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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)1月22日(月曜日)参
        通巻第5589号
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「中国のビッグデータは国民を見張っている」と「デジタル・レーニン主義」の名付け親
  「もはや中国の監視態勢は『オーエルの世界』を超えた」
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 日本ではまだ無名に近いが、セバスチャン・ヘイルマンと言えば欧州を代表するチャイナ・ウォッチャーの第一人者。ドイツの社会学者である。

ヘイルマンは欧州の中国研究シンクタンクを主宰し、彼のコラムはNYタイムズやウォールストリートジャーナルなどに時折掲載される。『赤い白鳥』という代表作があるが、日本語の翻訳はまだない。
彼が、AI監視社会を「デジタル・レーニン主義」と名付けた。

 ジョージ・オーエルが鋭く予言的に描いた全体主義国家の情報管理と国民監視のシステムは世界的な話題作となった『1984』に詳しい。
「ビッグ・ブラザーズ」という支配者の登場である。映画『猿の惑星』も、このオーエルにヒントを得ている。

 現代のビッグブラザーという支配者は、あの男である。
 習近平が率いる中国共産党のデジタル社会への取り組みは「オーエルの世界を超えた。ビッグデータが国民の全てを日常的に監視できるシステムとして完成に近いからだ」とセバスチャン・ヘイルマンは書いた。

 西側はデジタルエコノミーで社会システムの迅速化、効率化、そして金融制度の改善を目標としてきた。
ところが中国の動機は最初から異なっていた。ビッグデータを、中国共産党の支配のために活用する用途だけを最初から必死で追い求め、開発してきたのだ。

 うっかり、このシステムを中国と共有すれば、西側の個人情報もすべて中国共産党が把握することになるとヘイルマンは警告を発している。

      ◎▽□み◇◎◎や◎▽◇ざ◎□◇き□◇◎
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1692回】              
――たしかに「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」に違いない

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 文久2(1862)年に千歳丸に乗り込んだ高杉晋作ら幕末の若者たちが上海の街を「徘徊」してから半世紀(たったの半世紀!?)が過ぎた頃、「支那は民國元年となり、同時に日本亦大正元年となつた」(北一輝『支那革命外史』みすず書房 昭和34年)。そこで【知道中国】も明治期を終わり大正期に入ることにしたい。
 どこまで続くのか。先の全く見えない前途遙遠な作業ながら、今後ともご笑覧のほどを宜しく願います。

 以下、これまで読んだ千歳丸以降の紀行の書名を書き留めておきたい。
なお「 」内はそれぞれの著者の思いを表せばこんな言葉になろうかと、書中から拾ってみたもの。改めて読み返して感じたことは、峯潔から中野狐山までの多くの先人の飽くなき好奇心、旺盛な探求心、知的誠実さ、同じ目線で異土の草民を捉えようとする生真面目さ、加えるに強靭な精神と些かの遊び心――彼らの残した知的財産を如何に受け継ぎ、咀嚼し、今後の中国・中国人認識に生かすべきか。問題山積ではあるが、大正期を読み進みながら考えたい。

1)「日本人始メテ上海ニ遊来也」:峯潔「航海日録」
2)「入唐シ玉フハ室町氏以来希有ノ?・・・豈一大愉快ナラスヤ」:名倉予何人「海外日録」
3)「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」:納富介次郎「上海雑記 草稿」
4)「我國萬世一統。所以冠萬國也」:日比野輝寛「贅肬録」「没鼻筆語」
5)「支那之衰微、押て可知候也」:中牟田倉之助「上海行日記」
6)「海外に知己を得るは、殆ど夢の如し」:高杉晋作「遊?五?」
7)「東洲ヲ振ハシ西洲ヲ壓スルノ急務ヲ策スヘシ」:曾根俊虎『北支那紀行』
8)「民口無慮四億萬其食鴉片者居十之一」:竹添進一郎『棧雲峽雨日記』
9)「最モ困却セシ者ハ便所ニテアリシ」:曾根俊虎『清國漫遊誌』
10)「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」:小室信介『第一遊清記』
11)「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」:尾崎行雄『遊清記』
12)「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」:岡千仞『觀光紀游』
13)「街路湫隘ニシテ塵穢?集到ル處皆然ラサルハナシ」:?田清隆『漫游見聞録』
14)「支那人は自國を賛譽し誇稱して、外人を貶す」:安東不二雄『支那漫遊實記』
15)「佛具散亂蛛網充滿寺僧洋烟に沈醉して佛道影なし」:原田藤一郎『亜細亜大陸旅行日誌?清韓露三國評論』
16)「支那種族ノ勢力ハ将來實ニ恐ルヘキ者アルヲ信スルナリ」:高橋謙『支那時事』
17)「土民生計ノ貧窶想見スルヘシ」:大鳥圭介『長城游記』
18)「今や紀綱衰頽し萬國の嘲侮する所たり」:宮内猪三郎『改正清國事情探檢?』
19)「生蕃ノ支那人ヲ見ルコト仇讐モ啻ナラス」:長谷川鏡次『台灣視察報告書』
20)「南洋道とか何とか立派なる・・・美名に變ずることを」:中橋徳五郎『台灣視察談』
21)「頑迷固陋倨傲自尊・・・耻ナキモノハ利ヲ嗜ミテ」:西島良爾『實?清國一斑』
22)「支那人は少しの事でも抜目なく・・・」:中村作次郎『支那漫遊談』
23)「汚吏?縁して奸を行ひ、遂に失敗に歸せり」:内藤虎次郎『支那漫遊 燕山楚水』
24)「其民は頑冥不靈を以て世界到る處に拒絶せられんとす」:大谷派參議部『清國巡遊誌』
25)「賭博思想ハ支那人ノ天性ナルカ如シ」:村木正憲『清韓紀行』
26)「一言ノ口約束能ク一萬兩ノ取引ヲ結了スル・・・」:木村粂市『北清見聞録』
27)「支那ハ困リタ國デス何處マデモ亡國ノ兆ヲ帶ビテ居マス」:戸水覚人『東亞旅行談』
28)「衰亡國民ノ意節ナキニモ浩歎セサルヲ得サリキ」:植村雄太郎『滿洲旅行日記』
29)「彼等の體力は實に野生である、獸性である」:高瀬敏?『北清見聞録』
30)「湖南省を目して小日本・・・自ら稱して小日本人といふ」:安井正太郎『湖南』
31)「正邪の標準なくして、利害の打算あり」:?富猪一郎『七十八日遊記』
32)「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる」:宇野哲人『支那文明記』
33)「支那の官吏は賄賂を取る、金なくば訴訟するな」:廣島高等師範學校『滿韓修學旅行記念録』
34)「我邦人所占居。旭旗相映以祝秋皇靈祭。亦足以觀我國之光矣」:股野琢『葦杭游記』
35)「獨乙・・・將來・・・無限の勢力を大陸に敷けるもの・・・」:山川早水『巴蜀』
36)「此行各地官商熱誠優待來接者不知其數・・・」:永井久一郎『觀光私記』
37)「濫りに東方策士を以て自任す。此徒の心事最爲可憫」:阿川太良『支那實見録』
38)「独逸の活動心憎きまで?溂たるものあるを感じた」:米内山庸夫『雲南四川踏査記』
39)「支那の國はまだ夢を見て居る」:小林愛雄『支那印象記』
40)「即ち支那國は滅びても支那人は滅びぬ」:佐藤善治郎『南清紀行』
41)「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ」:前田利定『支那遊記』
42)「早合點の上、武勇を弄ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」:川田鐵彌『支那風韻記』
43)「全く支那人程油斷のならぬ者はない」:中野狐山『支那大陸横斷遊蜀雜俎』
                                     以上
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)西部邁氏の自死のニュース、意外ではまったくなく、長年連れ添った妻の死の後を追うような江藤淳の死を思い出しました。
西部氏は保守の論客として活躍しながら、小泉政権時代のイラク戦争への対応をめぐって親米保守派からはずいぶん煙たがられ、産経新聞を訪ねた際など偉い人から順にみな用事があると逃げ出した様を面白おかしく語っていたのが印象に残っています。
戦後70年を経ても自立しようとしない日本人に愛想が尽きたのでしょうか。
   (PB生、千葉)


