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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)7月30日(水曜日)
通巻第4303号
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周永康一味の完全失脚で次の標的は江沢民
習近平の権力闘争のすさまじさは到達点がみえてきた
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習近平の最終的目標は江沢民一味であることがはっきりしてきた。
周永康の失脚が正式に発表されたが、これにより江沢民系の石油派は壊滅である。石油派の三大拠点のひとつ「中国海洋石油」がベトナム沖から海洋リグを撤退させたのも、背後に軍と石油派の利権争奪戦があるようで、言い換えれば、旧江沢民系から石油利権を取り上げたものの、実際の三大メジャーの実権をそれなら習近平が掌握したかといえば、そうは断言できない。
一方、軍のほうも江沢民の家来だった徐才厚と郭伯雄の失脚が意味するところは房嶺輝(総参謀部長)と許基亮(軍事委員会副主席)らの天下となるが、彼らは反江沢民派で、むしろ胡錦涛に近い。
最終的に前皇帝(江沢民)を狙うにしても軍が動かなければ、習も実際の行動には移れないだろう。
習近平は王岐山を使って旧江沢民派をおいこむ一方で、胡錦涛派からの「犠牲」は少数にとどまっている。
陰に描かれるのは太子党の習近平派と旧胡錦涛派の呉越同舟、こうなると軍を握っている方に力点が偏重する可能性がある。
つまり、これまでは江沢民派+太子党の「連立政権」だったが、これからしばし「習近平主導の太子党」+前胡錦涛派の「連立」になるだろう。
最終的な権力闘争は、つぎに江沢民一派が牛耳る「通信利権」に矛先が向かうと考えられる。
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(休刊予告)小誌は海外取材旅行のため8月1日から8日まで休刊となります。
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1106回】
―「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田8)
「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
△
戦前、仁井田は学術調査などで北京に長期滞在したことがある。そこで「私は戦時中、北京でタバコやその他の行列買いにしばしば出会ったし、電車にむらがる民衆も見た。配給品を買う行列では、後の人は前の人の背中につかまって途中からの割り込みをふせいでいた。その行列は蛇が歩くようにうねっていた。自分を守るものは自分の実力以外になかった。官憲もこれを守ってくれてはいなかった」と綴った後、北京の街の激変ぶりを次のように記す。
「バスや電車に乗る人は静かに乗る順を待っていて割り込む者はいない」。「乗客は秩序正しく自分の番を待っていた。誰も自分の支配領域をこえて他人の利益を犯そうとする者がない状態を私は見た。それはどろぼうせぬこと、わいろをとらぬことと同じ意味をもつ」と。
一時話題になったTVドラマの「家政婦のミタ」ではないが、北京の街角における人々の戦時中とは打って変わった秩序正しい振る舞いを「私は見た」といわれても、やはり俄かには信じられない。「乗客は秩序正しく自分の番を待っていた」からといって、それがどうして「誰も自分の支配領域をこえて他人の利益を犯そうとする者がない状態」になり、とどのつまりは「どろぼうせぬこと、わいろをとらぬことと同じ意味をもつ」ことに一気に繋がってしまうのか。余りの飛躍に驚くばかり。まったく理解に苦しむ。
だが中国法制史の世界的権威である東大教授から北京で実際に経験してきたのだと力説されれば、余ほどのヘソ曲がりかノーテン・ホワイラ(脳天壊了)、はたまた反中思想の持ち主でない限り、信じてしまうはず。いや、それだけではない。あの広大な大陸全土が「自分の支配領域をこえて他人の利益を犯そうとする者がない状態」であり、「どろぼうせぬこと、わいろをとらぬことと同じ意味をもつ」理想的な社会に変貌したと誤解し、かくて日本国内の中国に対する好感度は飛躍的に高まることになる。中国共産党が戦後日本に仕掛けた功名極まりない宣伝・思想戦である。
仁井田をアゴ・アシつきで中国旅行させたところで、バカ高い経費が掛かるわけではない。いや安上がり。費用対効果バツグンの洗脳工作といっていいだろう。
かりに仁井田が「見た」そのままに、「どろぼうせぬこと、わいろをとらぬことと同じ意味をもつ」と説く「自分の支配領域をこえて他人の利益を犯そうとする者がいない状態」が現在まで続いていたなら、国内的には幹部による天文学的金額の不正蓄財も、暗闘止まない権力闘争も、ヒトとしての生活の限度を遥かに超えた劣悪極まりない環境問題も、気の遠くなるような格差問題も、対外的には尖閣問題も、南シナ海の領有権問題も、世界の主要都市での不動産の買い漁り問題も、地球規模での資源強奪問題も起こりえなかったに違いない。おっと、腐った肉の輸出の一件を忘れてはいけない。
