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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)7月16日(水曜日)
通巻第4294号 <前日発行>
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中国人男、池袋で中国人妻を銃殺事件の顛末
家庭内暴力と200万円の預金目当てだった
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小誌4288号の続きである。
銃声が響いたのは7月6日午後10時40分だった。24時間営業のカフェでいがみ合っていた中国人夫婦。突然、男は拳銃をとりだして至近距離から三発撃った。
あごと胸を打ち抜かれて女性は死んだ。物騒なチャイナタウン、在日中国人に衝撃が走った。池袋の住民は不安に陥った。
事件の顛末が分かった。
この夫婦は再婚同士、ともに上海出身だった。11歳の娘は女の前夫との間に生まれた。前の夫は日本人だった。女は池袋で美容室を開くのが夢で開業資金をこつこつと貯めてきた。
再婚相手の男は永住ヴィザを持っていた。目的は永住権を獲得するための打算だったという。
犯人の自宅を警察が捜索したところ、50グラムの大麻とみられる薬物が見つかった。男は錯乱していたおり、家庭内暴力に耐えられず妻は子供をつれて7月1日に家を出た。
夫婦はつねに喧嘩が絶えず、暴力とカネで諍いが続いた。男は妻が「家財」である200万円を持ち逃げしたと怒った。
けっきょく、裁判は民事刑事両方で進められ、犯人は日本の法律に従って懲役12年程度。残された200万円は娘が引き継ぐことになるだろう、という。
薬と小金、やるせなさと絶望のニヒリズムは中国大陸から、とうとう日本で伝播した。ともかく池袋の住民にとって迷惑な話である。中国からの移民を規制しないと、日本はそのうち暴力と殺人が横行する社会になるゾ。
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◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
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死を前に冷静に遺書を書いた英霊たちへの鎮魂
大西滝治郎中将はみごとに責任を取って自刃した
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佐藤守『お国のために 特攻隊の英霊に深謝す』(青林堂)
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特攻隊については夥しい書物が出ている。隊員たちは進んでお国のために尊い命を捧げた。靖国神社に祀られ、護国の神となって祖国の行く末を見ている。
いかに祖国がだらしない魂が抜けてしまった敗北主義に充ち満ちているかを英霊立ちはどのような苛立ちと怒りで見ているのだろうか。
元パイロットだった佐藤氏は、すでに多くの著作があるが、こんかいは長年、氏が暖めてきた神風特別攻撃隊に挑んだ。
大西中将は、最初に特攻隊を送り出すとき、次の訓辞をした。
「日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。勿論、自分のような長官でもない。それは諸氏のごとき純真で気力に満ちた若い人々のみである。したがって自分は一億国民に代わって皆にお願いをする。どうか成功を祈る。皆はすでに神である。神であるから欲望はないであろう。が、もし有るとすれば、それは自分の体当たりが無駄でなかったかどうか、それを知りたいことであろう。(中略)。だが、自分はこれを見届けて、必ず上聞に達するようにするから安心して行ってくれ」。
特攻隊員のひとり、古川正崇海軍中尉は日記を残した。
「死を嫌い、兵をいやに思う自分が、しかも兵隊となり必死を予測される飛行機を選び、祖国のために喜んで死にゆく事実を世の人は心してみるがいい」(昭和十八年九月二十三日)
「自分が真実のまじめな考えに更ける時、一方において安逸の生活をむさぼっている人間を考えるときに自分の気持ちは不公平な階級を恨むのだ。我らは死は厭だといっても戦死を覚悟している死ぬことを知っていても、敵の中に飛び込んでいける。この気持ちは、たとえ自分が孤独であると知りつつ、自分の周囲に是を聞いてくれる人を持ちたいのだ」(昭和十八年九月二十四日)
敗戦の翌日、大西中将は責任をとって壮絶な切腹を遂げた。
大西滝治郎の遺書。
「特攻隊の英霊に申す。善く戦いたり深謝す
最後の勝利を信じつつ、肉弾として散華せり
しかれどもその信念はついに達成し得ざるに到れり
吾死をもって旧部下の英霊と遺族に謝せんとす」
ところで未亡人となった大西夫人は、戦後をどう過ごしたのか。家も家財も空襲で消失しGHQから未亡人への扶助料も打ち切られ、薬瓶を売る毎日だった。日射病で行き倒れ、それを助けたのが元海軍兵曹。この伝から零戦のエース、酒井三郎の縁につながり、酒井が経営した印刷会社で働き始めた。
「戦後十数年経って特攻記念碑と大西中将の墓の再建後の法要が行われた時、特攻隊の遺族に対して淑恵未亡人は『お気持ちを察し、自分はどう生きるべきか心を砕いて参りましたが、結局、散って行った方々の御霊のご冥福を陰ながら祈り続けることしか出来ませんでした』」と涙した。
未亡人は享年七十九歳でみまかり、大西家は断絶した。
いたずらな反戦平和、憲法九条を呪文のように唱える人々は英霊に唾していることになるが、その自覚はあるのだろうか?
