--------
↓全文読めない等の場合はバックナンバーでご覧下さい↓
http://melma.com/backnumber_133212/
問い合わせID
10P2K8hu60Gxcg7d61b2LGR0eb895dd2
--------
□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2015年8月8日 第1526号 )
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━
西村眞悟の時事通信
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━
八月六日、TVは原爆慰霊祭から高校野球に切り替わる
平成27年8月6日(木)
本日、朝、感じたこと、というより、TVで見た画像の変遷は、広島の爆心地での原爆慰霊祭と、それに続く、甲子園球場での全国高校野球開会式であった。
まず、高校野球開会式に関して述べ、それから原爆投下に関して述べる。
昨年の八月六日、沖縄県座間味島守備隊長であった梅澤裕陸軍騎兵少佐が亡くなり(享年九十七歳)、この八月二日に、天王寺の性厳寺で一周忌法要が行われた。
梅澤少佐は、米軍の侵攻が迫る座間味島の、自決用の武器と弾薬を提供して欲しいという住民代表に対して、自決してはならん、生き延びよ、と命じた隊長であった。
しかし、その梅澤少佐が、戦後のマスコミと大江健三郎の「沖縄ノート」という著書(岩波書店)では、住民に「集団自決命令」を出して自決せしめた鬼の如き極悪の人物とされた。
そこで、梅澤少佐は、その自虐史観の濡れ衣を払い国家と軍と自分の名誉を守るために、著者と出版社を相手にして、集団自決命令冤罪訴訟を提起して戦い続けた。
その結果、事実認定として、裁判所は「自決命令を裏付ける証拠はない」と認めたのである。
そして、一年前の葬儀に、櫻井よしこ氏は「梅澤さんの濡れ衣は、完全に晴れた」との弔電を送り、梅澤少佐の訴訟を全面支援し続けた南木隆治氏は、集団自決命令の虚構、南京大虐殺の虚構、従軍慰安婦強制連行の虚構は、総て崩れつつある、と梅澤少佐の人生をかけたご努力を讃えた。
以上は、昨日も、台湾最南端から南に広がるバシー海峡での戦没将兵慰霊祭に関して述べたことである。
そこで、昨日述べていたからこそ、本日、次のことを述べたいのだ。
今朝の高校野球開会式において、朝日新聞社長が、開会を宣言し挨拶をする段になると、目を逸らせチャンネルを替えた。
聞くに、見るに、堪えない。
朝日新聞こそは、南京大虐殺の虚構、従軍慰安婦強制連行の虚構そして梅澤守備隊長の集団自決命令の虚構を故意に真実として報道し続け、日本国と日本国民の名誉を著しく毀損し続けるという卑劣な巨悪の元凶ではないか。
その朝日新聞が、何故、純粋な少年達の高校野球の主催者になれるのか。
考えてもみて欲しい。
彼ら高校野球に励む球児達は、部員の一人でも万引きすれば、また、暴力沙汰を起こせば、全員が出場停止になる。
そして、そう仕向けるのは、朝日新聞などのマスコミではないか。
そういう不祥事が起こると、マスコミは、校長と野球部監督を記者会見に引きづり出して、出場を辞退しますと言わせて、頭を下げさせる。
これが、朝日新聞等マスコミの姿ではないか。
このマスコミ人達は、決して品行方正ではないのに、高校球児達の品行については、ここまでアラを探る。
そこでだ!
ここまで厳しい倫理と連帯責任を要求されて頑張ってきた純粋な球児達の全国大会を、こともあろうに!
球児達の純粋さとは、まさに正反対の朝日新聞が、主催する資格があるのか!
優勝校の主将に、朝日新聞社長が優勝旗を授与する場面を想像するだけでも、少年が気の毒である。
勇敢に戦って泥棒を捕まえた正義感に満ちた少年に対して、泥棒詐欺師の親分が、その正義を讃えて表彰する偽善と変わらないではないか。
次ぎに、広島への原爆投下について述べる。
あらためて、昨年の十月に訪れて立ったテニアン島のB29への原子爆弾搭載現場と、原爆を搭載したB29が発進した滑走路が目蓋に浮かんだ。
熱帯のジャングルを抜けてくる風が、あそこだけはヒヤリとするほど冷たかった。
あそここそ、アウシュビッツを凌ぐ虐殺地点である。
アウシュツビッツやダッハウのユダヤ人絶滅収容所は、ヒットラーに率いられたナチスドイツの狂気がなせる虐殺地点である。
このことは今や普遍的な認識だ。
これに対して、テニアンの原爆搭載地点と滑走路は、今もなお民主主義と人類の正義がなせる日本人虐殺地点である。
このアウシュビッツとテニアンと、どちらが恐ろしいか。
アユシュビッツの入口に、アメリカがテニアンでしているように、
「ここは、ナチスドイツの輝かしい歴史的ポイントである」
と誇らしげに、今も、書いてあれば、どう思うか。
これを想像して欲しい!
話題を変える。
原爆投下を、何故、阻止しえなかったのか。
あの当時でも、総力を挙げれば、阻止し得たのだ!
情報をもっと収集できて、情報部員の判断力がアップしておれば、本土防衛の我が戦闘機群が、原爆を搭載したB29に襲いかかり、それを太平洋に機体ごと沈めることができた!
