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■第1229話 マッカーサーが到着した日(後編)

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 今回は以下のメールマガジンに掲載された内容の転載です。

  メイル・マガジン「頂門の一針」3364号 2014(平成26)年7月14日(月)

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(前編から続く)


 占領期間中、マッカーサー自身は1948年のアメリカ大統領選挙に出馬する事を望んでいたが、すべての工作は失敗した。


 6月の共和党大会では、1,094票のうち11票しか取れず、434票を獲得したトーマス・E・デューイが大統領候補に選出された。

 大統領に選ばれたのは現職の民主党ハリー・S・トルーマンであった。


 1950(昭和25)年6月25日にヨシフ・スターリンの許しを受けた金日成率いる北朝鮮軍が大韓民国に侵攻を開始し、朝鮮戦争が勃発した。


 半島育ちの作曲家古賀政男は丘灯至夫に詞を書かせ「涙のチャング」を作曲。

 動乱で民族が「思想」で殺しあう悲劇を訴えた。

 歌唱したのは平壌出身の歌手小畑実だったが、気付いた日本人は限られていた。


 当時マッカーサーは、アメリカ中央情報局(CIA)や麾下の諜報機関(Z機関)から、北朝鮮の南進準備の報告が再三なされていたのにも拘わらず、「朝鮮半島では軍事行動は発生しない」と信じ、真剣に検討しようとはしていなかった。


 だから北朝鮮軍の侵攻を知らせる電話を受け取った際、「考えたいから1人にさせてくれ」と言って、平和が5年で破られたことに衝撃を受けていた。


 マッカーサーは状況を打開すべく仁川上陸作戦を提唱した。

 マッカーサーは作戦を強行した。

 この作戦は大成功に終わり、戦局は一気に逆転し、国連軍はソウルを奪回することにまで成功した。

 これは彼の名声と人気を大きく高めた。


 1951年になると、核攻撃の必要性を主張してトルーマン大統領と対立。

 4月11日、マッカーサーは大統領から更迭を発令された。


 4月16日にマッカーサーはマシュー・リッジウェイ中将に業務を引継いで羽田空港へ向かったが、その際には沿道に20万人の日本人が詰め掛けた。


 毎日新聞と共に朝日新聞がマッカーサーに感謝する文章を掲載した。

 今では想像もできない。

 マッカーサーを乗せた専用機「バターン号」は午前7時23分に羽田空港から離日した。


 マッカーサーは1952年に再び大統領選出馬を画策するがすでに高齢で支持を得られず断念した。


 1964(昭和39)年4月5日に老衰による肝臓・腎臓の機能不全でワシントンD.C.のウォルターリード陸軍病院にて84歳で死去。

 「偉人」として国葬が執り行われ、日本代表として吉田茂(マッカーサー時代の首相)が出席した。


(完結)


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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第1229話)(2014年07月25日号)

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