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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成27年(2015)9月15日(火曜日)
          通巻第911号
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書評

西尾幹二『GHQ焚書図書開封11・維新の源流としての水戸学』(徳間書店)
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                             玉川博己
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西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封』シリーズの最新刊である本書は「維新の源流としての水戸学」を取り上げている。著者は本書において、GHQが没収指定を行った高須芳次郎や深作安文などの戦争中に書かれた水戸学に関する書物を取り上げ、その内容を紹介しながら、著者自身の水戸学論を展開している。
そしてそれは単に明治維新の源流ともいうべき水戸学を紹介するのみならず、迫りくる欧米列強の侵略の圧力の中で事なかれ主義に過ごしていた江戸幕府を、現在の戦後占領体制の残滓を引きずる日本に投影させて、維新革命の思想となった水戸学の現代的意義を問いかけるものである。

 私自身の水戸学に対するイメージは、『大日本史』の編纂に着手し、湊川に大楠公の墓所を建立し尊皇思想を普及せしめた義公水戸光圀に代表される前期水戸学、そして幕末期にそれまでの尊皇敬幕思想を一気に尊皇攘夷思想に転換させていった烈公水戸斉昭、会沢正志斎、藤田東湖などの後期水戸学である。
かつて私は神戸の造船会社に勤務していたことがあるが、湊川神社境内にある光圀の揮毫による「嗚呼忠心楠子之墓」の墓碑は身近な存在であった。
後年水戸を訪れる機会があったとき、郊外の太田にある西山荘にも立ち寄り今も残されている晩年の光圀が過ごした質素な書斎や、折にふれ光圀が正座して京都の方角を遥拝したといわれる庭に大いに感銘を受けたものである。

さて本書において西尾氏はまず水戸学が持っていた変革の思想の意義を重視する。徳川御三家の一員といういわば幕藩体制を支えるべき立場の水戸藩が、当初は尊皇敬幕を掲げながらも幕府の事なかれ主義や問題先送りの守旧感情を、その内部から壊していった思想と行動は維新史を考える上で欠かすことはできないと明快に指摘している。
そして著者は、比喩として戦後における自民党体制の、国防という主権を外国に預けたままの怠惰な守旧感情のどうにもならぬしぶとさを思い合わせずにはいられないと皮肉を込めて批判していることには全く同感である。

前 期水戸学と後期水戸学のそれぞれの特徴について西尾氏は次のように述べる。前期水戸学が合理的であり、神話的歴史観を排している面を持つのに対して、後期水戸学は国防の観点が強調されるようになってきていると。
『大日本史』の編纂に当って、光圀は基本方針としてそれまで国史上の難問であった神宮皇后や大友皇子の扱いを明確にする(神宮皇后の即位否定、大友皇子の即位是認)とともに、南朝(吉野朝)正統論を打ち出した。これらは大義名分の立場から光圀が決定したもので、後にすべて明治政府によって継承されている。

また西尾氏は前期水戸学と後期水戸学の中間の時期に位置する藤田幽谷(藤田東湖の父)をいわば中期水戸学と位置づけて、水戸学の転換を図った存在として重視する。
光圀の時代はまだ尊皇敬幕思想であり、決して幕府を否定するものではなかったが、幽谷は「尊皇賤覇」を唱え、当時松平定信に提出した「正名論」は後に老中となる定信の不興を買ったという。
「尊皇賤覇」とは天皇を幕府の上に置くものであり、天皇を崇め奉る思想は幕府にとって危険思想と見なされたのである。この幽谷の思想が弟子の会沢正志斎や息子の藤田東湖に引き継がれ、「尊皇賤覇」は「尊皇排覇」に進み、やがて尊皇攘夷を唱え維新の革命的イデオロギーの源流となる後期水戸学に発展してゆく。

後期水戸学の大きな柱は尊皇攘夷と国学である、と西尾氏は述べる。これは言い換えれば尊皇と国防ということである。幕末近くになると欧米列強の東亜侵略の波が日本にも及び、日本の危機が現実のものとなりつつあるにもかかわらず、幕府はこれを直視せず、ただ無為無策、問題先送りの対応であった。(戦後の日本政府と同じではないか)

これに危機感を募らせたのが烈公水戸斉昭と彼が登用した会沢正志斎と藤田東湖であり、ここに後期水戸学はいよいよ現実に対処する変革の思想として発展し、会沢正志斎の「新論」や藤田東湖の「弘道館記述義」は全国の勤皇の志士たちに熱烈に受け入れられるのである。平野国臣、吉田松陰、西郷隆盛ら志士たちは競って水戸を訪れ、尊皇攘夷思想に触れて大いに感奮興起したことはいうまでもない。
尊皇攘夷というと偏狭な排外的ナショナリズム思想であると誤解されやすいが、西尾氏はそれを否定し文明開化と尊皇攘夷は矛盾対立していないと述べる。外国の文明を取り入れるが、その基本にあるのは自分を強くすることである、という西尾氏の指摘は、後に福澤諭吉が唱えた「独立自尊」の思想に通じるのではないだろうか。
西尾氏は儒学を否定した国学と儒学に依拠した水戸学の相違点を述べる。しかし儒学を用いつつも藤田東湖はシナ思想の「禅譲」と「放伐」はこれを排撃する。これは水戸学に限らず古来海外の文化と思想を受容してきた日本人がその受容に際して取捨選択を行い、長を取って短を捨てる民族的伝統によるものなのであろう。

