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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)9月17日(水曜日)
     通巻第4337号  
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(本号はニュース解説がありません)
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樋泉克夫のコラム樋泉克夫のコラム樋泉克夫のコラム樋泉克夫のコラム樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1126回】         
   ――「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野11)
       『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店)
 
  △
宇野は「滿洲に於ける支那人の多くは山東出身である。馬賊の大部分も山東人である。山東人は體質も強壯且つ偉大で」あるとするが、満州で彼らは「山東棒子」「山東児」と呼ばれ蔑まれていた。「棒子」とは棒のこと、「棒子」とは貧しく妻子もない落ちぶれ者という意味らしい。

 「由来山東人は『支那の面子を毀損する者は山東人なり』と云はれ、流氓又は苦力として支那の内外各地に白蟻の如くに侵入して行き、生きるために如何なる不道徳的手段をも考慮せずして、遂には白蟻の高樓を覆へすが如き破壞をなすため、他省の者より斯く輕蔑せられてゐ」(滿洲國警務総局保安局『極秘 魔窟・大觀園の解剖』原書房 昭和57年)た、とも。そういえば、毛沢東夫人の江青も、「中国のべリヤ」とも「毛沢東の特務」とも呼ばれた康生も共に山東人だった。この2人もまた共産党政権の「面子を毀損」したことにかけては人後に落ちないだろう。とはいうものの、共産党政権の面子そのものがナンボノモンジャイ・・・ではありますが。

 再び宇野の旅に戻る。済南から西して泰山を過ぎれば、いよいよ孔子を祀る曲阜に近づく。さすがに正真正銘の儒学徒である。宇野の心は高鳴るばかりだ。

 「南方遙に/曲阜/を望む。城上高く黄色の甍見ゆるは蓋聖廟である。〔中略〕城北に一帶の檜の森鬱然として廻らすに壁を以ってせるは、まがう方なき至聖林である。予等は譬へばヱルサレムを望見した十字軍の諸士もかくやと斗り歓天喜地、頻りに鞭を擧げて幾もなく曲阜城北吉陞店に着す。時に午後六時、此日行程百里」

「ヱルサレムを望見した十字軍の諸士もかくやと斗り歓天喜地」とは些か大袈裟だとは思うが、儒学徒を任ずる宇野としては当たり前のことかもしれない。遂に孔子廟の最奥に納まった孔子像に正対するが、中国人への冷静な観察眼は完全に消え失せ、単なる孔子教徒、いや孔子オタクへと変身してしまうのだから、げに“信仰”とは空恐ろしいものだ。

 「予等は馬を下りて〔中略〕鞠躬如として堂に上れば、見よ正面には聖人在ませり。王冠を戴き袞龍の御衣を着し端坐し給ひ、眉目の間には無限の仁愛を表はし口には笑を含み循々として教を垂れ給ふが如し。覺えず頭を垂るれば聖靈髣髴として咫尺の間に來格し、視ずして其神を見、聽かずして其聲を聞き、眇たる此の小?直ちに偉大なる聖靈に攝取せられ恍然として我あるを知らず、又人あるをみず」

この数行の記述からだけでも宇野の舞い上がりぶりが見て取れるだろう。やがて些かの落ち着きを取り戻し、左右に目を転ずれば、復聖顔子、迹聖子思子、宗聖曾子、亞聖孟子、閔子冉子、端木子、仲子、卜子、有子から朱子まで孔子の教えを伝え広めた聖人像のオンパレードだ。「こゝに古の聖賢と一堂の下に會することを得て、萬感胸に集まり其の緒を知らず」と。まるで憧れ続けた大スターに出会った際の熱狂的ファンそのものだ。

毛沢東に会った際、周恩来に、?小平に、江沢民に、胡錦濤に対し・・・“大物”と世評の高い政治家やら財界人、著名文化人など多くの日本人がほぼ例外なく舞い上がり、孔子像に出会った宇野と同じように、「小?直ちに偉大なる聖靈に攝取せられ恍然として我あるを知らず、又人あるをみず」して、遂には「萬感胸に集まり其の緒を知ら」ざる情況に陥ってしまい、挙句の果てに相手の術中に嵌ってしまう。その顕著な一例が、数年前の胡錦濤を前にした菅首相(当時)のブザマな姿であり、小澤一郎に引率されて北京を詣で胡錦濤に“謁見”を賜った民主党の議員たちだ。
宇野が孔子像に我を忘れる程度は許せるものの、やはり首相以下が彼の国で、彼の国民の目の前で醜態を曝すことだけは断固として許されないことだろう・・・に。
《QED》
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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌で紹介された「ルーズベルトの開戦責任」(「アメリカの鏡日本」に匹敵するほどインパクトのありそうな本のような気がいたします)を読み始めましたが、訳者の渡辺惣樹氏の冒頭の記述「まえがき」について質問がございます。
第二次大戦前の地図を見ると西から東へ、ドイツ本土―ポーランド領ダンツッヒ市―ポーランド回廊―東プロイセンとなります。(ところがパソコンのウイキペディアでポーランド回廊を検索して見ると、西から東に向かって、ドイツ本土―ポーランド回廊―ダンツッヒ―東プロイセンという順序で並んでいますが、これは間違いの筈です )
「訳者まえがき」 1ページの文章は以下のように書かれています。
日米戦争の原因を冷静に遡ればヨーロッパで始まった戦争(一九三九年九月)に起因していることは間違いない。そのヨーロッパの戦いの原因はドイツとポーランドの、東プロシアの港町ダンツィヒの帰属をめぐる争いだった。ベルサイユ条約(一九一九年)によって独立したポーランドの領土として認められた港町ダンツィヒは、もともとドイツの前身であるプロシア領であった。そこに暮らす九〇パーセントの住民はドイツ系であった。ヒトラーはポーランドに対してダンツィヒの返還を要求した。そしてドイツ領から飛び地になっているこの港町へのアクセス権(ポーランド回廊問題)を要求した。
しかし正しくは以下のようでようで在るべきと思うのですがいかがでしょうか?
(変更後)
日米戦争の原因を冷静に遡ればヨーロッパで始まった戦争(一九三九年九月)に起因していることは間違いない。そのヨーロッパの戦いの原因はドイツとポーランドの東プロシアの間に位置する港町ダンツィヒ市及びポーランド回廊をめぐる争いだった。ベルサイユ条約(一九一九年)によって独立したポーランドの領土として認められた港町ダンツィヒは、もともとドイツの前身であるプロシア領であった。そこに暮らす九〇パーセントの住民はドイツ系であった。ヒトラーはポーランドに対してダンツィヒの返還を要求した。そしてドイツ領から飛び地になっている東プロイセンへのアクセス権(ポーランド回廊問題)を要求した。
(足立生)


