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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)7月22日(月曜日)
     通巻第4298号  
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 クルド独立の展望がみえてきた
  イラクはそれどころではなく、イランもあきらめ、トルコは反対しない
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 クルド族は推定人口1500万人。イラク、トルコ、イランの山岳地帯に住んでいるが、ながらくこれら三国が反対してきたため、独立は叶わなかった。

 アラブ人とはことなるため、自治区を形成したきたが、突如、ISISの跳梁跋扈でイラクが無政府状態となるやクルドは電光石火の作戦でバイハッサンと、キルクークの二つの油田を制圧した。
両方で日量40万バーレルの石油が生産できる。

 すでにイラクのマリキ政権は統治能力がなく、イランも南部のシーア派居住区の防衛を背後から応援しているが、その「聖域保守」だけで精一杯。国内の経済がそれどころではなく、支援に疲れが見られる。

 トルコは、もっとも強くクルドの独立に反対してきたが、情勢の激変、シリアからの難民問題を抱えており、クルド独立に反対する姿勢が弱まってきた。
ひょっとしてクルド族の独立のシナリオも実現が視野に入ってきたように想える。
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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆ 
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 これほど明快に中国の本質を論じる書物は珍しい
  中国という架空の概念を彼らはいつ、いかにして発明したのか


宮脇淳子『かわいそうな歴史の国の中国人』(徳間書店)
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 中国に四千年の歴史は存在しない。いや、そもそも中国という国家はないし、この世にいわゆる「中国人」という民族はいない。
 台湾の国立故宮博物院にいくと「中華文明八千年」と謳っている。北京の言い方は中国五千年。つくりばなしの結果である。
 宮脇さんの新刊は、いきなり爆弾を投げられたような衝撃的表現がでてくる。
 つまり易姓革命によって王朝が断絶しているのが中国の歴史だから『中国』という国家はなかった。
そもそも中国語という国語はない。共通語はない。共通語としての普通語はラジオ、テレビであれだけやって、小学生のときから強制的に教わっても、語彙が少なくて表現力に乏しい言語であるがゆえに微妙なニュアンスの表現は出来ない。完全な意思の疎通が出来ない。
漢族いがい55の少数民族が織りなすのが、いまの中国共産党が統治する地域である。
 『中華民族』というのは中国共産党がでっち上げた、夢のような語彙ではない。孫文が言いだし、毛沢東が踏襲し、いまごろまた習近平が「中華民族の夢」などと虚ろに煽っているが、末端の庶民は何を意味するかも分かっていないだろう。

 『中国はいまでも世界最悪の格差社会』であり、一部の特権階級がうまれてきたのは、じつは日本の援助のおかげである。少数民族は経済繁栄から取り残されているが、かれらの土地が中国の国土の64%を占めている。
典型のモザイク国家であって「ひとつの中国」というのは幻像である。
しかも、行政は末端まで機能せず、支配者は民に苛斂誅求を加えて、「ゼイキン」を絞りとるだけが官吏の役目。だから汚職なしには、このくには回らないのだ。
だれもが嘘をつくのは嘘をつかないと生きていけないからであり、いずれあの広大な国土に残るのは誰も住まない「鬼城」(ゴーストタウン)と13億の貧乏人とけがされた土地と汚染物質だけ。
賢いひとはとっくに国富を食い散らかして、金を持って海外へ逃げ出したではないか。「しずみゆく船から一番先に逃げ出すのはきまって中国人である」。

 いやはや宮脇さんの独演会、いつもの宮脇節がさえるのだが、本書は、その集大成であり、中国とはなにかの本質的なコア部分だけを入門編的に論じたエッセンスである。

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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1102回】        
―「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田4)
    「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)

  ▽
8月10日朝8時すぎに広州を発った仁井田は、武漢、鄭州を経て北京入りする。「北京では人民公社、北京大学、科学院の法学研究所、中央民族学院、アジア学生療養院や法院や監獄も見学した。人民公社座談会、法律座談会などにも出席し」ているが、各所で自動筆記装置ぶりを如何なく発揮してくれた。

先ずは北京に野菜を供給している人民公社だが、「戸数は九千に近く、人口は四万に近かった」。「共同食堂は必ずしも利用しなくてもよいというが、利用する家庭ではかまどはいらなくなる。ある農家に入ってみた。旧来の農家ならあるはずのところにかまどがなかった。かまどの神も祀ってはいなかった」。「今日、人民公社のために、家庭はばらばらに解体され、夫婦も別々に集団生活をしているという説がアメリカの雑誌にも出ており、日本人の中にもそのように考えているものがある。しかし私はそのようなことを発見できなかった」と綴る。

