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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)9月23日(火曜日)
     通巻第4345号   <秋分の日>
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 李登輝元台湾総統、六度目の来日。東京と大阪で講演
    会場は熱狂に包まれ、氏の日本への叱咤激励に聞き入った
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李登輝元台湾総統が六度目の来日をされた。初日は大阪で講演会。会場は超満員、1600名を超えた。
 21日には東京に移動され、サンケイホールがぎっしりになるほど聴衆が詰めかけたが、定員が600名のため、応募しても断られた人も目立った。この講演内容は産経新聞(2014年9月22日付け)がつたえた。

 その夜、オークラで関係者のみの晩餐会が開催された。招聘があり、筆者も参加した。李登輝閣下、さすがに老いたが矍鑠としておられた。
 「日本李登輝友の会」会長の小田村四郎氏が歓迎の祝辞。引き続き総統は挨拶に立って、こう言われた。

 「日本は自立を求めるために相応の軍事力を保有するべきで、「戦後レジームの克服」は「改憲」がなければ達成されません。アベノミクスだけは不十分です。現代世界は資本主義から金融主義となり、台湾はまだ日本に学ぶことが多いが、日本人は従来の引っ込み思案をやめて自らの立場をはっきり主張をすることが大事です。もっと世界に向かって発信してください」

 主賓テーブルには長島昭久・衆議院議員、総統の隣は渡邊利夫・拓殖大学学長、総統夫人の隣は曾野綾子女史。会場には井沢元彦、堤堯氏らが参加していた。

 食事の終わりかけの頃、拙著『台湾烈々』を手にされた総統から手招きを受け、資本主義から金融資本となってアメリカ、とりわけ「ユダヤ資本」に注意する必要があるなどと、たくさん質問があった。
その犀利な分析、国際金融への関心の深さに驚かされた。
 参加者全員には李総統から栞(しろり)が配られ、自筆の「我是不是我的我」と書かれていた。なお総統一行はきょうから北海道に入られる。

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「加瀬英明のコラム」メールマガジン
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ようやく誤報を認めた朝日新聞がなすべきこと
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 朝日新聞が8月に、1面と16、17面を全ページ使って、これまで32年にわたって、朝鮮半島出身の慰安婦について「強制連行」したと、誤報を行ったと認めて撤回した。それでも、「報道の一部が誤まっていた」と弁明している。往生際が悪かった。
 15年前に、自社のカメラマンが沖縄の海に潜って、珊瑚に傷をつけ、スクープとして「サンゴ汚したのは誰だ」という見出しをつけて、紙面に大きく載せたことがあった。
 この時は、社長が責任をとって、辞任した。朝日新聞珊瑚記事捏造事件として、知られる。
 慰安婦を強制連行したという報道は、河野官房長官談話をもたらし、日韓関係を不必要に悪化させ、日本の汚名を世界にひろめた。
 たしかに、朝日新聞社の罪は重い。ジャーナリズムは、報道に正確を期さなければならない。多くの識者がいきりたって、朝日新聞の社長が引責辞任すべきだとか、朝日新聞を廃刊すべきだとか、非難している。だが、今回、朝日新聞は珍しくよいことをしてくれたと思って、評価した。
 謝罪したり、社長が引責辞任するよりも、これまで日本を大きく誤らせてきた報道を、つぎつぎと検証して、撤回していってほしい。
 
 金日成主席の北朝鮮が「労働者の天国」だと煽り立てて、1959年から84年にかけて、9万3千人以上の在日朝鮮人と日本人妻が、地獄へ渡った。このうち6千7百人あまりが、日本人妻とその子どもたちだった。
1958年の警職法改正や、1960年の安保条約改定に当たって、「戦争を招く」と世論をミスリードした。
 1970年代には、日中国交正常化を煽り立てた。
 72年5月に田中首相が訪中して、国交正常化が行われた時の社説を、再録しよう。

「日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならねばならない。日米安保条約によって勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環をソ連にもひろげる。あるいはアジア・極東地域に恒久的な中立地帯を設定する。そうした外交選択が可能となったのである」
 まさに、憤飯物である。朝日新聞は毛沢東の中国をこれでもか、これでもかと礼讃して、「日中友好」ムードを盛りあげた。そのために、日本の進路を大きく誤らせた。

このような一連の報道によって、日本を骨抜きにして、日本の安全保障を大きく損ねてきた。そういえば、朝日新聞は「A級戦犯」という言葉を、好んで使用してきた。
 先月、私は福岡に講演に招かれた時に、中洲の古い料亭『老松』に案内されたが、玄関に緒方竹虎の揮毫が飾られていた。
 緒方は福岡出身で、朝日新聞主筆、副社長を歴任したが、終戦とともに占領軍によって、「A級戦犯容疑者」として逮捕されている。朝日新聞は岸信介首相が、「A級戦犯容疑者」だったことは書くが、ご都合主義だから、緒方についていっさい触れることはない。
 今回の慰安婦報道を撤回したことについて、社長が辞める必要はない。
 社長が陣頭に立って、日本を弱体化してきた、これまでの報道を検証して、撤回することを期待したい。
 (加瀬英明のコラム」メールマガジンから再録。かせひであき氏は外交評論家)
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム  樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1129回】   
  ――「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野14)
       『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店)

