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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)12月18日(木曜日)弐
    通巻第4418号 
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 バングラデシュから見た日本の総選挙
  日本は本当にミンシュシュギですね。首相の選び方も国会議員も。
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 総選挙後盤をバングラデシュで見ていた。
 不在者投票(期日前投票)をすませ、ゲラを数本抱えての旅立ちだったため、最初の晩、ダッカの宿で日本からのFAXを受け取ったものの訂正ゲラの発信ができず、返信は二日目の宿、ボグラのホテルからだった。
FAX一枚につき、送信料が300円もかかる。通信に大きな障害がある。国際電話が通じない。ボグラは人口300万人という大都会なのに。

 もちろん、テレビはNHK・BSが入らない。バングラデシュでは日本のニュースはなにもない。インドと事情が異なる。この国は情報砂漠である。

 バングラデシュでは英語の新聞もちゃんと発行されているが、四つ星ホテルにさえおいていない。
現地語の新聞は数種あるが、街角で買えるとしても、ベンガル語はちんぷんかんぷん。余談だがバングラはインドと似た言語状況で、通貨タカには七つの言語表記がほどこされている(インドは15の言語表記)。
町の看板は英語が多い。英語を解する国民は意外と多いようだ。

 というわけで日本の選挙結果はバングラ第三の都市クルナのホテルで、概略が分かった。
自公で310議席という中間の開票速報、共産党が二倍。維新横ばい、次世代ゼロとういう開票日の日本時間午后十時頃の情報がつかめた。

翌日、バングラデシュの英語新聞で確認したのは「アベノミクス信任」とだけあって、数行の記事。それもニューヨークタイムズやブルームバーグからの転載だった。

つまりバングラデシュでは、日本の政治情勢のニュースはなきに等しく、選挙区の深い分析なぞあろう筈もく、細かな数字や候補者の当落は分からない。海江田が落選だけは、報じられた(野党党首だからだろう)。


 ▼バングラデシュ経済の浮沈は日本の6000億円の援助だが。。。。

 ジャイカの関係者に聞くと「日本の動きにそれほどの関心はなく、バングラデシュ国民はハシナ首相の汚職の話ばかり。彼女はラーマン初代大統領の娘というだけで、政治力はなく、国民の人気はない。にもかかわらず投票箱のすり替えや、数字の捜査で首相になれる。日本はつくづくミンシュシュギですね。投票箱擬制の国家にも、IMF基準や国連のウケさえよければ巨額の援助。こんかいの日本の援助6000億円は、この国の評判では、これで日本に国連安保理事会の議席を売った、という評価になってますよ」

 そうこうしているうちにボグラ、クルナ、モングラを経て飛行機でダッカへ戻り、ようやくにして英字新聞を読んだ。

 自民は微減、公明党増席、共産党二倍と、これでは安倍政権勝利とは言えないではないのか。まして民主党さえ11議席増。維新は横ばい、次世代はわずか弐議席。民主と維新は比例区復活がやけに目立つのだが、外国のメディアはそんなことは伝えない。
 アベノミクスが信任されたとはとても言えない結果ではないか、と筆者はダッカの宿で考えたのである。

 バングラは農業大国。しかし出稼ぎで外貨準備が成り立つ国であり、空港は産油国とマレーシア、シンガポールへ出稼ぎにいく人々でごった返しており、チェックインに一時間もかかる。出稼ぎひとりが外国から帰ると平均で十人が空港に出迎える。フィッリピンも一時期そういう風景が日常だった。

 それゆえバングラデシュ国民から見れば日本はまぶしい存在なうえ、各地の幹線道路や橋梁は日本が建ててくれた。日本の国旗がちゃんと各地に立っていて感謝の意を表している。

 またバングラデシュはパキスタンからの独立という歴史解釈だから、パキスタンは大嫌い、その背後にいる中国は嫌い。インドは保護国だから好き、インドと仲良しの日本は大好き、という構造になる。町中ではバングラの国旗が溢れている。