(宮崎正弘のコメント)渡邊さんから次の返事がありました。「読者のレベルの高さはありがたいものです。ダンツィヒは東プロシアの一部ではないので確かに表現の修正が要りますね。重版がないと修正できないので、再版になりますよう」
ところで、小生、四半世紀前に、このダンツィッヒへ行ったことがあります。ワルシャワから飛行機が満員でベンツのハイヤーで往復。驚いたことに飛行機代より安かった。ただし朝十時にでてワルシャワに戻ったのは午后七時ごろだった記憶があります。
 


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(読者の声2)「国防を語らずして、日本を語るなかれ!――【第20回 軍事評論家・佐藤守の国防講座】
東アジア情勢と北朝鮮の動き ~金王朝の隠された真実から~
軍事評論家としてブログやチャンネル桜などで活躍中の当会顧問・佐藤守が「国防」を熱く語る連続シリーズの第二十回目です。
金日成国家主席の死後、労働党総書記に就任した国防委員長・金正日は、息子の金正恩を党中央軍事委員会副委員長に就任させるとともに、最高領導者として権力をほしいままにしていました。
その金正日が死去して朝鮮人民軍最高司令官に就任した金正恩は、朝鮮労働党第一書記及び国防委員会第一委員長に就任して、自らを中心とした強固な体制を確立しようとしています。経済建設と核武力建設を並進させるという戦略をとり、昨年12月には、金正日の側近で、義理の叔父でさえあった北朝鮮のナンバー2・張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長を突然に失脚させ、処刑してしまいました。
ミサイル発射や核開発など「先軍政治」を継承しながら、経済は破綻して深刻な食糧難に陥りつつある北朝鮮ですが、中国と韓国が「反日」で結託するようになると、今度は「敵の敵」である日本に急接近してきました。こうした北朝鮮の動きの背景には何があるのでしょうか。今後どのような展開が予想されるのでしょうか。複雑怪奇な昨今の東アジア情勢を、金王朝の隠された真実から解き明かします。
脱線転覆を交え、大人気の佐藤節が唸ります。どうぞご期待下さい。

とき   9月21日(日)12:30開場、13:00開演(15:30終了予定)
ところ  靖国会館 2階 偕行の間
講師   佐藤 守(日本兵法研究会顧問、元南西航空混成団司令・空将)
参加費  1,000円 (会員は500円、高校生以下無料)
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp FAX 03-3389-6278
  件名「国防講座」にてご連絡ください。なお事前申込みがなくても当日受付けます。

もう一つ、お知らせです
「第18回 家村中佐の兵法講座 楠流兵法と武士道精神―― 『太平記秘伝理尽鈔』を読む(その7:湊川の戦い・前段)
今から約680年前、後醍醐天皇の討幕挙兵にいちはやく出陣した大楠公・楠木正成は、天才的な兵法(戦略・戦術・戦法)で鎌倉幕府を滅亡に追い込みました。こうした大楠公の活躍を描いた古典『太平記』の軍事解説書『太平記秘伝理尽鈔』は、日本の兵法史上第一級の名著です。
本講座では、この『太平記秘伝理尽鈔』から大楠公の代表的な合戦を抜粋し、その戦略・戦術を、図解で分かりやすく紹介してまいりました。
いよいよ今回は、大楠公の最期を飾った有名な「湊川の戦い」の前段です。九州へ逃れた足利尊氏が菊池氏らの官軍を破った「多々良浜の戦い」から、大楠公が兵庫へ下向するまでの経緯を解説しながら、「楠木正成はなぜ戦死を覚悟して湊川へと向かったのか」について解き明かします。

とき   10月12日(日)12:30開場、13:00開演(15:30終了予定)
ところ  靖国会館 2階 田安の間
参加費  1,000円(会員は500円、高校生以下無料)
お申込  MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp FAX 03-3389-6278
  件名「兵法講座」にてご連絡ください。配布資料準備のため、つとめて事前申込みをお願いします。//