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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)12月24日(水曜日)
  通巻第4423号   <前日発行>
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 習近平の太子党+団派という「連立政権」に甚大な亀裂
  令計画(前中央弁公室主任)の一族が失脚、胡錦涛に牙
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 それは2012年三月だった。
 北京市海定区保福寺橋付近を猛スピードで疾駆してきたフェラーリが壁に衝突、フェラーリは炎上し、なかにいた二人の男女が即死した。
運転者は「令谷」と判明、同乗していた女性は半裸だったという。令谷は令計画の息子である。

 この時点で令計画は飛ぶ鳥を落とす勢いにあり、次期政治局入りは間違いないとされた。
 マスコミは令計画を「ライジング・スター」と書いていた。

 令は胡錦涛の右腕として、政治日程、外遊計画、演説内容の事前チェックなど中南海政治の枢要な部分をしっかりと握り、方々ににらみをきかせた。米国で言えば大統領首席補佐官である。

 令計画は息子のフェラーリ事故(「法拉利車禍」という)を「なかったことにしてくれ」と公安・司法・検察方面を牛耳っていた周永康(政治局常務委員。序列9位)に依頼した。周は当時、まだ政治力があると信じられていたが、彼の支配した石油派は追い詰められていた。

周永康の僚友だった薄煕来は事実上、失脚していた。習近平は、このふたりの目の上のたんこぶを排除することで権力基盤の安定を急いだ。
つぎに彼が取り組んだのは反腐敗キャンペーンの本格化で、これを武器に政敵を追い込むことだった。

たちまち令計画の息子のスキャンダルが中南海を駆けめぐり、令は突然、閑職へ追いやられる。中央弁事処主任は団派出身だが習近平とも近い栗戦書と交替し、令計画は統一戦線部長から政治協商会議副主任に降格される。このポストは飾りで、同色には20名前後の「力を失った人」が名前を連ねるだけ。

令計画の恨みは習近平に向けられ、習の特別機がタンザニアに駐機したおりに密漁された象牙が大量に主席専用機に積み込まれたというマル秘情報を英国のメディアに流したとされる(真相は不明)。


▼これで習近平の権力基盤は確乎としてものになったか?

 習近平の反腐敗キャンペーンは石油派、鉄道部から究極的には江沢民派の牙城に狙いを定めていた。
しかし江派の反撃も凄まじく、引退生活を決め込んでいるはずの江沢民は故郷の江蘇省揚州に船を浮かべたり、スターバックス社長と会見したり、上海の国際信頼醸成会議ではプーチン大統領と会見し、八月の北戴河会議にもあらわれ海水浴している姿を写真に撮らせ配信させ、その健在ぶりをアピールした。
これらの示威行動は、江沢民が「これ以上の捜査を許さない」と示唆しているのである。

 バランスをとるために習近平は団派にも照準を合わせざるを得なくなった。いまの政権が団派を大量に登用して太子党の存続を図る「連立政権」である以上、団派を正面の敵に回せないことは分かっている。
しかし最低限度のスケープゴートが必要だった。その格好のターゲットが令計画だった。

令計画にはほかに三人の兄弟と一人の妹がいる。それぞれが出身地である山西省政府に要職を占めていた。
兄弟五人の名前は「路線」「方針」「政策」「完成」と言う。なにかお笑いの語彙羅列と印象があるが、「方針」が妹である。

2014年六月、山西省幹部だった兄の令政策(当時山西省政商協会議副主任)が「汚職による重大な規律違反」として拘束された。
妹の令方針は運城市医療センターの副院長だった。その夫・王健康(当時山西省運城市副市長)が、つぎに取り調べのため拘束された。6月25日付けの香港紙「明報」は、令計画の兄妹が消息を絶ったと報道した。中国のネットから、令計画に関するあらゆる記事が削除された。

2014年5月12日に運城市医院連合会総会が開催されたが、要職に令方針の名前はなかった。
同時期、令計画の妻、チャリティ基金会の幹部をつとめていた谷麗坪が、はやり幹部リストから削除されていた。

同年10月、末弟の令完成がやはり規律違反として取り調べを受けている模様と香港のメディアが報じた。この弟は吉林大学卒業後、ながらく新華社につとめ、系列の広告会社の社長から民間に転じた。ビジネスで成功したと噂された。長兄の令路線とその一族が、このビジネスに合流して、かなりの資産を蓄積したという。

狼狽激しい令計画は党中央理論誌『求是』に論文を発表し、なんの脈絡もなく習近平への忠誠が重要と16回も記述するほど習政権に媚びを売った。醜態である。

そして2014年12月22日、新華社は令計画の失脚を発表したが、詳細は不明とした。令計画一族は全員が失脚した。
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1174回】    
  ――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野1)
 「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年) 
 