 したがってバングラデシュの国民は日本の総選挙に関心が深いかと言えば、ほとんどが無関心なのだ。

 貧富の差が激しく人力車タクシーがダッカだけで五十万台。バスは超満員。屋台では10円程度で食事ができる。タバコは20円(10本入り)。ビールは闇でしか手に入らない。イスラムの戒律が厳しいが、人々は明るい。未来に希望をもっているところが日本の若者達と異なる。
 
 この国の識字率はいまだ低く、農業国家として農作物の輸出で糊口をしのぎ、あとは手先の器用な女性が大量にアパレル、服飾、繊維産業に流れているが、日本企業の進出はまだ200社前後しかなく、しかし外国人の不動産取得が可能なため、不動産投資を果敢に展開する日本企業がいたことは驚きだった。
 というわけでバングラデシュ視察記はエルネオス弐月号に書きます。

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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1170回】
  ――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富5)
   「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 △
 難民の多くは「蘇州ノ者ニシテ約ソ十餘萬人モコレアルベシ、且官府モコレヲ救フコト能ハザレバ、餓死スル者日々ニ多シ」。難民をめぐる環境は日々刻々悪化していった。それもそうだろう。政府は手を拱いているだけ。かくて日本への亡命を望む者も現れた。

 日本側宿舎に顔を出し「風流ノ交リヲナスハ、皆難民中ノ人ニシテ、ソノ中ニハ秀才モ有ツテ、清朝ノ衰政ヲ哀ミ頻リニ皇國ヲシタ」う。ここでいう「秀才」は科挙試験上位合格の秀才なのか、一般的に頭がいいという意味を指すのかは不明だが、ともかくも一般難民とは違う読書人クラスの難民がやって来ては納富に向かって、「もう清朝はダメです。救いようはありません。それに引き替え皇国(にほん)は素晴らしい」とでも語ったのだろう。とどのつまりは亡命への支援要請だ。

 「余ニ言ヒテ曰ク、現今多クノ難民去ツテ貴邦ノ長崎ニ在リト。古ヘモ亦コレアリ。貴邦ハ素ヨリ仁義ノ國ト知ル。而シテ我邦ト唇齒ニ均シ。若シ諸侯ニ於テモ我輩ヲ憐レンデ倒懸ノ苦ミヲ救ヒ、召シテソノ民トナシ玉ハゞ、長ク恩澤ヲカフムリ安居スルコトヲ得ント、坐ロニ涙ヲ浮カベケレバ、余モマタ哀憐ノ悲ニ堪ヘザリキ」と。

 この部分のやり取りは筆談だったのか。それとも通訳を介したのか。それはともかく、「現今多クノ・・・」から以下の部分を翻読してみたい。

 ――ただ今、多くの難民が貴国の長崎に流れ着き住まいしております。こういったことは、その昔にもありました。貴国は古より道義の国であることを承知しておりました。加えて我が国とは唇と歯のように切っても切れない関係にあります。もし貴国の諸侯の何方かが私を哀れに思われ、召し抱えても宜しかろうと恩情を掛けて戴けますなら、末永くご厚情に浴し安居することが叶うことと思います――

 こう涙を浮かべて訥々と語り掛けられたことで、納富としては「哀憐ノ悲ニ堪ヘザリキ」である。続けて「因テ思フ」と難民の処遇について記す。これまた翻読すると、

  ――かくて拙者が思うに、これら難民を救い申して皇国の民の列に加え、職人の技術を生かさば国益にもつながり申そうぞ。農民にてあらば、島々や山林を切り開かせ、意欲と能力ある者は挙って使うが宜しかろう。太平天国の賊乱に遭って苦しみ、空しく餓死するなどということ、痛々しく、これまた口惜しきことではござらぬか――