最後に西尾氏は総括として、「天皇を中心として国家統一をするという尊王攘夷のスローガンは、日本が近代国家になって行くための必然のステップだった」「その序幕を開いたのが水戸学」であったと結論する。
また西尾氏は尊皇とは「日本人の個我の発見」であり、「天皇の名において、近代的自我が発現した」のであるとする。
「水戸学一党一派の徹底した勤皇イデオロギーがあったおかげで、国難の時代に、この国は天皇家を中核とした近代統一国家を形成することに成功した」「薩長の武士も水戸学の思想に心酔し、これを頼りにしていた」という結語には大いに感銘するものがあった。 
『文化防衛論』において、天皇こそ日本の文化・伝統・歴史の中心であり、また天皇のみが日本における革命の原理であるとした三島由紀夫の言葉を思い出す本書の読後感である。
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  秋の多磨霊園、三島先生のお墓参り、のお知らせ
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 秋の多磨霊園、三島先生のお墓参り、のお知らせ
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 秋の墓参を下記の通り多磨霊園で行いますので、ご案内します。
          記
日時  9月20日(日)午後2時より
集合  午後1時半 多磨霊園正門前「よしの家」
    府中市紅葉丘2-7-4
    ― 042 (361) 2176
緊急連絡は玉川代表幹事(携帯090-1611-9839)まで。
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   三島由紀夫研究会からのお知らせ
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 9月の「公開講座」の講師は新保祐司氏
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 9月18日は、都留文科大学副学長・教授の新保祐司氏(文芸評論家)が登壇します。
       記
とき  9月18日(金)18時半~(18時開場)
ところ アルカディア市ヶ谷(私学会館)
     http://www.arcadia-jp.org/access.htm
講師   新保祐司(文芸評論家、都留文科大学副学長・教授)
演題   神武東征と交声曲「海道東征」の復活
会費   一般2千円 会員は千円

新保祐司氏は国民歌「海ゆかば」の作曲者である信時潔の評伝を書かれていますが、信時潔が昭和15年に紀元2600年を奉祝するために作曲したオラトリオ(交声曲)「海道東征」は傑作の評判も高いのです。

ところが戦後は顧みられることがなく、ようやく故黛敏郎先生が再評価を行い、そしてこれまでに2度ほど完全演奏が行われたことがありますが、今秋11月には新保氏のご協力で大阪で復活演奏が行われる運びとなりました。
正に神話と現代音楽が一体となったこの傑作とそれを生み出した信時潔についてCD演奏も含めて熱く語って頂きます。

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十月の三島由紀夫研究会「公開講座」は田中英道先生(東北大学名誉教授)です。
          記
とき   10月21日(水)18:30~(18:00開場)
ところ   アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師   田中英道(東北大学名誉教授)
演題   三島由紀夫と「美」
会費   一般2千円、会員は千円

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十一月七日、四日市で「森田必勝 追悼会」が開催されます
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 「三島由紀夫『楯の会事件』から四十五年――森田必勝氏追悼の集い」
  森田必勝(楯の会学生長、自決)の没後45周年を記念し、追悼会が開催されます。
 烈士ゆかりの地、四日市海星高校から二浪して早稲田大学へ進んだ森田は、故郷の四日市に特別の思い入れを抱いていました。

記念講演は宮崎正弘氏(評論家)。宮崎氏は学生時代に日本学生同盟幹部、日本学生新聞編集長。学生運動で森田の友人。同じ新聞配達の仲間でもあった。
事件直後、森田必勝遺稿集『わが思想と行動』(日新報道)を編纂した。三島由紀夫研究での著作には『三島由紀夫「以後」』(並木書房)、『三島由紀夫はなぜ日本回帰したのか』(清流出版)、『三島由紀夫の現場』(並木書房)の三部作がある。
演題は「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」です。
         記
  とき   11月7日 1400―
  ところ  四日市市文化会館 第三ホール(300名定員)
 http://ticket.st/places/mie-363
  講師   宮崎正弘(評論家)
  演題  「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」
  入場無料(予定)
  当日会場では森田必勝遺稿集『我が思想と行動』の頒布が行われる予定です
  名古屋、岐阜、京都方面の愛国者のみなさん、ふるってご参加下さい。
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  「憂国忌」のお知らせ 「憂国忌」のお知らせ 「憂国忌」のお知らせ
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第四十五回 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」
生誕90年、没後45年、享年45,第四十五回目の追悼儀式
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――「ミシマを通して日本を考えよう」
 ことしの憂国忌は45周年の節目となるため二部構成となります

三島由紀夫氏追悼 第四十五回 追悼の夕べ
「憂国忌」のご案内

 前略 貴台におかれましてはご健勝のことと存じ上げます。//