(宮崎正弘のコメント)西部氏への追悼の替わりに小生が書評した下記の文章を新しく、ここに再録しておきます。
 見出しは「戦後の中江兆民論は左翼のご都合主義によって歪曲された――― 丸山真男や桑原武夫を俎上に、独自で狷介な民主制を説いた中江を解剖」でした。
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西部邁『中江兆民 百年の誤解』(時事通信社)
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 中江兆民といえば、ルソーの翻訳者。したがって日本の近代思想の先駆者、デモクラシーの実践者として評価されてきた。が、これは間違いである、と西部氏はナカエニズムの真価を再発見する思想遍歴の旅にでた。
 おもえば福沢諭吉を奇妙に高く持ち上げて、近代化の列に評価したのは丸山真男、中江兆民をはっきりと曲解して左翼的に評価したのが桑原武夫だった。いずれも意図的な誤読による、誤解をひろく世間にばらまいた評論家である。
 西部氏には独自の解釈本『福沢諭吉』(中公文庫)がある。
 中江兆民は後藤象二郎から二十五両をもらって遊学の旅に出て、さらに欧米使節団に混入させてもらってフランスへ留学し、帰国後は官庁に籍を置き糊口を凌ぎつつ、翻訳に取り組んだ。ルソーの『民約訳解』が出版されて百三十年の歳月が流れ、しかしいまなお幸徳秋水の師匠、デモクラシーの魁だったと左翼の進歩的ブンカジンらが勝手に解釈した誤解がまかり通る。
 ナショナリズムを冷静にみつめ、国学とは距離をおいたものの中江兆民は紛れもなく保守主義思想に立脚した思想家だったというのが本書で西部邁氏が声を大にしている肯綮である。
 中江は奇行の人として知られるが、それは「哲学者」の風貌と「愛すべき変人」という二面性があり、「明治のアウトサイダー」だったことに異論はない。
 また「トルックスター」であり、「マージナルマン(境界人)」でもあったとする西部氏は「東洋と西洋、封建と近代、統治と反逆、国権と民権、文筆と生活、哲学と辞表、信仰と懐疑その他様様の二面性の境界線上で兆民は生きた」(57p)
 しかも中江兆民は「西洋哲学がキリスト教の影響下にある場合はむろんのこととして『霊魂』をめぐる神話によって色づけされていることに、多大の疑念を抱き続けていた」(35p)
 兆民はたとえば共和制について、「すなわち公務(公共の任務)という意味であり、全員にかかわることがらと同じである。昨今、刊行される書物では、しばしば「共和」と訳されている。けれども『共和』という文字は、元来、この言葉(フランス語のレピュブリク)と関係がない」と指摘しているのである。
 すなわち「中江兆民の言説のどこを探しても天皇制への反対論がみつからないばかりか、それへの容認論や肯定論が随所にちらばっている」(72p)のである。
 アメリカをみる中江兆民の目も正鵠を得ている。
 「アメリカの民主制は『代議士をして単に国民希望の大体に適合せしむるのみ
ならず、更に彼の最も推移し易く最も変転し易き国民の感情にまで適合せしめる』と言うのです」。//