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■「加瀬英明のコラム」メールマガジン



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 感謝の心にもとづく「和」の社会を大切にしたい!


 今日、日本語のなかに、おびただしい量にのぼる英語や、外国語が溢(あふ)れている。

 NHKまでが「開店」「始まった」といわずに、「オープン」したという。「カップル」「レジェンド」「エンターテインメント」「アウトレットモール」「ニュースウォッチ」とあげてゆくと、切(きり)がない。

 日本は太古の昔から島国で、外来の文化に憧れてきたから致(いた)し方(かた)ないが、ゆきすぎてしまうと、日本の人らしさを損ねてしまう。

 私は“英語屋”で、日本で英語遣(えいごつか)いの上位に入ると自負しているが、日本語には外国語に訳せない多くの言葉が、存在している。

 まず「和」がある。「和」こそ、日本人の心であって、外国人には理解することが、なかなかできない。

 私たちは当り前のように、毎日、「いただきます」「御馳走さま」というが、特定の対象に対してではなく、先祖、先人、国をはじめ、天地(あまつち)のすべての恵みに感謝している。

 お隣の韓国では、食前に「チャル・モッケスムニダ」(よく食べましよう)、食後に「チャル・モゴスムニダ」(よく食べました)、中国では「開始吃飯(クアイスツーファン)」(これから食べます)、満腹になったら「好吃飯了(ハオツーファンラ)」(よく食べました)という。

 ヨーロッパ人やアメリカ人なら、もとはフランス語だが、「ボン・アペティット」(よい食欲を)、食事が終わったら「アイ・エンジョイド」(楽しく食べました)という。

 敬虔なキリスト教徒なら、食前に全能の唯一神に対して、短い感謝の祈りを唱える。自然や、人々や、食材となる植物、動物、魚介類に感謝するわけではない。

 日本では具体的に何を求めるかということなしに、「お世話になります」と挨拶する。つねに、互に感謝しあう文化なのだ。

 キリスト教は、「愛の宗教」だといわれる。だが、キリスト教の「愛」は、私たちが日頃なじんでいるような、愛ではない。

 キリスト教はユダヤ教を親として生まれたが、人が神を愛すれば、神が人を愛してくれるという、条件付きの愛だ。この神との約束を、「神との契約」と呼んでいる。

 キリスト教は「旧約」と「新約」の2つの聖書から成り立っているが、ユダヤ教の唯一つの聖書を、神との古い約束である『旧約聖書』、イエス・キリスト生誕後の聖書を、神との新しい約束である『新約聖書』として、分けている。

 この神との契約は、キリスト教のもっとも基本的な教えであって、『旧約聖書』はユダヤ民族を「契約の民」と呼んでいる。キリスト教は全人類を相手にしており、信者はそれぞれ神と契約を結んでいる。

 さらに、イスラム教がユダヤ・キリスト教の分派として、生まれた。この3つの宗教は兄弟の関係にあり、同じ唯一神を拝んでいる。

 イスラム教は聖典『コーラン』とともに、ユダヤ教とキリスト教の聖書を、聖書として認めている。

 私は妻から「愛している」といわれるよりも、「ありがとう」という美しい一言(ひとこと)のほうが、心を和(なご)ませてくれる。

 私たちは神仏や、自然や、先祖や、親、隣人に感謝するたびに、心が満たされる。

 なぜなのだろうか。心は感謝するために、存在しているからだ。

 日本人の信仰心は感謝する心に、もとづいている。「和の社会」を大切にした
い。