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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成27年(2015)4月13日(月曜日)
通算第4513号
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オバマ、カストロ会談の陰に隠れたが
ベトナム総書記、北京を訪問し異例の大歓待を受けていた。
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12日の中国紙は一斉にベトナム総書記の訪中を「歴史的な成果」があったと報じだした。
2014年5月の「反中暴動」から一年も経ずして、両国は本当に仲直りしたのか、どうかは大いに疑問とするところだが、これを中国は「アジア周辺外交の勝利」を位置づけた。
ついでに中国メディアは言った「南シナ海をめぐる米国の対中批判はあたらない」と。
ベトナムの外交は「バランス」重視である。ロシア、中国、そして米国。付随的に日本、インド、韓国を重視している。
対ベトナム援助は日本が最大、企業進出では韓国、中国、日本の順である。
そして8000人の中国人が暴動以後、中国から去ったが、しずかに復帰していた。中国各地の観光資源には韓国、中国の順番となった。
総書記訪中の直前にベトナムはメドベージェフ(ロシア首相)をハノイに迎えた(4月6日)。グエン・タン・ズン首相はロシアが最大の武器輸出国であり、またロシア主導の「ユーラシア経済連合」との自由貿易協定を近く締結することで合意した。
ベトナム沖合の海底油田の油井リグは、ベトナムがロシア、インドなどとの合弁で進めているサイトが多くあり、他方でベトナムは米軍との共同軍事訓練を実施している。国交回復20周年として、ダナンには米海軍の駆逐艦などがはいった。
そのうえでグエン・フー・チョン共産党書記は北京を訪問したのだ。
4月7日から10日の四日間にわたるベトナム最高指導者の訪中を、中国は21発の礼砲で迎え、習近平総書記ほか、政治局員のじつに三分の一が会見するほどの熱の入れようを見せ、「社会主義政権同士の友誼とこんごの社会主義の発展はホーチミン、毛沢東以来の両国の伝統である」と声明する。
ベトナムも中国もしたたかである。
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◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
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韓国が反日を言わなくなるときは中国に吸収されている
中国の「反日」は便宜的だが、基本にある「覇権主義」は永遠に変わらない
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黄文雄、呉善花、石平『最後の痛言』(李白社、発売=徳間書店)
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現代日本の保守論壇で「売れっ子」の三人組が顔を揃えるのも珍しいが、この三人の鼎談シリーズ、これが第四弾になる。
戦後70年をむかえて、おりおりの時局を鋭くえぐってきた、この鼎談シリーズは足かけ八年、たぶんこれで締めくくりになるだろうとその予兆も語っている。
第一弾「日本人は中国人、韓国人と根本的に違う」
第二弾「日本人の恩を忘れた中国人、韓国人の心の闇」
第三弾「日本人は中韓との絶交の覚悟を持ちなさい」
いずれも小誌で書評したように記憶するが、あるいは一冊抜けているかも知れない。
最初の問題は呉善花さんから提議された。
「韓国のコリアイズム」「中国の中華主義」はいよいよ「生き残れなくなってきた」と情勢を分析する呉女史は、その原因は、両国に「未来がないからだ」とはっきり言う。凄い洞察、直感力だ。
中華主義とは天下一国家を目ざす「覇権思想」であり、反日がなくなっても中国から消えないが、韓国の反日は、これがなくなるとコリアイズムは破綻し、ひょっとして中国に吸収される危険性があると呉さんが指摘する。
石平氏は「日本がいくら謝罪し続けても、歴史は永遠に精算されない。「問題は日本にあるのではなく中国と韓国にある」。それゆえ「中国・韓国という『アジアの悪友』とは手を切れ」と提唱する。
黄文雄氏は「DNAの発達によって韓国の言う『血の同一性』は消えた」と言う。
つまり、これは「一つの宗教」であり、韓国人のもつ「血の信仰」は「あと二、三十年で消えてゆく」と預言する。
石氏が続ける
「中国は中華思想、中華的な文化文明で世界に対抗しようと考えていますが、100%失敗します。完全に歴史世界を見誤っています」とし、「世界の方向性は日本的なものにある」とこれまた大胆な物言いである。
呉さんは、韓国の民族主義はもともと乏しく、本質は「排他的な血縁主義に連なる集団利己主義」だと分析を進める。
かくして三人はこの鼎談ですべてを「語り尽くした」というのだが、黄文雄氏は最後に「まだまだ語り尽くせない問題が次々と浮上している」として、このシリーズがまだ続くであろうことを示唆している。
長時間の討論だっただろうと推測されるが、鼎談本なので比較的短時間で読めた。
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1226回】
「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室3)
『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