  △
 日比野輝寛(ひびの きかん)。藤原輝寛とも。高須藩士。号は維城、また懽成。天保九(1838)年、美濃下石津郡高須村の原田家に生まれ、後に日比野家を継ぐ。
名古屋、江戸で漢学を学ぶ。尾州藩を攘夷に導くべく奔走し、維新後は名古屋明倫堂教授を経て大蔵省官吏に。退官後は世事と交渉を絶つ。彼が没した明治45(1912)年に日本では明治天皇が崩御され、時代は大正に移り、中国では清朝が崩壊し、アジアで最初の立憲共和制という触れ込みで中華民国が誕生している。

まさに幕末の激動を奔り抜け、明治の御代を生き抜き、日中両国共に新たな時代のとば口に立った年に没した日比野は、一生を二生にも三生にも生きたといえるだろう。

 先ずは長崎から上海までの船中での出来事だ。
 千歳丸での上海行きは「我國遣唐使後初メテ西土ニ渡ル」ことであり、加えて「コノ邊海賊アリト聞ク」からには、やはり想定外の事態に備えておくべきだ。そこで「中牟田、林、高杉、名倉、伊藤」を前に、日比野は「我輩腰間ノ日本刀アリ。滿心ノ勇義ヲ以テコレヲ揮フ。些々タル海賊何ゾオソレン」と決意を披歴した後、
「然ルモ不虞ニ備フハ先哲ノタツトブトコロ」と問い掛け、海賊などに襲撃を受けたと想定して甲板上の大砲は誰が操作し、持参した20丁の小銃は誰が持つか。誰が弾丸・火薬を管理するのか、と続けた。

 中牟田は中牟田倉之助、林は血気に逸る会津の林三郎、高杉はもちろん晋作、名倉は予何人、伊藤は「大阪書生」の肩書で乗り込んだ伊藤軍八――いずれも血気盛んな若き恋闕の志士。
「議論紛々タリ。書生相聚リ訂論目ヲ過ス」となったことはいうまでもなかろうが、「冷氣強ク衣ヲ重ネ褥ヲ着ス」とあるから、寒さにブルブルと震え、紫に変色した唇で喧々囂々の議論を戦わせていたのかもしれない。
やはり燃えるが意気も、寒さには敵わない。

 千歳丸は待望の上海へ。「各国ノ商館相連リ、停泊ノ船ソノ多キタトヘガタシ。(中略)江ハ滿―皆船ナリ。陸ハ家屋比麟、何ゾ盛ナルヤ」と、先ずは繁華な上海に驚く。入船に関する諸般の手続きをしているうちに、「暫クシテ唐人來リ筆語ス」る。その人物が突然に「―送東洋蛋―。我吃。(あなた、東洋蛋?〔かすてら〕、くれる、よろしいアルね。わたし、食べるアルヨ)」と。
そこで「辭不敬ニシテ卑劣極マル。余想フニ官吏書生ニ非ズ、商人ナルベシ。故ニ深ク罪セズ。答ヘテ曰ク、猶有餘屑。再來與之」と。

 ――こやつ、文字遣いは不敬にして態度物腰は卑屈、礼儀を弁えない。してみると官吏書生の類ではあるまいに。おそらくは商人ならんか。ならば深く問い詰めても詮なきことゆえ、「いずれ余分もあろうて、再来の折には与え申そう」と応えておき申した――

 じつは日比野は「文事」について尋ねたかった。
「文事」とは、前後の文脈から推して上海事情を指すものと思われるが、相手が「辭不敬ニシテ卑劣極マル」商人では、一向に埒が明かない。「わたし、ジェンジェン、判らないアルヨ」。かくて「笑フベキナリ」となる。幸い、暫くして乗船して来た?徳順らから、諸事情を聞きだすことができた。

 日比野が甲板に立っていると、「唐船頻リニ我ガ船ニ近ヨリ、我輩ノ頭ヲ指轉シ絶倒ス。余彼ヲ看ルニ、頭ニ數尺ノ尾ヲタレ、ソノ姿容實ニ抱腹ニ堪ヘズ。彼此相笑フ、ソノ愚ナルヲ擧ゲン」と。千歳丸に近寄って来て船の上から、日比野の頭を指して笑い転げている。
そういうヤツラの頭を見れば、何と「數尺ノ尾ヲタレ」ている。これが笑わずにいられようぞ。彼らは日比野の丁髷を笑い、日比野は彼らの弁髪を奇とする。かくて「實ニ風俗ノシカラシムルコト、ソノ笑ヒイヅレヲヨシト定メ難シ」と見做す。文化とは《生き方》《生きる形》である。ならば丁髷と弁髪の間に優劣はつけ難いということだろう。

日比野は、上海第一夜を「數千ノ船皆一燈ヲ點ジソノ景佳ナリ」と綴った。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)御新刊の『日本と世界を動かす悪の孫子』(ビジネス社)を早速拝読しました。巷間、孫子本が溢れていますが、「正しい読み方」を銘打たれただけあって、これは先生の『吉田松陰が復活する』に続く、インテリジェンスの重要性を説いた平成版の?宮崎兵学?だと存じます。
寒さが厳しい折から、宮崎先生におかれましては、どうか御自愛ください。
   (NO生、愛媛)

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宮崎正弘の新刊案内  http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
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宮崎正弘の新刊予告
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――孫子のただしい読み方はこうだ!
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