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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)7月26日(水曜日)
通算第5368号
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ベネズエラに続いてパキスタンのデフォルトが近い
最大の債権国はいわずとしれた軍事同盟国のチャイナです
***************************************
既報の通り、ベネズエラは外貨の借入金が期日を迎えても支払えず、デフォルトが近いのではないかと観測されている。
そのデフォルトを回避させるために中国は返済繰り延べに応じている模様だ。そうしないと、中国の推進する「一帯一路」が挫折するからd。
ベネズエラ国債の格付けはCCC(ジャンク債)。最大の債権国は中国、国内は猛烈インフレ(なにしろインフレ率1600%)、各地で反政府暴動が頻発している。ベネズエラの石油鉱区を買いあさり、巨額を注ぎ込んできたのは中国だった。
パキスタン。
中国と密接な軍事同盟国。南西部グアダールから新彊ウィグル自治区への900キロに及ぶ鉄道、ハイウェイ、パイプライン、そして光ファイバー網と四つの大プロジェクトが進んでいる。
これこそは習近平の「一帯一路」構想の目玉であり、「中国パキスタン経済回廊(CPEC)」と呼ばれる世紀のプロジェクトである。
ところがパキスタンの財政事情が悪化していることが明らかになった。
2016年の会計年度(2016年7月1日から17年6月30日まで)のパキスタンの経常収支は記録破りの赤字となった。
単年度だけの財政赤字121億ドル。主因は輸入の増大と反比例して海外でかせぎ組からの送金が激減したこと。パキスタンの輸出はちなみにコットン、アパレル、食品、医薬品(後者ふたつは米英の合弁企業による)。
パキスタンの2017年度、貿易赤字は325億ドルに達した。
これによる累積対外債務は790億ドル。人口ならびに国の規模はベネズエラよりはるかに大きいとは言え、この収入と支出のバランスを失した赤字体質は、これからも縮小ではなく、拡大方向になるという。
▲中国の経済成長がまだ続いていると報道している日本のメディアは事実を直視しているのか、どうか激しく疑わしくないのか
輸入が急拡大しているのはCPECの所為である。
中国から建設機械、建機、セメントなどの建料の輸入が拡大しているわけで、しかも返済が滞るのは眼に見えているから、通貨のパキスタン・ルピーはますます急落し、必然的に猛烈なインフレを招来する。
ちなみにパキスタンの借入先は次の通り
17億ドル 中国開発銀行
7億ドル 英国スタンダードチャーター銀行(パキスタンは旧英国領)
3億ドル 中国商業銀行(複数)
2億5000万ドル 米シティバンク
6500万ドル スイス銀行ソンソーシアム
4450万ドル UAE
この一例をあげただけでも中国の吠えているAIIB、ならびに一帯一路がすでに挫折に向かっていることは明らか。
ニカラグア運河の工事中断は、明日のすべてを象徴する。つまり、海外プロジェクトの多くが、中国国内の鬼城(ゴーストタウン)のように、幽霊都市と化けるのは時間の問題なのである。
英米の戦略は、そうやって中国を経済的にぶっつぶすことにあるのだろう、と推測できる。
「中国の経済成長がまだ続いている」
「その証拠に鉄鋼生産は伸び、不動産価格が上がっている」
などと中国当局の発表をそのまま検証もしないで、報道している日本のメディアは事実を直視しているのか、どうか激しく疑わしくないのだろうか?
