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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)12月18日(木曜日)
    通巻第4417号 
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(本号はニュース解説がありません)。

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(日本の天気大荒れのため、欠航便を懼れて早めに帰国しました。バングラデシュは十年ぶりですが、緑豊かな農業大国に変身中。首都ダッカは世界で一番の交通渋滞ぶりでした。詳細はいずれ)。

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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆ 
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 愛国陣営に女傑四人見参
  その熱血トークは今後、保守陣営に活力を与えそう


河添恵子、葛城奈海、赤尾由美、兼次映利加
『国防女子が行く――なでしこが国を思うて何が悪い』(ビジネス社)
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 女傑四名がそろい踏み、国防の重要性を説くからには男子よ、しっかりせよという内容かと思えば、経済、教育、メディア、沖縄までを論じて平和ぼけニッポンに警告する「女子力」が炸裂する毒舌トークである。
 それぞれがなぜ愛国陣営にはせ参じるに至ったか、その個人的経歴をかたるところが面白くもあり、また戦後の教育の弊害、というより平和主義の洗脳をいかに克服したかという精神史の履歴を興味深く読んだ。四名ともに独創的な美人である。そのうえ和服姿の表紙だ。
 河添さんは、愛国家庭環境ですくすく育ったのに、なぜ中国に留学したのか。中国人との生活を通じて、この不思議な民族の欺瞞と偽善を見抜くに至ったか。
左翼思想にどっぷりつかっていた葛城さんは、なぜ志願して予備自衛官となり、武道に励むうちに軍隊が悪であるという学校での刷り込みが間違っていることに目覚めたのか。
そして奈海さんは「頑張れ日本! 全国行動委員会」の一員として尖閣に十五回も渡航した。
赤尾さんは、赤尾敏の姪であることを誇りにしてきた。そしてブータンに惹かれて行った先でプータン人男性と恋仲になり、父親が急死したためにアルミ工場の経営を引き継いで、経営者としての実践から現場で経済、教育、愛国理解をふかめていく。
一番若い兼次さんは、沖縄という、いまだに反愛国、左翼猖獗の現場にあって沖縄人の不思議なメンタリティの謎に直面し、沖縄からメッセージを発信する。
四者四様の活動歴ににじみ出てくる憂国の心情と、行動しなければおさまらないという愛国女性はこうした始源的動機をもとに言動を活発化させるから、たじたじになる男性もいるだろうなぁ。
それにしても昨今は国民集会などへ行くと、男性顔負けの女傑が急増している。
本能で本物と偽物をかぎ分ける力は女性のほうが優れている。
男はなにごとも論理的に考えてから行動を起こすが、女性は本能から判断して行動するのである。
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1168回】   
  ――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富3)
   「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

  △
「土人等數年狎居ル西洋人ニハサモナク、初テ渡リシ我輩ヲ親シムコト眞ニ舊知ノゴトシ」。その理由を、質談ができるからだろうが、結局は「倭漢ノ人心自然ニ相通ズル故ナルベシ」と考えた。さて、そういえるかどうかは別にして、やはり中国人にとって日本人は新鮮で珍しかったに違いない。同時に名倉が自らの「海外日録」の表紙に態々「室町以来希有」と記しているように、「室町以来」、日本人は渡来した書物の中の中国と中国人としか接してはいなかったわけであり、であれればこそ、頭の中に描いてきたバーチャルな中国・中国人と直に接する生身の中国・中国人との落差に驚いただろう。絶対に。

それもそうだろう。納富らが居住まいを正して読んだであろう大陸伝来の書物の中に、中国の街では「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナ」く、郊外には「棺槨縦横シ、或ハ死人蓆ナド包ミテ處々ニ捨テタリ。且炎暑ノ頃、臭氣鼻ヲ穿ツバカリナリトゾ」などと書かれていなかっただろうからだ。

