NEC_7677.jpg

NEC_9407.jpg

NEC_9582.jpg

NEC_9070.jpg

NEC_9526.jpg

b0331137_15410758.jpg

--------
↓全文読めない等の場合はバックナンバーでご覧下さい↓
http://melma.com/backnumber_45206/
--------

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)1月29日(月曜日)
        通巻第5599号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 チェコ大統領に「反移民」、「反EU」、「反NATO」のゼマン氏が再選
  中欧に政治の地殻変動が始まっている。
************************************
 チェコは、もともとドイツ経済圏だが、移民問題がもつれた。
ゼマン大統領は移民流入阻止を謳い、国境にバリケードを築いて流入を阻止した。またEU、NATOへの加盟継続をよしとするか、否かを国民投票で問うとして大統領選挙を戦い抜き、51・8%の得票を得た。
 野党候補は48・2%と接戦だった。次の問題はドイツと同様に野党と「連立」が組めるか、どうかにある。

 ゼマン政権に協力姿勢を強めているのは日系人オカムラ・トミオで、かれが率いる政党(「自由と直接民主党」)は22議席をしめる(チェコ議会の定員は200)。そのうえオカムラはゼマン再選に協力したうえ、フランスのルペン、オランドのワイルダーら保守系政治家をプラハに一堂にあつめて決起集会的な国際会議を主催した。
 ゼマンはプーチンを称賛している政治家でもあるが、72歳。大酒飲み、愛煙家。

 この結果に不愉快な顔をしたのはメルケル独首相だが、総選挙後三ヶ月してもまだ連立政権を組めないという国内政治状況のため発言を控えた。

 チェコの北側に控えるのはポーランドが揉めている。
 ポーランドは連帯のワレサが大統領となって以来、自由主義を選択してきたが、少数政党乱立時代を経て、最近は保守系の「法と正義」党が第1党となった。チェコと同様に、ポーランドはNATOのメンバーだが「ユーロ」には加わらず、しかしチェコと異なるのは、ポーランドは反ロシア、親米である。トランプはすでにワルシャワを訪問し演説している。

じつは英国へ百万人のポーランド人が移民したが、逆にウクライナから百万人がポーランドに職を求めてやってきた。ややこしい。

 あまつさえポーランドでは、いまアウシェビッツ収容所問題、すなわち実際のホロコーストは過剰なプロパガンダであり、真実の歴史を知ろうという「歴史戦」が開始されており、国会は人数への疑問などを言うと五年以下の懲役とするという法律を通したばかりだが、国民の声は別のところにあるようだ。

 真っ先にポーランド批判に立ち上がったのは、もちろんイスラエルであり、独メルケル首相もポーランドの動きには批判的だ。

       ◎▽□み◇◎◎や◎▽◇ざ◎□◇き□◇◎
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 キルケゴールに触発され、スペイン独自の宗教文化、神秘主義を背景に
  実存主義の魁となった思想家ウナムーノが甦った

 ♪
佐々木孝著、執行草舟監修『情熱の哲学』(法政大学出版会)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 日本でももっとも有名なスペインの哲学者といえば、オルテガ・イ・ガゼットだろう。なにしろ西部遭氏の著作には必ずオルテガからの引用があった。
 ミゲル・デ・ウナムーノは同世代人、オルテガに少なからぬ影響を与え、また与えられた。ウナムーノはサラマンカ大学総長に36歳の若さで就任し、数年後には突然解任され、六年間外国で亡命生活を余儀なくされた。帰国後は大統領に擬せられたこともあるほどに、その影響力は甚大だった。
 かれが生涯かけて挑んだ作品の一つがドンキホーテの思想的解明だった。
 ウナムーノは思想家であり、同時に詩人であり、作家でもあった。
生きることの意味、死ぬことの意味、燃えさかる魂とは何かを追求し、西洋の思想界に巨大な足跡を残した。
 著者の佐々木孝氏はムナムーノの思想的背景をこう説かれる。
 「現代のわれわれは、理性を神として崇めたりはしない。また、合理的であることが必ずしも人間を真の幸福に導くものでないことも承知している。いくたびかの苦い経験によって、人類はコント流の楽観主義がまやかしであり、理性神の支配する楽園がユートピアであることも知っている。しかしそのかつての理性崇拝から無数の『小さな神』が誕生し、それらがわれわれの日常をいかに不自由に縛っていることか。『小さな神』とは、たとえばスピード、能率、効率、利潤など人間を時間性あるいは彼岸性に縛り付ける卑小な神々である」(13p)
 いきなり現代文明批判、本来の思考を喪失した現代人の知性批判から始まる。
 ウナムーノは「民族のうちに眠っている無意識的なるもの、内ーー歴史的なるものは言語のうちに具体化され、そしてその民族の意識された理念は文学のなかに具現されると考える」
 だから彼はセルバンテスのドンキホーテの考察に立ち向かったのだ。