「中国経済が崩壊すると予言してきた人は、現在の中国経済の成長ぶりに対して反論できないだろう」などとヘンてこな意見をよく耳にするが、2013年から明らかに崩壊している中国経済の実態を見てみないふりをしているのか、そういう意見に出会うと、こういう分析をする人たちは中国の代理人なのだろうかと疑いたくもなる。
□▽◎み□◇□や□▽◎ざ□◇□き◎□◇
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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鉢の木会、吉田健一、大岡昇平、三島由紀夫らとの交遊
翻訳の裏話から劇団の分裂、運営の苦労、脳梗塞、そして父子の和解
♪
福田逸『父 福田恒存』(文藝春秋)
@@@@@@@@@@@@@
次男の福田逸氏が没後二十年にして、初めて、しかも思う存分、父親を赤裸々に語った。
家族でしか分からない、あの時代の福田恒存氏のこころの葛藤、そして父と息子の確執、嗚呼、こんなことがあったのか、これまで語られなかった裏話から透けて見えてくる福田恒存の全貌である。
子供の頃、父は外遊先からハガキを書いた。「これがじゆうのめがみ」と平かなで書かれていたり、家族で英国に滞在したときはストーンヘンジにでかけ、岩をよじ登った想い出、当時は柵もなかったとか(現在柵が設けられ、石にはさわれない。年間数百万の観光客がある)。
大岡昇平から久闊を叙す手紙が公開されている。
このなかに実に面白いくだりを見つけた。それは大岡昇平が江藤淳をインチキと決めつけている箇所で、
「江藤のインチキについては『小林秀雄』が出来上がった頃から油断してなかったのですが、どうもみんなが変におとなしいので、(批判を)やってみただけです。しかし心臓にさわるから、こんどはケンカの相手はしないつもりです」
ところが福田逸氏によれば、福田と大岡は、この頃仲が悪かったそうだ。
三島由紀夫との対決、相互理解、芯からの友情に関しては、じつに多くのページが割かれている。
三島の諌死事件直後、福田恒存氏は「わからない、わからない、わたしには永久にわからない」とコメントし、それから一切見解を示さなかった。
評者(宮崎)は小誌の2010年6月14日号(通巻2993号)で、次のように書いているので、やや長文だが、まずここに再録する。
▲60年安保でのふたりの立場は対照的だった
(引用開始)「福田恒存と三島由紀夫はよきライバルであり親友であり、しかし演劇活動では仲違いもし、論争は喧嘩腰の侃々諤々、いまから思えば古き良き時代だった。二人が対談した雑誌はよく読んだ。
三島は福田を「暗渠で西洋と繋がっている」と揶揄した。福田は三島の暗渠は日本と繋がっているなど丁々発止、虚々実々のやりとりの妙も興味津々だが、とりわけ「文学座」分裂の前後、新しい演劇集団の交錯、俳優らの取り合いなど外から見ていた分かりにくかったあの時代の状況を、絡み合った糸を丁寧に解しながら(遠藤浩一の本は)真相に迫る。
本書(遠藤浩一『福田恒存と三島由紀夫』(麗澤大学出版会)の特徴のひとつは著者(遠藤氏のこと)が演劇人でもあり、微細にわたる演劇界の戦後史も書き込んでいるところにある。演劇世界をしらない読者には初めての事実の開陳に驚きを禁じ得ないだろう。
もっとも評者(宮崎)も演劇界の出来事はよく知らず断片的な情報しか当時もいまも知らないが、福田氏が平河町、北野アームスのオフィスに陣取り、さかんに演劇プロジュースをしていた頃、ときおり会ったことがあるので、演劇世界における駆け引きが政治と似ていると思ったことがある。
話を本題に戻す。
戦後の空白期、三島は寓話的表現を通じて主権不在の日本の状況を書いた(たとえば『鍵のかかる部屋』)。
ところが福田はむしろ戦闘的に左翼文化人の虚妄と戦っていた。
60年安保のとき、三島は反対運動のそとにいて「岸は小さな小さなニヒリスト」を評論し、安保騒動には冷ややかだった。しかし三島は「自分もニヒリストであると自己規定し、しかし『私は小説家であって政治家ではない』と(弁明的に)述べている」(同遠藤前掲書)。
日本がまだGHQによって占領されていた昭和二十六年に三島が書いた『禁色』には檜俊輔という作家が登場し「愚行を思想から峻別した」などとして「思想についての思想」は、「俊輔の観念のやうでもあるし、作家独自のもののやうでもある。要するに思想と行動を完全に切り離し、思想は付け焼き刃のようにあとで生まれたものであって、とどのつまり、思想なんて信ずるにたりないもの」というスタンスが示される。
だから当時の三島は「祖国の主権回復に対してはきはめて冷淡だった。そこに欺瞞を発見したからである。
当時の「三島にとっては、主権回復も安保も、『思想』から分別された『愚行』でしかなかった。欺瞞に満ちた形で独立を回復した日本国の日々は、あたかも檜俊輔の生活がさうであったように、蹉跌の連続、誤算と失敗の連鎖としか、三島には映らなかった」という遠藤は、それらを三島は正面にすえたテーマとはせず、「韜晦につぐ韜晦を重ねた」のだと(遠藤は)する。
したがって60年安保騒動の時点で三島の立ち位置は曖昧だった。
深沢七郎の『風流夢譚』事件前後には、サヨクと誤解され自宅に警備陣が張り込んだこともあった。
三島が思想を鮮明にだすのは東京五輪前後からだ。そして『憂国』『喜びの琴』『文化防衛論』へと突っ走る。
さるにても晩年の二人)福田と三島)はなぜ対立したのか。