「清國當今ノ風、兒童六七歳ヨリ學ニ入リ」、商家の子弟までも学塾で勉強に励んでいる。それというのも「清國ハ固ヨリ文學無雙ノ國ニシテ、コレニ因テ國家ヲ治ムルコト論ナシ」。「文學」、つまりは儒教古典である四書五経の思想によって国家を治めてきたからだ。だが最近では志は失せ、科挙試験に受かることのみを目的としている。これを納富は「?!)徒勞スルノ弊」と呼ぶ。そこで現今の中国は「自ラ文卑弱ニ落チ、遂ニ自國ヲ治ムルコト能ハズ」。かくて「内長匪ニ苦シメラレ、外夷狄ノ制ヲ受ク。實ニ清國ノ危キコト累卵ノゴトシ。憐レムベキコトナリ」となる。

かつての「文學無雙ノ國」も今や志を失くし、遂に内からは太平天国軍に揺さぶられ、外からは列強に蚕食されるがままではないか。最も忌むべきは志なき文弱の徒に違いない。
どうやら納富らは知り合った中国人と書の遣り取りをしていたようだ。ある日、詩を書いた扇を持ってきた中国人がいた。その詩に日本を見下す「納貢ノ事ト蠻王云々ノ句」を見つけた会津藩士の林三郎は、「勃然トシテ大イニ怒リ、即チソノ扇ヲ抛ツテ曰ク、我神國ノ天皇ハ萬古一系革命有ルコトナク萬邦ニ比スベキナシ。〔中略〕憎キ腐儒生甚ダ以テ無禮ナリト云」った。
 さて一気に頭に血をのぼらせた林は、顔面に青筋でも立てながら、「我が神国は畏れ多くも万世一系の天皇陛下が治め賜うておられるのじゃ。キサマらの国とは大いに違い申す。どこのウマの骨やも知れぬら下賎の身が権力欲の赴く儘に力に任せて天下を私し、これを革命などと賞揚せしは笑止の沙汰。キサマが如き腐れ儒学徒が、無礼千万。生かしては措けぬ。そこに直れ」などと、あるいは腰間の利刀に手を掛けたかも知れない――こんな展開であったら、その施渭南と称す中国人は林の剣幕に驚き、さぞや胆を潰したことだろう。

 かくて施渭南は、「坐ヲ立ッテ拜謝シ、乃チソノ句ヲ削リ改」めた。素直に自らの非を認めたのか。それとも、ここは謝っておくに如かずといったところか。

 それにしても、この緊迫した情況を、まさか筆談で応酬したわけではなかっただろう。「施渭南コレヨリ日々ニ來リ話シテ逆旅ノ悶ヲ遣?」というから、人懐っこいのか。忘れっぽいのか。ウマが合ったのか。それとも日本人の真意を探ろうと通ったのか。

 ある日、日本側宿舎を訪ねて来たオランダ商館長を見て、施渭南の「顔色土ノ如ク戰慄シテ立」ってペコペコとお辞儀し、慌て立ち去った。北京では一角の人物として知られた施渭南にして、この卑屈さである。「カクノゴトク異人ヲ恐怖スル國勢ノ情態、歎ズルニ堪ヘタリ」
蛇に睨まれたカエル。夷狄に国を侵された清国人。負けたら・・・オシマイです。
《QED》
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もう一本
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【知道中国 1169回】         
  ――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富4)
   「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

  △
 上海上陸後には各地を歩き、その見聞を記録し、「探偵ノ一助ニ備ヘ奉ラバ官ノ御爲ニ何ゾノ寸?ニモナルベキ」と、納富は考えていた。だが上陸直後に病を得てしまい、当初の計画が果たせない。情けなく口惜しいと思っていた。ところが、太平天国の乱を逃れて多くの難民が上海に押し寄せる。「ソノ中ニ書生數多クニテ、皇邦ハ諸外夷ト異ニ聖?ヲ崇ビ文字明ラカナリト聞イテ、樂シミテ我輩ヲ來リ訪ヒ、詩畫筆語等ニテ自ラ親シクナリ聞出スコトモ少ナカラス」。幸運にも情報が向こうから跳び込んで来た、というわけだ。

