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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
平成27年(2015)9月25日(金曜日)
通巻第913号
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追悼
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多田真鋤先生 (憂国忌発起人、慶應義塾大学名誉教授)
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玉川博己
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憂国忌の発起人であった慶應義塾大学名誉教授の多田真鋤(ただますき)先生には去る七月十二日逝去されました。享年八十八。ここに謹んで哀悼の意を表します。
多田真鋤先生は昭和二年生まれで予科から慶應義塾大学法学部政治学科に進まれ、昭和二十五年に卒業後助手、助教授を経て昭和六十三年に退任されるまで慶應義塾大学教授として教鞭をとられました。専門は近代ドイツ政治思想史で『近代ドイツ政治思想研究~ナチズムの理念史』など多くの著作があります。
また多田先生は単に学究の徒であるだけでなく、筆者が大学に入学した当時猖獗を極めていた暴力的な左翼学生運動の只中、これに対峙して学園の正常化を図ろうとする我々の運動にご理解を示され、筆者も創設に加わった慶應義塾大学国防問題研究会の会長をお引き受けくださいました。また昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫先生と森田必勝烈士が市ヶ谷台上において壮烈な諌死を遂げられたとき、私たちが「三島由紀夫氏追悼の夕べ」を開催した際、林房雄、保田與重郎、村松剛などの諸先生たちとともに真っ先にこれに賛同され、以来四十五年の長きにわたって「憂国忌」の発起人を引き受けてくださいました。私事ながら筆者の結婚の際には喜んでご媒酌の労をおとり頂きました。
多田先生はドイツの政治思想、とりわけ保守主義のご研究がご専門でしたが、それはバークなど英国流の保守主義ではなく、国家主義や民族主義を基調とするドイツ的な保守主義であり、保守主義思想が頑迷固陋なものではなく、時代を越えて発展してゆくというお考えでした。大東亜戦争中多田先生は大学予科に在学されていましたが、当時慶應義塾大学の教授であり、国家主義経済や東亜共同体論を主張した加田哲二博士の思想には大きな影響を受けたと語っておられました。
戦後一転して占領軍の下デモクラシー全盛の時代となりましたが、大学に進まれた多田先生はこうした時流に流されず、あくまでも欧米流の民主主義思想や当時猛威をふるったマルクス主義には背を向けて、国家とは何か、日本的なものとは何かについて考究を深められました。
私が生前の多田先生から聞いた面白い話があります。戦時中東大教授であった平泉澄博士の国史学を愛読し、平泉博士に心酔していた多田先生は、まだ慶大生であった昭和二十四年頃、銀座にあった出光興産の本社ビルに仮寓していた平泉澄博士を訪ねたことがあったそうです。多田先生にお茶を出してくださった平泉博士の奥様が「いまどき平泉澄を訪ねて下さる奇特な学生がいらっしゃるとは」と驚いたご様子でいらしたとのこと。平泉博士は多田先生がドイツ政治思想史を専攻していると聞いて、マイネッケやクローチェなど欧州の歴史学や哲学の先覚の著作を大いに読みなさい、と激励してくださったそうです。「神皇正統記」や「大日本史」など日本の古典をもっと読めと言われるのではないか、と予想していた多田先生には意外な平泉博士のアドバイスでありましたが、その言葉で専攻のドイツ政治思想史の研究に一層励む勇気が得られた、と言っておられました。
多田先生は保守主義者を自認しておられましたが、それはむしろ保守の思想の中にこそ真の革新の力が宿っているという意味でした。だから畑違いであった文学者の三島由紀夫先生の「文化防衛論」にも十分なご理解を示されたのです。そして多田先生は何よりも皇室を重んじる尊皇主義者であり、愛国者でありました。不肖の弟子の一人として、あらためて多田真鋤先生のご冥福をお祈りします。合掌。
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評
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渡辺 望『未完の大東亜戦争』(アスペクト)
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評 多田彰矢
本書は、副題が「日米の戦後をゆがめ続ける本土決戦の正体」となっているように、昭和20年8月大東亜戦争が本土決戦突入の寸前で、ある意味で奇跡的なタイミングで終結したことが戦後の日本にどのような影響を及ぼしたのかを論じる内容である。著者は決して日本は本土決戦をやるべきであった、と主張しているのではなく、本土決戦をしないまま戦争を終えたことが、戦後の日本と日本人の精神に与えた負の影響を分析している。
著者は言う。
「その回避があまりにもスムースだったために、日本の精神的歪みも生じることになってしまったのだ。」と。これに加えて著者は「日本人が本土決戦に突入し、本当の日本人の精神的危機に直面した『日本本土決戦後の日本』では、あそらく現実の戦後日本よりもはるかに真剣に、皇室・天皇の存在は尊いものに考えられるようになったと思う。」と述べる。
著者も言うように、昭和20年8月15日の終戦に際して、いわゆる玉音盤をめぐる宮城クーデター事件を起こした青年将校たちが目指したのは本土決戦そのものではなく、ポツダム宣言受諾に関して国体護持の保証が得られるまでは決して妥協してならないということであった。