評者は学生時代に保守学生運動をしていたので三島由紀夫と福田恒在に、それぞれ三回、講演に来てもらったことがある(拙著『三島由紀夫”以後”』(並木書房参照)。
個人的つきあいは深くないが、楯の会結成前夜の三島の思想遍歴を時系列にたどると、福田恒存との対談の内容においてさえ微細な変化がある。
とくに改憲をめぐって三島が法理論的に分析すると福田は「法学部さがり」とからかう。そうした行間に大きな懸隔と変貌を嗅ぎ分けられるように三島は徐々に神秘的な攘夷思想ともとれる考え方に走る。
対比的にこんどは福田が冷静だった。
福田恒存と三島由紀夫が「戦った相手は進歩主義であり、破壊主義であり、機械主義であり、便宜主義であり、あるいはニヒリズムであった。軽蔑したのは偽善であり知的怠惰であり、安易な現実肯定主義であった」が、ふたりの「構えかたは『反戦後』などといふ陳腐なものではなく、戦後という時代を、両手を広げて引きつけつつも、これを疑い、時代を歪めているものを暴き、矛盾を衝き、ゆがみや矛盾に恭順する安易な処世術を嫌悪し、知的怠惰を叱り、日本人の本気の所在を問い、常識の復権を求め、美意識の研錬を実践した」(遠藤浩一前掲書)。
▲「三島の自決はわからない、わからない」と表した福田の真意
三島の自決を聞いた福田は「わからない。わからない。私には永遠にわからない」と発言したと当時の東京新聞が報じ、週刊誌が「名言(迷言)として伝えた。
評者は、その後、福田の真意を確かめたいと思っていたところ、おりからの福田恒在全集の三島論が納められているのを発見した。
(直後にわからない、わからないと新聞に答えた氏は)「もし三島の死とその周囲の実情を詳しく知っていたなら、かはいそうだとおもったであろう、自衛隊員を前にして自分の所信を披瀝しても、つひに誰一人立とうとする者もいなかった。もちろん、それも彼の予想のうちに入っていた、というより、彼の予定通りといふべきであろう。あとは死ぬことだけだ、そうなったときの三島の心中を思うと、いまでも目に涙を禁じ得ない。が、そうかといって、彼の死を「憂国」と結びつける考えかたは、私は採らない。//
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ベネズエラに続いてパキスタンのデフォルトが近い
最大の債権国はいわずとしれた軍事同盟国のチャイナです
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そのデフォルトを回避させるために中国は返済繰り延べに応じている模様だ。そうしないと、中国の推進する「一帯一路」が挫折するからd。
ベネズエラ国債の格付けはCCC(ジャンク債)。最大の債権国は中国、国内は猛烈インフレ(なにしろインフレ率1600%)、各地で反政府暴動が頻発している。ベネズエラの石油鉱区を買いあさり、巨額を注ぎ込んできたのは中国だった。
パキスタン。
中国と密接な軍事同盟国。南西部グアダールから新彊ウィグル自治区への900キロに及ぶ鉄道、ハイウェイ、パイプライン、そして光ファイバー網と四つの大プロジェクトが進んでいる。
これこそは習近平の「一帯一路」構想の目玉であり、「中国パキスタン経済回廊(CPEC)」と呼ばれる世紀のプロジェクトである。
ところがパキスタンの財政事情が悪化していることが明らかになった。
2016年の会計年度(2016年7月1日から17年6月30日まで)のパキスタンの経常収支は記録破りの赤字となった。
単年度だけの財政赤字121億ドル。主因は輸入の増大と反比例して海外でかせぎ組からの送金が激減したこと。パキスタンの輸出はちなみにコットン、アパレル、食品、医薬品(後者ふたつは米英の合弁企業による)。
パキスタンの2017年度、貿易赤字は325億ドルに達した。
これによる累積対外債務は790億ドル。人口ならびに国の規模はベネズエラよりはるかに大きいとは言え、この収入と支出のバランスを失した赤字体質は、これからも縮小ではなく、拡大方向になるという。
▲中国の経済成長がまだ続いていると報道している日本のメディアは事実を直視しているのか、どうか激しく疑わしくないのか
輸入が急拡大しているのはCPECの所為である。
中国から建設機械、建機、セメントなどの建料の輸入が拡大しているわけで、しかも返済が滞るのは眼に見えているから、通貨のパキスタン・ルピーはますます急落し、必然的に猛烈なインフレを招来する。
ちなみにパキスタンの借入先は次の通り
17億ドル 中国開発銀行
7億ドル 英国スタンダードチャーター銀行(パキスタンは旧英国領)
3億ドル 中国商業銀行(複数)
2億5000万ドル 米シティバンク
6500万ドル スイス銀行ソンソーシアム
4450万ドル UAE
この一例をあげただけでも中国の吠えているAIIB、ならびに一帯一路がすでに挫折に向かっていることは明らか。
ニカラグア運河の工事中断は、明日のすべてを象徴する。つまり、海外プロジェクトの多くが、中国国内の鬼城(ゴーストタウン)のように、幽霊都市と化けるのは時間の問題なのである。
英米の戦略は、そうやって中国を経済的にぶっつぶすことにあるのだろう、と推測できる。
「中国の経済成長がまだ続いている」
「その証拠に鉄鋼生産は伸び、不動産価格が上がっている」
などと中国当局の発表をそのまま検証もしないで、報道している日本のメディアは事実を直視しているのか、どうか激しく疑わしくないのだろうか?