 加えるに「我中牟田倉之助、長州ノ高杉晋作、會津ノ林三郎、遠州ノ名倉予何人、大阪ノ伊藤軍八、尾州ノ日比野掬治本ト書生ナレバ、就中筆語能ク通ゼリ」。「我山崎卯兵衛、深川長右衛門ハ書生ニハアラネドモ、通辯早ク馴レテ、官府ノ事商法等ハ精シク聞取ルコトヲ得ラ?ム」。

 ここで「最モ意外ナリシハ」と「薩州ノ五代才助」に筆が及ぶ。彼は「初ヨリ水手ニ身ヲ窶シ船底ノミニ居ラレタレバ」、誰も気にしなかった。ところがソッと抜け出して遠く足を延ばし、「浦東アタリノ長毛賊ヲ剿攻アリシ合戰ヲサヘ見テ歸ラレシ由、コノコト誰モ知リタルモノ無ク」、長崎に戻って初めて知ったとか。

 かくて納富は、「此度同船數十人ノ銘々見聞セシコトヲ皆集メテ大成セバ、頗ル?アルコトモ多カルベキニ、余ガ微力ノ及ブコトニアラザルハ歎ズベキコトナリ」と猛省する。ともかくも「同船數十人ノ銘々」はそれぞれが得意の分野で情報収集に努めていたということだが、それにしても当時の清国側知識人難民の中には「皇邦」を「諸外夷ト異ニ聖?ヲ崇ビ文字明ラカナリ」と見做すなど、素直さと謙虚さが認められて些か好感が持てる。やはり横柄で尊大な態度はイケマセン。であればこそ、「中華民族の偉大な復興」やら「中国の夢の実現」などと浮かれ返っている今こそ、「中国は永遠に謙虚であらねばならない」「大国は小国を愚弄してはならない」との毛沢東の訓えを拳々服膺すべきだろうに。判っているか!おいッ、習近平!!!

 上海には欧米諸国から貿易を求めて多くの船舶がやってきて商売は賑わっているが、「タゞ書畫ト文房ノ具ノミハ諸夷ノ目ヲ掛ケザレバ」、書画筆墨商人は開店休業状態だ。そこで唯一「書畫ト文房ノ具」に理解と興味を示す日本人のところに数多くの「掛軸幅古器ナド」を持参し商売に励む。口を開けば「これ本ものアルヨ。安いアルヨ」の連発だったはず。いずれ源頼朝、あるいはナポレオンの幼少時のシャレコウベの類だろうが。

ところが「固ヨリ僞物ノミ夥シクアルヲ、カツガツ嫌ヒテ退クニ、彼強ヒテ眞物ナリト辯ジ勧メケレバ、日本人ハ皆眞眼ヲ具セリ、汝等欺クベカラズト云ウ」と、最終的に彼らは品物を畳んでスゴスゴと帰って行く。「日本人、敵わないアルヨ」とでもいったのか。それでも「眞物ナラバカクノゴトキ廉價ニ非ラズト、有リノ儘ニ云ヒタリシ」と。さて捨て台詞は「本モノ、こんな安くないアルヨ」だったろう。ニタニタと愛想笑いしながら。

 誰が見てもニセモノと判っていながら、飽くまでもホンモノだと言い張り売りつけようとする図々しさ。一転、ウソがバレルとあっけらかんと白を切る惚けぶり――十年一日ならぬ百年、いや千年万年一日ぶりは民族のDNAとしかいいようはない。かつて周恩来は「中国人はウソをつかない」と大見得を切ったことがあるが、これ程までに信用できない台詞はないだろうに。

 祖先伝来の逸品を売りその日を生きる難民もいる。誰もが「定メタル住居ナク、或ハ路傍ニ佇ミ或ハ船ヲ栖家トシ雨露ニ濡レ飢渇ニ困シミ、タゞ一日々々ノコトヲ計ルノミ。ソノ命懸絲ノ如シ。憐レムニ堪ヘザル衰世ナリ」。//