 まあ呆れ返ったゴ仁だが、むしろ仁井田は「そのようなことを発見できなかった」自らの不明を恥じるべきだろうに。

やはり食事はエサではない。食事を共にすることは家族・人間関係にとって必要不可欠であろう。台所はエサの製造工場ではない。かまどがなければ、かまどの神を祀りたくても祀れないのは当たり前のことだが、台所は家族生活の中心的な場であり、かまどの神は一家の守り神ではなかったか。加えるに共同食堂だ。合理的に見える制度ではあるが、これほどまでに非合理的で非人間的でムダな制度はなかった。だいたい365日、数百人単位の人いきれの中で朝昼晩の3食を口に掻っ込むことに人間は耐えられるだろうか。再度いいたい。食事はエサではない。憩いを伴ってこその食事である。やがて食材と時間を浪費するばかりで不評だった共同食堂は消え去ることとなった――当たり前のことと思うが、その当たり前のことに、仁井田は気づく素振りすらみせない。

 北京を武漢と同じように「労働者と学生の街」と見做す。「名勝史跡に休日に行ってみても、若い人たちが大勢きている。かつては労働者はこのようにゆっくりたのしむ時間と金とがなかった」と。だが「かつては労働者はこのようにゆっくりたのしむ時間と金とがなかった」わけではないはずだ。屋台が並び、種々雑多な大道芸で四六時中賑わっていた天橋と呼ばれた庶民の街があり、京劇やら語り物やら色物の小屋が並び、茶館、料理屋、さらには陰間茶屋まで揃った“吃喝嫖賭抽大烟”に“去聴戯”と、凡そ男の遊びという遊びが愉しめたテーマパークのような前門外という脂粉の巷があったではないか。

 北京大学では「学生は授業料もいらないし、医療費もいらないという。学生はいわゆるアルバイトをしなければならないような状態には置かれてはいない。中国では能力さえあれば誰でも大学で学べる」。「教授は高給をとっている。大学の研究費は請求しただけ交付せられる」と。これが本当なら、学生にとっても教授にとっても、これ以上に恵まれた環境はない。

だが仁井田は、毛沢東率いる共産党政権下の最高学府であり、独裁政権維持のための人材養成機関であり、ましてや「反右派闘争」の荒波を体験した北京大学と、東大を筆頭とする当時の日本の大学とを同列に論ずるという決定的誤りを犯していた。授業料やら医療費やらアルバイト以前の問題として、学生や教授を含む北京大学の全構成員に、仁井田ら東大教授を筆頭とした当時の“進歩的知識人”が国策に反対し、政府を蔑み楯突く根拠として金科玉条の如くに掲げていた思想信条や学問の自由などありうるワケはなかったはず。仁井田は、その点に言及していない。
故意なら犯罪、偶然ならマヌ・・・ケ。
《QED》
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【知道中国 1103回】           
――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田5)
    「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
 
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当時、東大教授として仁井田がどれほどの“薄給”に甘んじていたかは知らない。だが、たとえ給与に不満があったにせよ、北京大学の「教授は高給をとっている」と羨望気味に綴るとは、哀しいばかりにさもしい根性の持ち主といわざるをえない。その俗物性に呆れ果てるが、さらに「研究費は請求しただけ交付せられる」と口にするに及んで、最早なにをかいわんや、である。

ここで、改めて当時の日中両国の政治社会情況を思い起こしてもらいたい。

57年は反右派闘争で、58年からは大躍進政策という中国に対し、日本では「60年アンポ」は目前。仁井田が訪中した59年前後、日本列島は日米安保改定問題に国論を二分して揺れていた。

仁井田が教えた東大の学生は当たり前のことだが授業も医療費も払うし、アルバイトをしなければならなかったかも知れない。だが、政府の外交政策に真っ向から反対し、「アンポ反対!」「岸を倒せ!」と声をあげながら授業を拒否し、大学構内から飛び出して、自らの主張を街頭デモで訴える自由は許された。

これに対し北京大学において、共産党政権が掲げた「反右派闘争」やら「大躍進政策」「人民公社化」に反対の声を挙げることができただろうか。共産党政権に批判的な知識人が嘗めざるを得なかった理不尽極まりない処遇に思いを及ぼせば、そんなことが出来ようはずもない。そんなことを口にしたら、直ちに監獄にブチ込まれ社会的に抹殺されてしまうどころか、情況によっては反革命で即刻死刑という処分だって考えられないわけではなかったのだ。

かりに仁井田の同僚たる東大教授が、当時の文部省に科学研究費を申請したら、「請求しただけ」の金額でなかったとしても、ほぼ確実に交付を受けることができたはず。それが日米安保改定という当時の岸政権が掲げた外交政策に真っ向から反対するための研究であったとしても、である。だから政府が交付する研究費で、誰憚ることなく正々堂々と政府を批判するための研究が可能だった。

だが「研究費は請求しただけ交付せられる」と仁井田が羨望止まずに綴る北京大学において、はたして共産党政府が進める反右派闘争や大躍進に批判的な研究への助成金を申請したとして、「請求しただけ交付せられる」わけはないはずだ。いや反対に、直ちに右派・反革命と断罪され、労働改造所という名の監獄に送られるのが関の山だったろう。//