 この時、果たしてどれほどの数の難民が長崎にやってきたのか。そのうちの何人が日本に落ち着き生計の道を確保したのか。それは不明だ。それはさておき、軽々しい同情は禁物だと思うが・・・如何。

 納富は上海の情況から、一向に止みそうにない「賊亂」が清国全体に及ぼす惨状に思いを致す。上海では従来からの住人に加え「十餘萬ノ難民等」が食べなければならない。上海は「幸ヒ廻船便宜ノ地ナレバ米穀」が底を尽くことはない。だが、米価は日々に高騰の一途だ。ならば「難民等ハ買フコト能ハズ。又乞兒トナリテモコレニ與フル者ナケレバ、遂ニハ餓死スルヨリ外アラザルベシ」と。

 手の打ちようのない惨状から、納富は考える。「他ノ地モ亦賊亂ヲ避ケ、ソノ地モシ米粟少ナク又運送ノ便ナクンバ、從令黄金ヲ貯フトモ、飢渇ニセマリ餓死スル者上海ヨリ尚多カラン。實ニ清國當今ノ衰世アサマシキコトゞモナリ」と。最早この国は、手の施しようがない。

 某日、病床の納富を「二人ノ書生來リ訪フ」。友人が応接すると、聖書を持参している。「耶蘇」の布教だ。そこで友人は「大イニ怒リソノ書ヲ抛チ」、追い返した。「然ルニ次日又來ル。「入ルコト許サゞレバ、立ツテ戸外ニ在リ」。どうにも往生際の悪い奴らだ。《QED》
 
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もう一本
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【知道中国 1171回】    
  ――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富6)
   「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

  △
 例の2人は、折から訪ねて来た「知己ノ書生馬銓」に納富への取次ぎを頼んだ。馬銓もまた「聖書だから読んでみたら」などと悪気もなく勧めたのだろう。いくら「知己ノ書生」の勧めとはいえ、「耶蘇ノ邪教書」なんぞを受け入れるわけにはいくまい。当然のように「我友等倍々怒リ大イニ?責シ皆出テ右ノ書生ヲ遂却」した。かくて翌日から、この種の勧誘は絶えたようだ。一連の聖書騒動を、「噫、清國書ヲ讀ム者スラ既ヲ尊奉ス。況ヤ愚民等ニ於テヲヤ」と慨嘆した。

 ――清国には孔孟以来の聖賢の著書や歴史書があろうものを、読書人たるもの、なにゆえに「耶蘇ノ邪教書」なんぞを有難がるのか。読書人がこれなら、一般民衆は推して知るべし。嗚呼、何とも嘆かわしい限りだ――

 ところで、「倍々怒リ大イニ?責シ皆出テ右ノ書生ヲ遂却」した「我友等」の先頭に立ったのは、果たして中牟田か。高杉もまた一緒になって刀の柄に手をやりながら、「そこもとら根性の腐りきった輩の来るところではござらぬ。下がれ、下がれ下郎の分際が」などと大喝したのだろうか。

日本の若者の剣幕に、さぞや驚き入ったことだろう。おそらく彼らの武勇伝は瞬く間に上海の知識層に広まったに違いない。そこである日、「清人ノ醫師來リ語ツテ曰ク」となる。これまた筆談なのか、通訳が入ったのかは不明だが、とりあえず“雰囲気”をだして翻案してみると、

――あなた方、上海来るある、上海、浮説(うわさ)あるのことよ。イギリス、日本に加勢頼んだあるよ。日本、上海、助ける来るある。清国・日本・イギリス・フランス、みんなさん長毛賊倒すのことよ。日本軍艦、いつ来るあるか。まだ来ないあるよ。待ちどうしいあるのことねェ。日本兵隊さん2人、凄いヒトある聞いたよ。1人、1日千里往って還るある。1人、雲に乗るのこと水の上走るのことよ。アイヤ~ッ、今見るのこと、みんなサン、普通の人ある。不思議のことあるねェ――//