▽
小室は「支那内地ニ旅行スル十里、十年漢籍ヲ讀ムニ勝レリト」と記すが、「漢籍ヲ讀ム」ことを頭から否定したわけではないだろう。「漢籍ヲ讀」んだうえで「支那内地ニ旅行スル」、或は「支那内地ニ旅行」しつつ「漢籍ヲ讀ム」ことの重要性を訴えているように思える。おそらく万巻の「漢籍ヲ讀」んでいる「我邦ノ儒學者ニテ世ニ著ハレタル人」であったにせよ、岡千仞もまた「支那内地ニ旅行」したからこそ、「予ノ想フニ中國固ヨリ此ノ如クナリシナルベシ」と笑いながら応えたに違いない。
やはり中国に対して激情が先立って冷静な判断力を狂わせてしまうのも、あるいは堆く積まれた「漢籍」の山に幻惑され、そこに記された“バーチャルな史実”に酔い痴れるのも、共に百害あって一利なし。これは現代にも通じる絶対の真理だ。
「我邦ノ儒學者ニテ世ニ著ハレタル人」の「岡氏ノ事ニ就キテ一笑有リ」と、小室は綴る。「清國ノ軍機大臣等數名北京ナル日本公署ニ來リシトキ」、ちょうど岡が滞在中だったので、日本側の榎本公使が「此ノ翁ヤ日本ノ儒者ナリ」と紹介した。彼ら対し、榎本公使は「方今世界文明社會開進ノ氣運駸々乎」であり、「國民ヲシテ此ノ開進ノ氣運ニ伴ヒ文明ノ域ニ進マシメント」するなら、学校や病院と同じように鉄道も必要であり、利に敏いからこそ商人は早急な着工を望んでいるはずだと鉄道敷設の利害得失を情理を尽くし説得する。だが清国側は、「我ガ邦ニ於テ鐵道ヲ設クルハ利少クシテ害多キヲ見ル」「鐵道ハ我國朝野ノ別ナク官民皆之ヲ嫌フ」と、全く聞く耳を持たない。あまつさえ清国側は、「鐵道ノ利害」について岡に向って結論を求めた。かくして小室は、「嗚呼公使二十年經驗ノ言只一儒士ノ信用ニ及バズ驚クベキ?ト謂フベシ」と。
つまり「清國ノ軍機大臣等數名」の頭は、孔子サマの教え、有体にいうなら出来もしないし、屁の役にも立たない理想(ネゴト)がギッシリと詰まってはいるばかり。だから彼らからは、目の前の難題を解くべき現実的方策を模索しようなどという発想は生まれない。
孔子の時代に鉄道などありえない。いや世界中の神羅万象・人事百般が自国の発祥・発明などと臆面もなく強弁する韓国の方々なら、「孔子の時代に韓半島には鉄道があった」とオメデタクも思い込んでいるだろうが・・・。ともかく孔子の時代には鉄道は発明されていない。にもかかわらず「鐵道ノ利害」を「日本ノ儒者」である岡千仞に問い質そうというのだから、もはや処置ナシの極みなのだ。
中国では脳ミソを脳筋という。いったい、いつの時代からそう呼ぶようになったのか。いくら調べても、多くの中国の友人に訊いても確たる答は返ってこない。それは、いつの時代から脳ミソと呼ぶようになったのか日本人が答えられないと同じだろう。ともかくも形からすれば脳はミソ状だがが、働きからいえば筋肉というべきかも知れない。筋肉であればこそ、不断に動かし鍛えないと退化するばかり。脳を筋肉と見做すからこそ、中国語では「動脳筋(アタマを働かせろ)」ということになるが、どうやら「清國ノ軍機大臣等數名」の振る舞いを見ていると、孔子サマの有難い教えは脳筋弛緩剤的働きを持ち、現実問題から目を背けさせる効能がありそうだ。やれやれ、である。
井の中の蛙大海を知らずとはいうが、中国という井は大海ほどにデカい。であればこそ、井を大海と見誤った議論が横行しているわけだ。開放政策、つまりはカネ儲け路線が順調に動き始めた90年代半ば、中国では「接軌(世界のルールに則れ)」との声が挙がったことがあるが、やがて自国を中心に大金が回転したと思い込むや、殊勝な「接軌」の声は掻き消され、超夜郎自大の「中華民族の偉大な復興」であり「中国の夢」の登場となる。
嗚呼、伝統の根深さ・・・ほとほと孔子サマは罪深いゴ仁であると思いマスよ。
《QED》
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【知道中国 1227回】
「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室4)
『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
▽
小室の上海到着直後、北京の中央政府は上海行政のトップである道台に対し、上海に入る手前に位置する呉淞江の河口閉塞を命じた。フランス海軍の上海襲撃を阻止しようという狙いだろう。
だが河口が閉塞されたところで陸路での上海進撃も容易いだけでなく、フランス海軍は閉塞個所を回避して長江を遡り、上流の南京を占領し清国を南北に分断しかねない。そうなったら社会は大混乱。その機に乗じて反清勢力が一斉に蜂起し、清国そのものが崩壊の瀬戸際に立たされる。また河口閉塞は上海に出入りする清国以外の船舶の航行を妨害することになり、諸外国を敵に回す。だから清国にとっても得策ではない――在上海のイギリス領事が縷々説得したが、やはり清国政府は河口閉塞を決定してしまう。なんとまあ事の是非を弁えない政府であることかと、小室は呆れ返る。だが、さらに驚くべきは、実行の先送りだった。国家の命運を賭けた戦争なら、なにはさて措き一気呵成が第一だろうに。
果断遂行にはほど遠い危機感なき対応を前に、小室は「此等モ意想外ノ一ニシテ亦タ法螺タルヲ免レザルモノナル可シ」と。なんともヤレヤレ・・・。
清仏戦争によって上海港の取扱量が激減し、上海居留外国商人は大損害を被っている。そこで上海に居留する外国商人は英・米・独の3カ国商人を代表に、各本国政府に対し清仏両国に停戦・和平を促すよう懇請した。ここで注目しておきたいのが、当時、上海を経由して対中貿易を進めていた主要国は英・独・米の3カ国であって日本ではない。いいかえるなら、当時の対中貿易に大きな利害関係を持っていたのは英・独・米の3カ国であり、日本は後発の新参者だったということだ。//