以下、このことを書く。堀栄三著「大本営参謀の情報戦記」より。
当時、大本営情報部は、アメリカ軍の暗号解読はできなかったが、電波は二十四時間一語も漏らさず聞いていて、グアム、サイパン、テニアンにいるB29は全機コールサインから把握していた。
従って、編隊の機数も訓練の状況も、日本本土上空で撃墜され欠番となった機も把握していた。
その中で、昭和二十年五月中旬、ホノルルを発してサイパンに向かったB29一機の奇妙な行動を捕捉した。
「このB29はかつてないことをした。つまり、かなり長文の電報をワシントンに向けて発信したのであった。たった一機のB29がワシントン宛に電報するとは異変であった。
・・・六月中旬頃までの追跡で判明したことは、不思議にもこの部隊は十機から十二機までの部隊であることも判った。(通常百十機)」
大本営情報部は、この機を「正体不明機」と命名し、テニアンのこの飛行機の基地を攻撃するように、参謀総長や防空部隊に意見を具申したが、硫黄島失陥後の日本には既にその可能性はなくなっていた。
『七月十六日、ニューメキシコ州で新しい実験が行われた』と言う外国通信社の記事が目についた。
しかし、この「正体不明機」の任務は判らず、大本営の第六課、特情部、航空本部のそれぞれの情報担当者は、連日のように研究会議を重ねて、まさに日夜懊悩した。だが深い霧は晴れなかった。」
「八月六日午前三時頃、このコールサインでごく短い電波がワシントンに飛んだ。
・・・コールサインからは二、三機の編隊と判断された。
午前四時やや過ぎて、硫黄島の米軍基地に対して、この飛行機は、『我ら目標に進行中』と発信した。・・・それ以後は皆目電波は出さなかった。
午前七時二十分頃、豊後水道水の子燈台上空から広島上空に達したB29一機が播磨灘の方へ東進中に電波を出した。
この電波に気を取られて、後続の編隊が出てくるはずだと、目も耳も気もとられていたその瞬間、八時六分、二機のB29が豊後水道とは反対の東の方から広島上空に向かって突入していた。
彼らはいままでの常套戦法の裏をかいた。
午前八時十五分、広島上空に一大閃光とともに原子爆弾が投下された。
『ああ、万事休す』
第六課の米国班の堀達が追跡した正体不明機は、原爆投下という特殊な任務機であったことを、最後まで見抜けなかった。
・・・いずれにしても、情報の任に当たる者は、『個人の勘』が働くだけの平素から広汎な知識を、軍事だけでなく、思想、政治、宗教、哲学、経済、科学など各方面にわたって、自分の頭のコンピューターに入力しておかなければいけなかった。
堀達の頭に、原爆という語は、その当時かけらもなかったことを告白する
・・・想い出しても、想い出しても残念であり、その罪の大なるを感じている。」
以上が、アメリカ軍の侵攻時期や侵攻地点を、情報を分析してことごとく的中させ、「マッカーサーの参謀」と呼ばれた大本営参謀堀栄三陸軍大佐の手記の内容である。
八月六日の本日、あらためて、情報収集と分析の死活的重要性を再認識し、我が国に、各セクションごとではなく、国家のための統合情報収集機関の設立が必要であると訴える。
本日の広島から発せられる情報は、爆心地の原爆公園に建てられた例の碑文に沿ったものである。
従って、原爆の悲惨さ、原水爆廃止の訴えである。
それは仕方がないことであろう。
そのうえで私は、原爆が投下された直後に救援のために広島に入った兵隊達が、異口同音に聞いた被災者の声を紹介しておきたい。
それは、いままさに亡くなろうとしている人々の、
「兵隊さん、仇をとって下さい」という声であった。
よって、その声に応える為に、我が国は、情報収集能力と核抑止力を強化しなければならない。
----------------------------------
◎佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 516」
-----------------------------------
ここで忘れてならないことは、開国後の日本の外交政策の基盤となっていた日英同盟が米国の圧力によって、1923年8月17日に失効したことである。
にもかかわらず、1938年2月の時点においても、前英国大使と英国海軍大佐がきわめて日本に対する正当な見方をしていたことは注目すべきだろう。
海洋国家イギリスと、同じく海洋国家である日本が、この時点で分裂したのは、大陸から逃避してきた各種民族が混在した、成立間もない米国自身が「海洋国家」という自覚がなかったからではなかろうか?
この時点で我が国は、大陸国家と手を結ぶという、とんでもない過ちに向かっていく。どうしてこうなったのかについては、岡崎久彦氏らによる詳細な分析があるからここでは触れないが、当時の外交官らにその危機感はなかったのであろうか?
「シナ大陸の真相」には、当時枢密顧問官で子爵であった石井菊次郎氏も1938年2月付けで次のような序文を寄せている。
≪外交官としての経歴を歩みだしてまだほんの間もない頃、私は北京で血の洗礼を受けた。私は、男、女、子供を含めて全部で千人ばかりの外国人の一人であったが、当時中国で猖獗を極めていた排外的狂信主義の生贅として、まさに虐殺されようとしていた。この武装した狂信者の集団は義和団(拳匪)という名で知られていた。彼らの目的は中国にいる全ての欧米人(彼らは日本人もその中に入るとみなしていたのだが)の根絶であった。そして彼らは、清朝政府自体の暗黙の奨励を受けていた。彼らの最初の標的は外国の外交団であり、公使館地区に包囲攻撃をかけてきたが、そこには北京及びその周辺地域の他の全ての外国人が避難してきていた≫//