「中国経済が崩壊すると予言してきた人は、現在の中国経済の成長ぶりに対して反論できないだろう」などとヘンてこな意見をよく耳にするが、2013年から明らかに崩壊している中国経済の実態を見てみないふりをしているのか、そういう意見に出会うと、こういう分析をする人たちは中国の代理人なのだろうかと疑いたくもなる。
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鉢の木会、吉田健一、大岡昇平、三島由紀夫らとの交遊
翻訳の裏話から劇団の分裂、運営の苦労、脳梗塞、そして父子の和解
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福田逸『父 福田恒存』(文藝春秋)
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次男の福田逸氏が没後二十年にして、初めて、しかも思う存分、父親を赤裸々に語った。
家族でしか分からない、あの時代の福田恒存氏のこころの葛藤、そして父と息子の確執、嗚呼、こんなことがあったのか、これまで語られなかった裏話から透けて見えてくる福田恒存の全貌である。
子供の頃、父は外遊先からハガキを書いた。「これがじゆうのめがみ」と平かなで書かれていたり、家族で英国に滞在したときはストーンヘンジにでかけ、岩をよじ登った想い出、当時は柵もなかったとか(現在柵が設けられ、石にはさわれない。年間数百万の観光客がある)。
大岡昇平から久闊を叙す手紙が公開されている。
このなかに実に面白いくだりを見つけた。それは大岡昇平が江藤淳をインチキと決めつけている箇所で、
「江藤のインチキについては『小林秀雄』が出来上がった頃から油断してなかったのですが、どうもみんなが変におとなしいので、(批判を)やってみただけです。しかし心臓にさわるから、こんどはケンカの相手はしないつもりです」
ところが福田逸氏によれば、福田と大岡は、この頃仲が悪かったそうだ。
三島由紀夫との対決、相互理解、芯からの友情に関しては、じつに多くのページが割かれている。
三島の諌死事件直後、福田恒存氏は「わからない、わからない、わたしには永久にわからない」とコメントし、それから一切見解を示さなかった。
評者(宮崎)は小誌の2010年6月14日号(通巻2993号)で、次のように書いているので、やや長文だが、まずここに再録する。
▲60年安保でのふたりの立場は対照的だった
(引用開始)「福田恒存と三島由紀夫はよきライバルであり親友であり、しかし演劇活動では仲違いもし、論争は喧嘩腰の侃々諤々、いまから思えば古き良き時代だった。二人が対談した雑誌はよく読んだ。
三島は福田を「暗渠で西洋と繋がっている」と揶揄した。福田は三島の暗渠は日本と繋がっているなど丁々発止、虚々実々のやりとりの妙も興味津々だが、とりわけ「文学座」分裂の前後、新しい演劇集団の交錯、俳優らの取り合いなど外から見ていた分かりにくかったあの時代の状況を、絡み合った糸を丁寧に解しながら(遠藤浩一の本は)真相に迫る。
本書(遠藤浩一『福田恒存と三島由紀夫』(麗澤大学出版会)の特徴のひとつは著者(遠藤氏のこと)が演劇人でもあり、微細にわたる演劇界の戦後史も書き込んでいるところにある。演劇世界をしらない読者には初めての事実の開陳に驚きを禁じ得ないだろう。
もっとも評者(宮崎)も演劇界の出来事はよく知らず断片的な情報しか当時もいまも知らないが、福田氏が平河町、北野アームスのオフィスに陣取り、さかんに演劇プロジュースをしていた頃、ときおり会ったことがあるので、演劇世界における駆け引きが政治と似ていると思ったことがある。
話を本題に戻す。
戦後の空白期、三島は寓話的表現を通じて主権不在の日本の状況を書いた(たとえば『鍵のかかる部屋』)。
