■「加瀬英明のコラム」メールマガジン



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根深い米国の人種差別


 アメリカのミズーリ州ファーガソン市で、8月に白人警官による黒人青年射殺事件について、11月に郡の大陪審が警官を不起訴とする決定を下したのに対して、全米170ヶ所にわたって、黒人を中心とする抗議デモが拡がり、暴徒化して商品の略奪、放火などの騒ぎとなった。

 アメリカの黒人に対する人種差別の根は、深い。

 アメリカでは1863年に、奴隷解放宣言が発せられた後も、劣った人種として扱われて、選挙権も行使できず、差別が続いた。 

 南部だけでなく、白人のレストランに、黒人は入れなかった。とくに南部では、駅の待合室、列車や、バスのなかが区分けされ、トイレ、水飲み場まで、分けられていた。

 1950年代に入ると、黒人による人種平等を求める公民権闘争が盛り上がって、ようやく1964年になって、ジョンソン政権のもとで人種差別撤廃を定めた公民権法が、成立した。

 白人と黒人のあいだの性交渉や、結婚が犯罪とされていたが、1963年に最後の3つの州において合法化された。
黒人に平等な権利が与えられたというものの、就職をはじめ、社会的な差別が続いて、経済格差が大きい。

 今日、ヒスパニック(中南米のスペイン系)を除く白人1世帯当りの平均年収が、5万8270ドルであるのに対して、黒人は3万4598ドルでしかなく、白人の73%が持ち家を所有しているのに対して、黒人は僅か6%でしかない。

 アメリカにおける日本人に対する差別も、ひどいものだった。1924年にアメリカ上下院が排日移民法を立法したが、日本にとって屈辱的なものだったために、日本国民を悲憤慷慨(ひふんこうがい)させた。有名な『武士道』の著者である新渡戸稲造は、強い衝撃を受けて、「二度とアメリカの地を踏まない」と宣言した。

 トルーマン大統領はミズーリ州の自宅に、「ユダヤ人と黒人」を立ち入らせなかったことを、生涯自慢していたが、広島、長崎に原爆を投下することを決定するのにあたって、側近に「動物は動物として、扱わなければならない」と述べたことが、記録されている。

 私は有斐閣の昭和47年版の『六法全書』を、持っている。

 なぜか、冒頭の「憲法論」の扉に、アメリカ独立宣言が英語と日本語で載っている。

 「われわれは、次の真理を自明なものと考える。すなわち、すべての人間は、平等に造られている。彼らは、その造物主によって一定のゆずり渡すことのできない権利を与えられている。それらの中には、生命、自由および幸福の追求がある。(以下略)」

 1776年のアメリカ独立宣言は、第3代大統領となったトマス・ジェファーソンによって起草されたが、人権という概念が黒人奴隷や、原住民に適用されることはなかった。その後も、インデアンの大量虐殺が続いた。

 ジェファーソンも、初代大統領となったジョージ・ワシントンも、多数の奴隷を所有して、売り買いしていた。

 記録によれば、ジェファーソンは200人を超す奴隷を、所有していた。奴隷の子は、7、8歳になったころに、母親から引き離されて売りに出されて、農場で日の出から日没後遅くまで、酷使された。

 アメリカ独立宣言の高邁(こうまい)な文言は、農場の黒人奴隷が鞭(むち)打たれる音を聞きながら、書かれたものだった。

 多くの日本国民が「平和憲法」と呼んでいる、占領下で強要された日本国憲法は、アメリカの独立宣言を手本にしたものだと信じているが、日本がアメリカの脅威に未来永劫にわたってならないように、軍備を持つことを厳禁し、日本を属国としようとするものだった。「平和憲法」は「日本の平和」ではなく、「アメリカの平和」をはかったものだった。