結局、アゴ・アシ、ときに小遣い付きで中国側にオルグされた民主派・進歩派を僭称した数多のヤツラと同じように、仁井田もまた自らが気づかないままに、中国側の宣伝工作に乗せられ、その一端を担わされていたということだ。無意識だけに始末が悪い。
とどのつまり中国社会は万古不易なのだ。にもかかわらず、かつての「自分を守るものは自分の実力以外になかった。官憲もこれを守ってくれてはいなかった」情況が、毛沢東に率いられた共産党政権の誕生によって、「誰も自分の支配領域をこえて他人の利益を犯そうとする者がない状態」で「それはどろぼうせぬこと、わいろをとらぬことと同じ意味をもつ」情況に激変したと誤解した、いや、させられただけだろう。
やはり仁井田はオカシイ。仁井田の犯罪的なバカバカしさは、まだまだ続く。
《QED》
【知道中国 1107回】
――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田9)
「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
△
北京から向かった武漢では武漢長江大橋を見学する。「解放前までは『黄河は治められない。長江には橋はかけられない。もしかけるのができるのだったら一年三百六十五日ぶっ通しで日照りがつづかなければ』といわれ、架橋の不可能が信じられていた」。だが、「今やそれは一つの迷信にすぎないことが実証せられた」そうだ。
「実証せられた」などと大仰な表現を使われると、「へ、へへへーッ、左様で。さすがに共産党政権でござりまする」と平身低頭で納得せざるをえないようだ。だが、考えてみれば、架橋できるかどうかは土木工学と社会環境、それに費用対効果の問題だと思いたい。
1840年のアヘン戦争から1894年の日清戦争まで、まさに列強相手に連戦連敗の中国(清朝)に長江を跨ぐような橋梁を建設するだけの先進土木工学があったとも思えないし、ましてや財政的余裕など皆無だったろう。1911年に辛亥革命が起こり、清朝は崩壊する。1912年元旦にアジアで最初の立憲共和制の中華民国が呱々の声をあげるが政権基盤は定まらず、確固とした中央政権を形成することないままに軍閥時代に突入。その後は列強の支援を受けて各地に割拠する軍閥によるバトルロイヤル状態。さらには日中戦争を挟んでの国民党と共産党の間でのデスマッチ――いいかえれば中国はアヘン戦争から1世紀近くも大混乱に責め苛まれたわけだから、政治的にも社会的にも財政的にも長江を跨ぐ大橋など建設できる客観情況になかったということだろうに。
にもかかわらず仁井田の口から「今やそれは一つの迷信にすぎないことが実証せられた」などといった台詞が飛び出すと、大部分の日本人は、さすがに共産党政権、やることが違う。歴史的な迷信を打ち破った、と勘違いをしてしまう。これまた宣伝戦の一齣。
次に武漢から上海へ。
上海における宿舎は、当時としては上海のみならず全国規模でも最上級といていい和平飯店だった。それほどまでに中国側は仁井田を厚遇していたということだろう。対外開放からほどない80年代初期に和平飯店を覗いたことがあるが、ともかくも贅を尽くした豪華な調度品に黒光りするマホガニー製のカウンター・バーの重厚な雰囲気は最高にステキだった。元はといえば、このホテルは魔都と呼ばれた時代の上海に君臨したサッスーン財閥の牙城だった施設。まさに「資本主義の残滓そのもの」であるだけに、文革当時に紅衛兵に襲撃されなかったのかと係員に尋ねると、涼しい顔で「ここは特別ですから。彼らに指1本触れさせませんでした」と。
ともかくも融通無碍といおうか、無原則の大原則といおうか。中国人の振る舞いの臨機応変ぶりに改めて感心させられると同時に、中国人の千変万化する行動と、百花繚乱たる修辞に溢れた理屈を、自らが抱いた“原則”に縛られたままに飽くまでも生真面目に合理的に解釈しようとする日本人の努力の虚しさを痛感した次第だった。この悪弊を改めない限り、日本人は対中関係で躓きを繰り返す。何度でもいう。彼らの大原則は無原則である。
話を仁井田に戻す。
「上海の水道の水は泥臭くてまずい。それで最初の日は水にかえてビールを飲んだ。次の日は水を飲むとき鼻をつまんで飲んだ。さらに次の日は息をつかないで飲んだ」そうだ。東大教授による泥臭くてまずい上海の水の一気飲み。なにやら一幅の絵になりそうだが、上海の水道の水は魔都時代から泥臭くてまずかったろうか。その点に言及がないのが残念だ。あるいは、共産党政権になってから泥臭くてまずくなった・・・りして。
「解放前のいわゆる貧民街、葯水弄を訪れた」が、そこは面目を一新させていた。それもこれも共産党政権による解放の賜物・・・自動筆記装置はフル稼働モードに入る。
《QED》
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