■「加瀬英明のコラム」メールマガジン


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 日本は古くて、新しい国だ。



 11月に大相撲の九州場所の千秋楽で、白鵬関が鶴竜関に勝って、32回目の優勝を果した。

 私は白鵬関が賜杯を手にした後に、土俵の上でNHKの優勝インタビューにこたえた言葉に、深く感動した。

 白鵬関はそのなかで、「相撲の神様に感謝します」といい、声を張りあげて、「天皇陛下に感謝します!」と述べた。

 私は「相撲の神様」「天皇陛下に感謝します」という言葉を、久し振りに聞いた。

 私たち日本人は、太古の昔から八百万(やおろず)の神々に囲まれて、生きてきた。

 今日では、相撲は日本語に入った英語を借りて、「スポーツ」と呼ばれているが、本来は神を祭る神事(かみごと)である。

 私はテレビを通じて、相撲を観る時には、敬虔(けいけん)な思いにとらわれる。

 土俵はリングではない。神聖な場だ。力士は土俵を踏む前に、力水(ちからみず)と呼ばれる清(きよ)めの水で、口をすすぐ。神社にお参りする前に、口をすすぐのと同じことだ。
土俵を造るのに当たっては、神主を招いて、厳粛な神事が行われる。

 まず、真ん中に10センチ四方ほどの穴が掘られて、神にお供えする米、勝ち栗、昆布などを埋めて、お祓(はら)いをしたうえで、土俵の四隅にお神酒(みき)と塩が撒かれる。
力士が足を高くあげて、土俵を踏みつける所作は、四股(しこ)と呼ばれる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って大地を踏みしめて、地中の悪霊を払う意味がある。日本民族は、稲作によって生きてきた。

 両国の国技館のまわりに、相撲部屋が点在しているが、土俵が造られるたびに、「土俵祭」と呼ばれる、同じ神事が執り行われる。

 このような形を、過ぎ去った昔のものと思って、捨ててはならない。日本の宝である。

 私は白鵬関が「相撲の神様に感謝します」と述べたのに、胸が熱くなった。

 その前に、白鵬関はNHKのアナウンサーに、「ちょっと、モンゴル語で話したい」といって、モンゴルで中継を観ている両親と、国民に向かって、「両親と母国の人々に、深く感謝します」といった。

 日本人の最古の信仰である神道をはじめ、日本のあらゆる信仰は、感謝に基いている。感謝の念が、日本人を日本人たらしめてきた。

 日本を特徴づけてきた「和」の精神は、感謝の心がつくってきた。

 天皇への感謝、国、祖先、隣人、親、いま自分があること、夫、妻、兄弟への感謝の心である。日本は感謝しあう、美しい国なのだ。

 大相撲の土俵のまわりには、注連縄(しめなわ)が張られて、白い御幣(ごへい)が下っている。神聖な場に、不浄なものの侵入を禁ずる、印(しるし)である。

 刀鍛冶(かじ)や、研(と)ぎ師の作業場、日本酒の醸造所、新築にあたっての地鎮祭の祭場をはじめ、ビルの屋上にある祠(ほこら)、多くの場で注連縄と御幣が、張りめぐらされる。

 日本語には、明治に入るまで「神話」という言葉が、存在しなかった。「ふること」といって、「古事」という漢字が当てられた。

 「神話」は、英語の「ミソロジー」という言葉が入ってきた時に造られた、明治翻訳語である。明治訳語ともいわれる。

 皇居では、天皇陛下が日本の祭主として、秋の新嘗祭(にいなめさい)には、日本民族がまだ文字を持たなかったころから伝わる、古い神事を行なっておいでになる。ふることは、今日まで継(つなが)っている。有難いことだ。