しかし、実際には鈴木貫太郎内閣は「承詔必謹」の名の下に、昭和天皇の御聖断と玉音放送を以て無血終戦を迎えたのである。その後の歴史は、占領軍の進駐、東京裁判、日本国憲法の制定といった過程を経て現在の日本が形成されていったことを物語っている。もちろん様々な僥倖と日本国民の勤勉な努力があいまって戦前をはるかに上回る経済的繁栄が得られたことは事実であった。だがしかしその一方で失われたものも多かったのではないか、というのが著者の視点である。
著者が「本土決戦の思想」として、西郷隆盛、蓮田善明、三島由紀夫に言及していることは興味深い。著者は「西郷は滅びゆく旧時代日本のために、自ら滅びるために戦闘を起したのである。」と西郷を評し、終戦時にジョホールバルで不敬発言をなした上官を射殺して自決した蓮田善明について「蓮田は、滅びゆく大日本帝国の将来を悲観して黄泉の国へ旅立った。」と述べている。更に著者は「蓮田を師匠と仰ぐ三島は、本土決戦を回避して生き残った天皇・皇室と日本国家が偽物であって『死にうる神』は占領軍によって巧妙な殺戮をなされたのだという思念から離れることができなかった。占領軍によって殺されるくらいならば、昭和20年の夏に『死にうる神』と日本国民はあえて滅亡の戦いを挑むべきではなかったのか、ということである。」と論じる。
同じ敗戦国であるドイツは実際に本土決戦を行い、最後はベルリン攻防戦まで行って敗れている。文字通り国土は焦土と化し、領土は奪われ国土は分断され、日本(戦死者約310万)を上回る900万もの人的損害を蒙っている。だがそれから70年後皮肉なことにそのドイツは東西統一を成し遂げ、今や欧州の盟主として君臨しているではないか。日本がもし本土決戦を行っていたら想像もつかない悲惨な結果が生じたであろうが、一方でもし本土決戦を遂行していれば、精神的には今と違った戦後日本が生れていたという想念も抱かざるをえない。但しこれはあくまで「イフ」の世界で想像を絶するものである。
著者は『若人よ蘇れ』や『朱雀家の滅亡』など三島由紀夫の戯曲作品から、三島の「本土決戦の思想」を読み解く。そして「三島という人間は、おそらく誰よりも『本土決戦の季節』を真剣に生き、戦後になってもその時間の意味するところを誰よりも真剣に考えた人間であった。」と評する点は評者も得心するところである。
本書にはまだ多くの興味深い問題提起がなされているが、紙幅の都合で省略する。いずれにしても大変刺激的かつ挑戦的な本書を読み終えて爽快な読後感が残った。
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三島由紀夫研究会からのお知らせ
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十月の三島由紀夫研究会「公開講座」は田中英道先生(東北大学名誉教授)です。
記
とき 10月21日(水)18:30~(18:00開場)
ところ アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師 田中英道(東北大学名誉教授)
演題 三島由紀夫と「美」
会費 一般2千円、会員は千円
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▲ 森田必勝 追悼会、四日市で。
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十一月七日、四日市で「森田必勝 追悼会」が開催されます
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「三島由紀夫『楯の会事件』から四十五年――森田必勝氏追悼の集い」
森田必勝(楯の会学生長、自決)の没後45周年を記念し、追悼会が開催されます。
烈士ゆかりの地、四日市海星高校から二浪して早稲田大学へ進んだ森田は、故郷の四日市に特別の思い入れを抱いていました。
記念講演は宮崎正弘氏(評論家)。宮崎氏は学生時代に日本学生同盟幹部、日本学生新聞編集長。学生運動で森田の友人。同じ新聞配達の仲間でもあった。
事件直後、森田必勝遺稿集『わが思想と行動』(日新報道)を編纂した。三島由紀夫研究での著作には『三島由紀夫「以後」』(並木書房)、『三島由紀夫はなぜ日本回帰したのか』(清流出版)、『三島由紀夫の現場』(並木書房)の三部作がある。
演題は「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」です。
記
とき 11月7日 1400―
ところ 四日市市文化会館 第三ホール(300名定員)
http://ticket.st/places/mie-363
講師 宮崎正弘(評論家)
演題 「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」
入場無料(予定)
当日会場では森田必勝遺稿集『我が思想と行動』の頒布が行われる予定です
名古屋、岐阜、京都方面の愛国者のみなさん、ふるってご参加下さい。
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「憂国忌」のお知らせ 「憂国忌」のお知らせ 「憂国忌」のお知らせ
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第四十五回 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」
生誕90年、没後45年、享年45,第四十五回目の追悼儀式
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「ミシマを通して日本を考えよう」
ことしの憂国忌は45周年の節目となるため二部構成となります。//
