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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成27年(2015)1月19日(月曜日)
通巻第4445号
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朱立倫(副主席。新北市市長)が馬英九に替わり中国国民党の主席に
習近平総書記が意外な祝電「両岸関係をますます平和裡に発展させよう」
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2015年1月17日、台湾で国民党の新しい主席を決める党内選挙が行われ、ただひとり立候補した朱立倫・新北市長(党主席)が無競争当選を果たした。
これは先の藤一地方選挙の惨敗により、責任を取って党主席を馬英九が辞任したからである。
主席選挙に立候補を予定されていた呉敦義・首相は結局、参戦をとりやめた。
朱立倫に絞られたのは、六大市長選挙で一勝五敗(新北市だけを国民党ポストを護ったからである)、ほかにこれというスターが不在となったからだ。
これにより2016年1月に予定される次期総統選挙に、朱立倫が国民党候補になる可能性が高まった。
意外なことに真っ先に祝電をよこしたのは中国共産党の習近平・総書記だった。
「1992年の両岸コンセンサスの堅持し、台湾独立反対を共通の政治的基礎として、両岸関係の平和的な発展を継続させ、人々の幸福と民族復興の偉業を一緒に完遂しよう」という祝電だった。
朱立倫新主席は「両党が92年コンセンサスに基づき、両岸の交流と協力を積極的に進め、歴史的な局面を切り開いてきた等と馬英九路線の対中国融和路線を評価し、今後も双方の交流を拡大し、ウィンウィンの状況を造成してゆくことで、永続的な平和と繁栄が達成される」と返電したことを台湾のメディアが伝えた。
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◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
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歴史には裏面があり、リアリティと打算が渦巻く
表面的な定説ばかりを敷衍する「歴史探偵」が多すぎないか?
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中村彰彦『幕末維新史の定説を斬る』(講談社文庫)
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歴史で「定説」となった話には、嘘であることが多く含まれる。たとえば信長の比叡焼き討ちなど、滋賀県教育委員会の調査で、山火事程度で根本中堂は焼かれていないと判明しているのにも関わらず、いまもって信長物語は比叡山焼き討ち、信徒虐殺の残虐性ばかりである。
この本で中村氏は、三つの定説を疑う。
第一は龍馬暗殺の黒幕である。新撰組が下手人という説ははやくから消え、見回組の仕業だったという事実は分かっているが、実際に龍馬を斬ったのは誰なのか。それよりも黒幕が誰か
第二は孝明天皇毒殺説の信憑性である。
第三は松平容保がなぜ、京都守護職をつとめざるを得なかったのか、定説とは異なり、会津武士がいかに軍隊として強かったかの側面が軽視されてきた。
この本は文庫本で、原本を何年か前に読んだ筈だが、やはりディテールを忘れている。
龍馬暗殺の黒幕は西郷隆盛ではないのかと、中村氏は以前から主張してきた。それは氏がデビューしたての頃に書いた『龍馬伝説を追って』(世界文化社)からのことである。
近年、珍妙なことを言い出したのは半藤一利氏で、素っ頓狂にも暗殺の黒幕が大久保利通だとか。大久保は龍馬の定宿の情報すらなく、前日に薩摩から大阪へあがったばかり、タイミングも合わないのに、「たくましい推定」だけで、「歴史探偵」を自称するおっさんは珍説を披瀝しているが、歴史通から失笑された。
さてなぜ、西郷が黒幕か?
薩長同盟を実現させた陰の功労者である龍馬は寺田屋で殺されかけ、その傷を癒すため鹿児島へ湯治に趣いた。この旅行は寺田屋で風呂から飛び出して龍馬にピストルを渡したお龍と一緒で「日本初の新婚旅行」などと言われ、霧島温泉郷の入り口にはふたりの銅像が建っている。
霧島の温泉郷には嘗て西郷が親しんだ日当山温泉など隠れ湯がある。龍馬の薩摩滞在は40日に及んだ。それほど西郷は龍馬を厚遇した。
ところが政局は激動する。
龍馬は公武合体論、大政奉還しても、徳川慶喜を用いよと主張した。薩摩はすでに長州と秘密同盟、その目的は徳川幕府打倒であり、龍馬と路線がずれた。
定説は「龍馬は最後まで薩摩と一枚岩」だったというものだが、中村氏は「そうではない、両者はその後、急速に同床異夢の関係に陥っていた」と客観的な事実経過を検証してゆく。
龍馬が脱藩した土佐藩は遅ればせながら薩摩と密約し、倒幕論に傾いているが藩内では少数派だった。山内容堂は公武合体の急先鋒だった。
龍馬は兵庫へ向かう船の中で大政奉還構想を書き記した。
これが有名な『戦中八策』である。
つまり龍馬の新政権構想は徳川慶喜を『関白に次ぐ第二の役職内大臣(副関白)』として想定していたのである。薩摩の政権奪取の野心とはかみ合わないのである。
倒幕の密勅は岩倉らの画策で、大政奉還のその日に長州藩にも出されていた。
そして、この動きに障害となる活動家、つまり龍馬が近江屋に潜んでいることを西郷は知っていた。
