朝日新聞は「瓦版」以下

 吉田清治という人物は謎に満ちています。今、発売中の雑誌「WiLL」でジャーナリストの山際澄夫さんが書いていらっしゃいますが、吉田清治は本名の吉田雄兎以外に東司、栄司という別名を持っていたそうです。「本籍は下関市」と言っていましたが本当は福岡だったそうです。戦前、二度、入獄した経験があります。1937年、李貞郁という人物を養子として入籍、金永達と名乗らせていました。「金永達は小倉連隊に入隊して戦死した」と言っていましたが、実際には金永達さんは1983年に死去したそうです。

 吉田清治が「山口県労務報国会下関支部」に所属していたのは事実のようです。「労務報国会」は厚生省、 内務省が設立した半官半民の組織で戦時体制下、労働力が不足した地域に日雇い労働者を斡旋する仕事をしていたようです。
吉田清治は1947年、共産党から下関市議に出馬していますが落選、1970年頃、門司で日ソ協会の役員をしていたそうです。このいかがわしい人物、吉田清治に朝日新聞は(知ってか知らずか)のめり込んで行きます。

 吉田清治がマスコミに登場したのは1963年、雑誌「週刊朝日」ででした。
「私の8月15日」というテーマの募集手記に佳作で当選したのです。自分は下関で朝鮮人男子労務者を強制連行した、という内容でした。佳作とはいえ当選したのですからある程度、文章力があったのだと思います。

 「私は韓国の済州島で慰安婦狩りをした」という、慰安婦に初めて触れた本『私の戦争犯罪—朝鮮人強制連行』を三一書房から出したのは1983年です。しかしその前年の1982年9月2日、朝日新聞は「朝鮮の女性 私も連行」という大見出しの記事で早くも吉田清治を取り上げています。大阪の浪速解放会館(部落解放同盟の関係する会館だと思います)で行われた「旧日本軍の侵略を考える市民集会」で吉田清治が講師をして、話した内容が記事になっています。今読むと笑える内容ですが、32年前はこれが事実として通用していたのです。

 毎日、新しいネタを仕込まなければ新聞は読まれません。ネタはセンセーショナルなものであればあるほど読者を引きつけますから、この「慰安婦狩り」というネタはいける、と朝日新聞は判断したのかも知れません。以後なんと! 13回にわたって延々と吉田清治の話を記事にしたのです。13回の記事の日付はというと・・・1983年10月19日、1983年11月10日、1983年12月24日、1986年7月9日、1990年6月19日、1991年5月22日、1991年10月10日、1992年1月23日、1992年3月3 日、1992年5月24日、1992年8月13日、1994年1月25日、1997年2月7日・・・これを見ると読者が忘れた頃を見計らってまた吉田清治を登場させていた、としか思えません。これが単なる「誤報」でしょうか?

 江戸時代、火事や泥棒など、なにか目新しいことがあると、それを伝える「瓦版」というものがありました。これが新聞の始まりではないか、と思います。
ネタは新鮮で、面白ければ面白いほど売れるので、瓦版屋は事実の中にちょっぴり嘘を混ぜた り、話を膨らませたりします。庶民を飽きさせない工夫、とも言えるでしょう。それが事実であるかないか、はあまり関係ないのです。新聞もそれと似たようなものです。ですから新聞は所詮「瓦版」なのだと思って読む分には害がないと思います。

 しかし今回、朝日新聞のやったことは単なる「瓦版」レベルの話ではありません。ありもしなかった「慰安婦の強制連行」を事実としてこれでもか、これでもかと報じ、とっくに嘘だと分かっていたものを32年間訂正もしなかったのです。それによって旧日本軍は貶められ、日本の名誉は傷つけられ、日本人は海外で「強姦魔」「破廉恥な民族」と石を投げられる事態になっているのです。一体、朝日新聞はこの責任をどう取るつもりなのでしょうか? 新聞は嘘を垂れ流しても罰せられないのでしょうか? もし朝日の社長が責任というものをほんの少しでも感じているのなら朝日は廃刊するしかないと思います。私たちは朝日新聞を許してはいけません。