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バシー海峡の悲劇

 台湾とフィリピンの間に「バシー海峡」という海峡があります。ここは大東亜戦争中「魔の海峡」とか「輸送船の墓場」などと呼ばれていました。日本の将兵を満載してフィリピン・ルソン島のマニラをめざして進む輸送船をアメリカの潜水艦や航空機が待ち構えていて、片っ端から撃沈したからです。一体どれぐらいの数の日本兵がここで犠牲となったのか、正確な数字は分かりません。しかし、少なくとも10万人を超える将兵が海の底に沈んでいったのではないか、と推測されています。


 バシー海峡を一望できる小高い丘の上に「潮音寺」というお寺が建っています。この寺はバシー海峡で海の藻屑となった日本兵を慰霊するために中嶋秀次さんという方が建てたものです。中嶋さん自身、バシー海峡でアメリカの潜水艦に撃沈された輸送船「玉津丸」に乗船していましたが、奇跡的に一命をとりとめました。中嶋さんは戦後、戦友たちの供養をしたいという一念で台湾に慰霊碑を建てようと孤軍奮闘しますが、蒋介石がまだ生きていたということもあり、さまざまな困難に直面することになります。

 2013年10月、中嶋秀次さんは92歳で逝去されました。漫画家であり作詞家のやなせたかしさんも2013年10月、94歳で亡くなりました。やなせたかしさんには2 歳下の弟さんがいたのですが、弟さんもやはりバシー海峡で米軍の魚雷攻撃を受けて亡くなっています。中嶋さんとやなせさん、奇しくも「バシー海峡の悲劇」によって人生を左右された二人を追ったノンフィクション『慟哭の海峡』
(角川書店・1600円)を読みました。著者はノンフィクション作家として数々の傑作を書いていらっしゃる門田隆将さんです。


 門田さんには台湾関係の作品が多いのですが、今回のテーマにもまた特別の思い入れがあったそうです。門田さんは27年前、バシー海峡を望む台湾最南端のガランピー岬に行き、犠牲者の霊に手を合わせたことがあるそうです。当時、28歳だった門田さんはバシー海峡の悲劇を知っていたわけで、その時の思いが27年後に作品に結実しました。

中嶋秀次さんが「玉津丸」の船内で体験したことや12日間に及ぶ壮絶な漂流の日々、次々と死んでゆく戦友たちを描いたくだりは読むのが辛くなります。こんな悲劇があったことを今の日本人はまったく忘れていますが、実は台湾人は忘れていません。門田さんが取材のために台湾・恒春半島を訪れて当時のことを知っている人を探すと、なんと! 浜に流れついた日本兵の遺体を運び、埋葬した経験があるという二人の老人に出会えたそうです。その二人は当時の記憶も鮮明で、話をしながらぼろぼろ涙を流していたそうです。70年前、浜には毎日のようにおびただしい数の日本兵の遺体が打ち寄せられてきて、それを地元の人たちは泣きながら運び、荼毘に付したそうです。台湾の人たちって本当に暖かいですよね

 この本がきっかけになって「潮音寺」を訪れる日本人観光客が増えるといいな、と思います。