を顧みようとせず、農民に重税を課すばかりであった。

 鎌倉幕府は腐敗し、御恩と奉公の秩序は崩れ、それが農民や商人に伝播し、社会は乱れていった。…

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