政治は時として冷酷非情、邪悪な悪魔が囁く、リアリティで動くものである。
となれば「邪魔者は消せ!」。
薩摩の一部は見回組と通じるモノが多く、情報は京都守護職から見回組へもたらされる。
歴史の謎の部分を断定することはできないが、ずらりと資料を並べて、事件後数十年を経てからの証言も一覧してみれば、なるほどと得心がいく。
こうして推論を重ねていけば、黒幕の正体に限りなく近づくのである。
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(休刊予告)小誌は1月23日から2月1日まで海外取材のため休刊となります。
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1187回】
――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野14)
「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)
▽
大平天国に際し、戦乱を避け日本(といっても長崎だろう)に移り住んだ家族がいたのかどうかは不明ではある。だが、太平天国が制圧した長江以南地域の知識人の間に「最安逸東洋(いちばん安全は日本)」という意識があったことだけは覚えておいてもよさそうだ。
ここで既に言及しておいたが千歳丸一行の上海訪問にまつわる「風説」について、改めてみてくと、
●我が国人による貴邦初訪問に関する「風説」だが⇒あなた方の当地への初来訪について、民間には「英夷」が日本で3万人の傭兵を募り、太平天国軍の守備する萬城を撃滅するとの噂が流れた。日本兵のなかに2人の「法術」使いがいる。この話は萬城の太平天国軍も知っている。だが、こうしてあなた方と会ってみると、全くのデタラメであることが判る。
●あなたが聞いたところの2人とは⇒克原額と広真子という名前の2人で、1人は雲を駆って殺人ができ、1人は1日に千里を走破できるとのことだ。
●噂には困ったもの。我が国では邪教は厳禁で、犯した者は死罪だ。さて我が国と外国とでは、その人となりの違いは⇒貴邦人と西洋人とでは大いに違う。貴邦は「淳厚可風」だが、西洋は全て「覇道」だ。我が国では彼らを「洋鬼子」と呼ぶ。最悪が「黒鬼子」だ。(「黒鬼子」とは黒人、或は素性不明西洋人か。後に中国人が日本兵を「東洋鬼」「日本鬼子」と呼び、日本及び日本人を「小日本」と蔑むようになったことは既に知られたところだが、この当時は中国人の意識の中には「東洋鬼」はなかったということか。因みに「鬼」とは霊魂、魔物を指す)
●鴉片と邪教が共に国を大いに害するにもかかわらず依然として行われているのみならず、飢餓に苦しむ者を多く見る。なぜ、これを救わないのか⇒自らの力不足を嘆くのみ。太平天国の「賊首(頭目)」は「天主」を称し民衆を惑わしているが、西洋人の掲げる「天主教」とは違う。
――ここからは中国側の疑問に日比野が答えている。
■尚文の国である貴邦を長く慕っていた。どんな書物を読まれるか⇒四書六経に加え、史書や暦学書の類だ。
■貴邦では官吏任用に際しては文章詩賦の力を試すのか⇒実行力と才略が基準であり、詩文の力ではない。だが詩文を能くする者は少なくない。
■貴邦では孔子を敬うか⇒孔子を敬う点では貴邦に勝る。昨日、上海市街で孔子廟に参詣したが、孔子像は取り払われ、廟はイギリス人に占領されていたではないか。
■貴邦ではどんな神を敬うのか⇒我が国は万世一統であるがゆえに、万国に冠たるのだ。生民は悉く「天照皇太神」の恩徳に浴するがゆえに、最も篤く敬うのである。
■貴邦では天を敬うか⇒万物を生み育むのは天である。であればこそ「大父母」を敬わないわけはない。
■天には有形の「蒼々之天」と万物を生成化育させる「靈明之天」とがあるが、貴邦で敬われる天は⇒天が敬われるのは「靈明」なればこそ。他に何があろうか。
■史書などを紐解けば唐宋時代は貴邦からの往来は多かったが、元明になって途絶えたが⇒明の永楽年間も使節の往来はみられたものだ。
■利のためではなく見識を広めるべく貴邦を訪問したい⇒博学多才の人ならば歓迎だ。
――徳川は「天下」を失いつつある。上海にでの見聞と体験によって、日比野における「我國萬世一統。所以冠萬國也」は、確信から信念へと大きく変わったようだ。
《QED》
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)35年くらい前にインドのグジャラート州アーメダバードに仕事で行ったことがあります。大口の輸出成約した商品の付属品が元宗主国の英国規格であったためコスト削減の一環で適当なサプライヤーを探し当てたところがアーメダバードの郊外のメーカーだった。
正式に発注する前に工場を見るため出張した。
工場の入り口近くにラクダがつながれていたので「何か?」と訊くと、作った製品を荷馬車ならぬ、“荷ラクダ車”で近くの鉄道の駅までひっぱっていき、そこからボンベイ(今のムンバイ)の港へおくるのだ、聞かされ。なるほどと、国柄の側面を垣間見た。工場へはホテルから4時間くらいかかって迎えの車で行ったが、途中、野生のイノシシが何回も現れたことも印象にある。
滞在中、工場のトイレを借りたときのこと、水瓶と手桶があり、トイレット・ぺーパーは見当たらない。
あーそうか、とわかった。
確かに滞在中、食事のとき現地の人たちはナンをちぎるとき、右手の掌でナンをテーブルに固定し、親指と人差し指で上手にちぎり、決して左手は使わない。
確かに工場進出には適していると思われる一つの要素は、この周辺の宗教はジャイナ教。大変ストイックな教義らしい。//
