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 平成29年6月23日発行 vol.426
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 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」
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御活動が国民との信頼の基礎なのか?
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 2
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 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを1人で始めました。できましたら、ご協力をお願いします。


 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
〈https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s〉

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽2 御活動が国民との信頼の基礎なのか?

 ごく簡単に批判を試みると、天皇の制度が古来、強固に続いていることについて、市村先生が、天皇と国民との相互の信頼関係を指摘されたのはきわめて重要で、同意します。天皇の存在の一方で、国民の根強い天皇意識があればこそ、制度は連綿と続いてきたのでしょう。

 しかしながら、すでに何度も述べたことですが、それは市村先生が指摘されたように、天皇や皇族方の御活動によって形成されてきた、というわけではないはずです。天皇あるいは皇族方が社会的に活動されるのは、すぐれてヨーロッパ的、近代的な現象です。皇室の御活動の維持が議論されていることこそが、まさに近代的なのだと思います。

 もし皇室の御活動によって国民との信頼関係が築かれるのなら、近代以前、皇室と国民とのあいだの信頼関係はどのようにして築かれたのでしょうか?

 たとえば、後陽成天皇の聚楽第行幸は豊臣秀吉が演出したものでした。後水尾天皇の二条城行幸は徳川秀忠と家光が拝謁しました。これらは誰との「信頼関係」を築くものだったのでしょうか。前者はむしろ権力者が皇室を政治的に利用したのであり、後者は下克上の最終段階において、朝廷をも従わせようとする徳川3代との激しいつばぜり合いの中で起きたことでした。

 時代が移り、明治元年以降、明治天皇は、お召し艦やお召し列車で、ときに軍服を召され、地方に行幸されました。

 たとえば、いまや北海道は、新潟県と生産量を競い合うほどの米どころですが、明治政府は当初、西欧式農業の導入に腐心し、稲作農業の展開には無関心でした。札幌農学校の寮の規約には「米飯を食すべからず」と明記され、屯田兵村では稲作禁止令が通達されました。稲作を試みた農民が投獄されるほどでした。

 しかし民間人の稲作にかける思いは抑えがたく、のちに「北海道稲作の父」と呼ばれた中山久蔵は、現在の北広島市で、寒さと飢えと孤独に耐えつつ、寒地稲作を成功させ、種籾を開拓民に無償配布し、水田稲作が北の大地に拡大していきました。

 明治14年9月、明治天皇は久蔵宅で昼食を召し上がった際、「金三百円並びに御紋付き三つ組銀杯」を賜り、54歳の久蔵は感涙に咽んだと伝えられます。こののち開拓使は幕を閉じ、新たに設立された北海道庁は稲作推進を決め、稲作試験場を開設し、寒地稲作は公認されたのです。

 天皇のお出ましは国策転換の、いわばセレモニーでした。

 明治天皇が地方巡幸の折にお立ち寄りになった行在所などは、戦前は史跡に指定され、「聖蹟」と呼ばれましたが、占領期に指定解除されました。天皇の地方へのお出ましが国民との信頼関係の基礎であるとするならば、「女性宮家」創設と同時に、各地にある「聖蹟」を復活させてはいかがでしょうか。しかし、そんな提案はあり得ないでしょう。

 今日、陛下は自然災害の被災地を訪れ、被災民と交わられ、あるいは元ハンセン病患者やお年寄りなどとの交流を続けられ、皇居勤労奉仕団にお声をかけられます。それらが国民との絆を深めることになっていることは、私も同意できます。

 しかし、たとえば天皇の被災地ご訪問は、公的支援を打ち切る「安全宣言」の機能を併せ持っています。全国のハンセン病療養所を訪問されているのは今上陛下であり、勤労奉仕団のご会釈も今上陛下は1人1人にお声をかけられますが、昭和天皇は遠くから軽く手を振られるだけでした。

 しばしば大手新聞社が主催する美術展などに、おそらく各社の要請を受けられて、陛下や皇族方がお出ましになることもありますが、これは国民との信頼関係を築くものなのでしょうか?

 政府は、これらの御活動が安定的に維持されるべきであり、ご多忙を極める現実に鑑みて、女性皇族方にご分担いただくため、婚姻後も皇籍離脱せずに、皇室にとどまる必要があると、認識しているのでしょうか。市村先生もそのことに、賛成しているということでしょうか?

 つまり、政府が目的に掲げる、安定的に維持されるべき「皇室の御活動」とは、具体的に何か、がまず問われるべきです。そうでなければ、議論は単なる抽象論に終わります。

 伝統的、歴史的な天皇像とは、必ずしも行動主義によらず、しかもそれでありながら、「まえがきにかえて」で申しましたように、もっと生々しいものではないのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


◇ 筆者のプロフィール ◇

斎藤吉久(さいとう・よしひさ) 昭和31年、第32代崇峻天皇の后・小手姫(おてひめ)が里人に養蚕と機織りを教えたとの物語が伝えられる福島県・小手郷(おてごう)に生まれる。子供のころ遊んだ女神川は姫の故事に由来する。弘前大学、学習院大学を卒業後、総合情報誌編集記者、宗教専門紙編集長代行などを経て、現在はフリー。著書に『天皇の祭りはなぜ簡略化されたか』など。過去の発表記事は斎藤吉久のブログで読める。「戦後唯一の神道思想家」葦津珍彦(あしづ・うずひこ)の「没後の門人」といわれる


━━━━━━━━━━━━《《《著書紹介》》》━━━━━━━━━━━━━
『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか─宮中祭祀の危機─』 斎藤吉久著
定価(1700円+税)

天皇ご在位20年、ふたたび宮中祭祀の破壊が始まった!政教分離の名のもとに側近らが祭祀を破壊してきた知られざる歴史を検証しながら、たったお一人で祭祀を守ろうとされた昭和天皇と今上陛下のご心情に迫る。http://www.namiki-shobo.co.jp/
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