   ▽
やがて黄河を越えて河南省の省都である開封に入る。規模は北京には遥かに及ばないが、宋代には都だけあって雄大ではある。だが旅の途中で立ち寄った済南などに較べると衛生設備が整っていないこともあって、「到る處不浄が横つて居る」。「我が國の雜貨はボツボツ見受くる」。開封での宇野の宿泊先は小栗洋行という日本商社だった。すでに日本人は、ここまで進出していたのである。

 開封でも宇野は精力的に旧跡を訪れているが、興味深いのが?經胡同と呼ばれるユダヤ人街の探訪だろう。宋代に西方から移住してきた彼らは、明代に至って王朝から住宅を下賜され安住の地を与えられた。ユダヤ人街の路地の奥に「猶太?の寺があつたが、今は其跡陷没して直徑三十間斗りの池となつて、猶太人の子孫が其の池水に洗濯などをして居る」。あちこち散策していると、「猶太人の子孫」と思われる人々に囲まれたが、彼らにはユダヤ人の面影はない。なぜなら「幾度か支那人との雜婚の結果、容貌などは少しも區別は出來ない。服装も凡て支那人と同様である」と感想を洩らす。

 宋代といえば、いまから1000年ほどの昔である。中国以外に移り住んだユダヤ人がユダヤ人として生き抜いてきたのとは違って、流浪の果てに東方の異邦に流れ着いたユダヤ人は、時の流れの中で漢族の大海に否も応もなく呑み込まれ、とどのつまりは「服装も凡て支那人と同様」になってしまったということだろう。どのような民族であれ、漢族という坩堝に呑み込まれたら最後、個々の民族が生まれながらに秘めて来た特性は溶解され、結果として漢族化してしまう。ウイグル、モンゴル、チベット、朝鮮族のみならず数多の総数民族が直面している民族的惨状を考えれば、その感化力というか漢化力の凄まじさに、改めて脅威を感ずる。

新進気鋭の人口経済学者の梁建章は「中国の人口の長期にわたる均衡ある発展を保障してこそ、人口と社会経済、資源と環境の調和のとれた持続的発展が保証できる。こうしてこそ、21世紀が真の中国の世紀となりうる。世界の強国に伍し、長きに亘って成長し衰えることのない立場に立てる。いまや中国の人口政策を徹底して解放せよ。いまや多産を奨励する時に立ち至った」(『中国人太多了―?』(梁建章・李建新 社会科学文献出版社 2012年)と、声高に叫んでいる。

また現代中国における華僑・華人研究の第一人者で知られる陳碧笙は、海外に多くの漢族(系)が居住する根本は、「歴史的にも現状からしても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動は停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」(『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)とする。

であればこそ、改革・開放政策の勝ち組である多くの富裕層が莫大な資産を懐に海外に移り住んでいる事実は、船の沈没を予感したネズミが船から脱出する様に似て共産党政権の危機を予感しているからといったレベルで捉えるのではなく、より深刻に考えるべきだ。

どうやら宇野の開封探索は雨に祟られたようだが、「仲秋に至つて晴れた」。「朝から所々に爆竹の越えが聞こえる」。「月餅の外、柿、梨、桃の類凡て圓形を供へ、今日は皆晴れ衣を着け相往來して賀意を表すること、御正月と同じやうである」。異郷で対した「皓如たる名月」に、宇野は「寂寞の境に在つて、昔ながらの名月に對し、徘徊去るにびず」との思いを綴っている。

20日余の山東・河南旅行を終え、北京に戻る。次に目指したのは長安。翌年の「九月三日午前七時、畏友桑原學士と同行長安に向かひて北京西火車站を發」したのである。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌前号の投書欄にあった「三猫匹様」のご意見について以下感想です。
宋家三姉妹
長女宋慶齢は共産主義者で孫文夫人、妹の宋美齢は孫文の後釜の国民党指導者蒋介石の後妻になりました。なぜ金持ちの娘の宋慶齢がモスクワよりの共産主義者になったのかは不明です。

宋美齢と西安事件
宋美齢の歴史的役割としては1936.12の西安事件が大きいと思います。
部下の張学良、楊虎城の反乱で捕虜になった夫・蒋介石のところに、宋美齢が南京から空路西安に到着します。そして情報を伝え、蒋介石は釈放条件を受け入れ、南京に帰着します。
その内容は蒋介石と長男・蒋経国(ソ連で人質中)の助命の代償として国共内戦停止と対日攻撃を求めるものであったと考えられます。
この裏で宋美齢はモスクワの宋慶齢経由でスターリンの釈放条件を受け取り、夫に伝えたのではないか、と思います。//