 ウナムーノはデンマークの思想家キルケゴールの哲学に惹かれた。
 ふたりは「キリスト教が形骸化して、ほとんど死に瀕していることを認めないではいられなかった。人間は神との直接的、個別的繋がりを回復しなければならない。かくしてキルケゴールは、硬化したデンマーク教会を激しく糾弾する」(81p)。
 なぜなら神は検証される対象ではなく、心に感じられるもの、である。
 「キルケゴールは、生暖かい遵奉主義よりもむしろ熱情的な異端を選ぶことで、また苦しい自己探求の道を進むことで、そして何よりも、危険を内包する新約のあの根源的反抗精神とはまったく対蹠的な惰弱な精神を弾劾することで、ウナムーノの精神的先達であった」のである。
 つまりスペインのニヒリズムとは「激しい精神の運動であり、燃え上がる魂のダイナミズムである」
 ニーチェは一世代前の人だが、まだこの時代、欧州ではまっとうに評価されていない。
 正統と異端を峻別する一点は「教会への恭順と従順の拒否」であるとウナムーノは『生粋主義をめぐって』に書いた。
ドンキホーテの哲学とは「存在することは存在することを欲することである」。
これを佐々木氏は「生は夢もしくは現実ごときものである。そして今まさに過去の薄明のなかに消失してゆくその現在の瞬間を、絶えず超え出ることによって生は成り立つ。すなわち存在は、現実的にあることではなく、あり続けようと欲することなのだ」と言う。

ウナムーノは『生の悲劇的感情』のなかで書いた。
「夢見るのだ。生を夢見るのである。なぜなら人生は夢だからだ」と。
 本書にはスペイン独特の歴史と宗教の神秘主義思想、そして伝統主義とは一線を画した生粋主義などの説明が縷々なされているが、ウナムーノ哲学の神髄は、難しく考えるとややこしくなり、つまりは情熱への希求、本書の題名にある『情熱の哲学』なのである。

 ことしは日本とスペインの外交関係樹立150年、またウナムーノが総長をつとめたサラマンカ大学創立800年を記念したイベントが行われるが、本書は、その記念事業の一環でもある。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「腐敗した儒者」と呼ぶべきは左翼だと西部氏は言う。そうしたニッポンジンの夥しきは、「グローバリズム」とか「規制撤廃」とかの怪しげな米国製思想に洗脳されたからである。

  ♪
西部遭『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』(幻戯書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

「快刀乱麻を斬る」というより「『妖刀』乱麻を斬る」ですかね。いささか長い題名だが、中味はまさに腐敗儒者=左翼への挑戦状である。
 基本的に左翼は思考停止の愚か者が多いという指摘は正確ではないのか。
 文中にでてくる、その豊饒な語彙力と多彩な比喩力による辛辣批評を展開させて、この人の右に出る批評家はいない。言葉の原義、その語彙の魔力と同一視反応、その魅力と愚かさと明瞭に提示する。そしてそれを悪用するのが左翼だ。
 極左のノーム・チョムスキーが唱えた「一般意味論」は逆説的に言えば、言葉によっていかに相手を騙すかのテクニックである。
 そもそも「冷戦」に勝ったのは自由陣営ではなかったのか。マルクスもレーニンも毛沢東も思想的には死滅したのではないのか。

 それなのに冷戦終結以後も、日本ばかりか欧米でも、左翼の天下が続き、政治はマヒし、マスコミは依然として左翼に乗っ取られ、経済はグローバリズムに逃げ 込んだ左翼の跳梁跋扈、文化は怪しげな国際主義とやらにおかされて、日本人は脳幹をおかされ、日本の政治も経済も本当におかしくなった。西部氏はあえて 「日本人」と述べず、本書では「ニッポンジン」と意図的に表現している。

 じつは西部氏の前作『金銭の咄噺』(NTT出版)をようやく読み終えてホッとしたのも束の間、はやくも西部氏は新作を出された。前者は金銭と無縁の人生を淡々と振り返る西部氏の心的風景の切なさが、いかにも私小説的であったため、読むのに時間を要した。人生の総決算のように思えた。こうした物語を しんみりと読むのが好きである。
 本書は心的風景はそのまま、舞台は日米関係を視座にした哲学風景である。
 ともかく冷戦以後も敗北を続けるのは保守陣営ではないのか?その貧困な思想状況に切れ味の良い、正宗ならぬ面妖な日本刀をひっさげて、西部さんは果てしなきサヨク病原菌に挑む。
 「反左翼を名乗るものがむしろ多数となっている、という時代認識は完全に狂っている」とまず西部氏は挑戦的言辞を駆使しつつ独自の分析をする。
 つまり「反左翼は、左翼のアンチテーゼを述べ立てているに過ぎません。自称左翼の空疎な理想主義が無視している事実を、フェクチュアリズム(事実主義)とでも名付けるべき無思想ぶりで、丹念に列挙しているだけなのが反左翼です」(41p)。

シュペングラーが『中世の秋』で言ったように「文明の秋から冬にかけて流行るのは『新技術への異常な関心』と『新宗教への異様な熱狂』だといいました。今見られるのは『テクノロジズム』(技術主義)というカルト(邪教)の大流行なのです」(220p)

 ▼IT革命は左翼の逃げ場所だったか

そして「左翼が、個人主義はと社会主義派とにかかわらずIT革命に簡単に飛びついて、いったのは専門主義における合理への過剰なり歪曲なりが、テクノロジズム(技術主義)に、テクノマニアック(発明狂)に、そしてテクノカルト(技術邪教)にまでおちたことの現れ」であるという。(248p)
 だから構造改革とか規制撤廃とか、アメリカから価値観をごり押しされて、見るも無惨な非日本化のために執念を燃やした現代の政治家と官僚とマスコミは、 「数百年、数千年の歴史を持つ日本国家を、大して知識も経験も能力もない」人たちがムードに便乗して破壊した結果であり、「日本および日本国家がアメリカから受け取った構造改革のイメージは、さすがアメリカの属国、もっと(悪い意味で)理想主義的なものでした。//