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 平成29年6月30日発行 vol.433
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 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」
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「女帝の子」ではなく「女も帝の子」
──何のための歴史論か 3
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。


 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第5節 何のための歴史論か──「女性宮家」創設論のパイオニア・所功京産大名誉教授


▽3 「女帝の子」ではなく「女も帝の子」

 女性天皇が過去に存在することは知られています。問題は後者です。

 所先生は17年の皇室典範有識者会議のヒアリングでも、8世紀に完成した「大宝令」や、これに続く「養老令(ようろうりょう)」に、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令(けいしりょう)」という規定があることに注目し、同様の発言をしています。

 継嗣令の冒頭の一条(皇兄弟子条)は、

「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ。親王より五世は、王の名得たりと雖(いえど)も、皇親の限に在らず」(『律令』日本思想大系3、井上光貞ら、1976年)

 とあります。〈 〉の部分は原注です。

 この「女帝の子も亦同じ」について、先生は、

「天皇たり得るのは、男性を通常の本則としながらも、非常の補則として『女帝』の存在を容認していたということであります」

「これは、母系血縁あるいは母性というものを尊重する日本古来の風土から生まれた、既に6世紀末の推古天皇に始まる『女帝』を、当時の最高法規である律令が公的に正当化したものとして重要な意味を持つものだと思うわけであります」

 と述べています。

 しかし、

「女帝の子もまた同じ」

 と読む解釈には無理がある、という指摘があります。畏友・佐藤雉鳴氏の指摘です。

「女(ひめみこ)も帝の子はまた同じ」

 と読むべきであり、天皇の兄弟、皇子と同様に、女子も(内)親王とする、と解釈すべきだというのです。女性天皇の子孫についての規定ではないというわけです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


◇ 筆者のプロフィール ◇

斎藤吉久(さいとう・よしひさ) 昭和31年、第32代崇峻天皇の后・小手姫(おてひめ)が里人に養蚕と機織りを教えたとの物語が伝えられる福島県・小手郷(おてごう)に生まれる。子供のころ遊んだ女神川は姫の故事に由来する。弘前大学、学習院大学を卒業後、総合情報誌編集記者、宗教専門紙編集長代行などを経て、現在はフリー。著書に『天皇の祭りはなぜ簡略化されたか』など。過去の発表記事は斎藤吉久のブログで読める。「戦後唯一の神道思想家」葦津珍彦(あしづ・うずひこ)の「没後の門人」といわれる


━━━━━━━━━━━━《《《著書紹介》》》━━━━━━━━━━━━━
『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか─宮中祭祀の危機─』 斎藤吉久著
定価(1700円+税)

天皇ご在位20年、ふたたび宮中祭祀の破壊が始まった!政教分離の名のもとに側近らが祭祀を破壊してきた知られざる歴史を検証しながら、たったお一人で祭祀を守ろうとされた昭和天皇と今上陛下のご心情に迫る。http://www.namiki-shobo.co.jp/
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