ところが福田はむしろ戦闘的に左翼文化人の虚妄と戦っていた。
60年安保のとき、三島は反対運動のそとにいて「岸は小さな小さなニヒリスト」を評論し、安保騒動には冷ややかだった。しかし三島は「自分もニヒリストであると自己規定し、しかし『私は小説家であって政治家ではない』と(弁明的に)述べている」(同遠藤前掲書)。
日本がまだGHQによって占領されていた昭和二十六年に三島が書いた『禁色』には檜俊輔という作家が登場し「愚行を思想から峻別した」などとして「思想についての思想」は、「俊輔の観念のやうでもあるし、作家独自のもののやうでもある。要するに思想と行動を完全に切り離し、思想は付け焼き刃のようにあとで生まれたものであって、とどのつまり、思想なんて信ずるにたりないもの」というスタンスが示される。
だから当時の三島は「祖国の主権回復に対してはきはめて冷淡だった。そこに欺瞞を発見したからである。
当時の「三島にとっては、主権回復も安保も、『思想』から分別された『愚行』でしかなかった。欺瞞に満ちた形で独立を回復した日本国の日々は、あたかも檜俊輔の生活がさうであったように、蹉跌の連続、誤算と失敗の連鎖としか、三島には映らなかった」という遠藤は、それらを三島は正面にすえたテーマとはせず、「韜晦につぐ韜晦を重ねた」のだと(遠藤は)する。
したがって60年安保騒動の時点で三島の立ち位置は曖昧だった。
深沢七郎の『風流夢譚』事件前後には、サヨクと誤解され自宅に警備陣が張り込んだこともあった。
三島が思想を鮮明にだすのは東京五輪前後からだ。そして『憂国』『喜びの琴』『文化防衛論』へと突っ走る。
さるにても晩年の二人)福田と三島)はなぜ対立したのか。
評者は学生時代に保守学生運動をしていたので三島由紀夫と福田恒在に、それぞれ三回、講演に来てもらったことがある(拙著『三島由紀夫”以後”』(並木書房参照)。
個人的つきあいは深くないが、楯の会結成前夜の三島の思想遍歴を時系列にたどると、福田恒存との対談の内容においてさえ微細な変化がある。
とくに改憲をめぐって三島が法理論的に分析すると福田は「法学部さがり」とからかう。そうした行間に大きな懸隔と変貌を嗅ぎ分けられるように三島は徐々に神秘的な攘夷思想ともとれる考え方に走る。
対比的にこんどは福田が冷静だった。
福田恒存と三島由紀夫が「戦った相手は進歩主義であり、破壊主義であり、機械主義であり、便宜主義であり、あるいはニヒリズムであった。軽蔑したのは偽善であり知的怠惰であり、安易な現実肯定主義であった」が、ふたりの「構えかたは『反戦後』などといふ陳腐なものではなく、戦後という時代を、両手を広げて引きつけつつも、これを疑い、時代を歪めているものを暴き、矛盾を衝き、ゆがみや矛盾に恭順する安易な処世術を嫌悪し、知的怠惰を叱り、日本人の本気の所在を問い、常識の復権を求め、美意識の研錬を実践した」(遠藤浩一前掲書)。
▲「三島の自決はわからない、わからない」と表した福田の真意
三島の自決を聞いた福田は「わからない。わからない。私には永遠にわからない」と発言したと当時の東京新聞が報じ、週刊誌が「名言(迷言)として伝えた。
評者は、その後、福田の真意を確かめたいと思っていたところ、おりからの福田恒在全集の三島論が納められているのを発見した。
(直後にわからない、わからないと新聞に答えた氏は)「もし三島の死とその周囲の実情を詳しく知っていたなら、かはいそうだとおもったであろう、自衛隊員を前にして自分の所信を披瀝しても、つひに誰一人立とうとする者もいなかった。もちろん、それも彼の予想のうちに入っていた、というより、彼の予定通りといふべきであろう。あとは死ぬことだけだ、そうなったときの三島の心中を思うと、いまでも目に涙を禁じ得ない。が、そうかといって、彼の死を「憂国」と結びつける考えかたは、私は採らない。//