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1100回】
――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田2)
「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
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「中国の旅」の前に、当時の社会情況を象徴するような2つの資料を見ておきたい。
その1は、仁井田訪中の1年前の58年9月2日付で告示された「愛国公約」だ。「整風(=反右派闘争)と総路線の学習を経て高められた政治的基礎の上に、大いに意気ごみ、高い目標を目指し、より多く、早く、立派に、節約して社会主義総路線を建設するために、我われ一家を挙げて以下の各項を達成することを保証します」と冒頭に記された後、「以下の七項目」が続き、末尾に署名欄がある。ということは家族ごとに署名させ、各項目を実践することを誓約させようとしたものだろう。
「一、社会主義政治思想を高めることを努め、断固として社会主義の道を堅持する。
二、社会主義建設総路線を積極的に学習し支援し、迷信を取り払い、思想を解放し、勇気を持って自ら考え、話し、為す共産主義の振る舞いを体現する。
三、勤倹努力し家庭を営み、浪費に反対し、食糧、電気、燃料、布を大いに節約し、支出を抑え、余った金は貯蓄し、工農業の大躍進を支援する。
四、政治理論の技術と文化の学習に励み、刻苦勉励して科学技術を研鑽し、頭を働かせて人々に役立ち、大胆に創造し発明に励む。
五、国を愛し法律を順守し、社会のあらゆる活動に積極的に参加し、政府の掲げる一切の呼びかけに呼応し、党と政府が指し示す様々な工作任務を指示された期限内に完成させるよう努力する。
六、近隣と自分の家の固い団結を保証し、他人と自らを批判することに大胆に取り組み、互いに助け合い、共に向上する。
七、清潔を求め、よりよい衛生環境に努める習慣を養い、四害を消滅させる」
随分と立派なことが書かれているが、そんなことを、あの、超ジコチューな中国人が実践するわけがない。かりに「愛国公約」の拳々服膺を厳命すれば、中国人は“共産主義的聖人君子”に生まれ変わるとでも毛沢東が考えていたとするなら、随分と間抜けな話だ。だが、なにはともあれ、「愛国公約」は当時の中国のタテマエを物語っている。
その2は、50年代末に使われていた「発展」印マッチのラベルに記された文字だ。「さつま芋は宝の中の宝、値段も安く栄養価も高い。さつま芋をいっぱい食べてコメや麦を節約し、国家の立派な建設を支援しよう」とある。「愛国公約」がタテマエなら、こちらはホンネといえるだろう。当時の人々は、どんな気持ちでマッチ箱を眺めていたことだろうか。
当時の庶民生活を想像すると、朝な夕なに「愛国公約」を拳々服膺し、その達成を誓い、マッチを擦る毎に、さつま芋の有難さを感じ取ったというのか。これじゃあ毛沢東時代の中国大陸は、冗談ではなく、掛け値なしに超巨大な北朝鮮でしかない。
以上の予備知識を頭の片隅に置き、仁井田の「中国の旅」を“楽しもう”ではないか。
香港から深?を経て広州へ。当時の規定招待コースを辿ったが、一時下車した広州の手前の駅前で「『徹底的に四害を退治せよ・・・・・』(徹底消滅四害云々)という標語が高々と立札に書いてある」風景を目にする。案内役の説明では「四害」とは鼠・雀・蠅・蚊のことであり、「数年も前からこれらを除く運動がつづけられ、蠅も蚊もとっくの昔にほとんどいなくなった」とのこと。雀は「木に止まらせない。とまりそうになると木の下に人がいて追い立てる。雀はしまいには血圧が高くなってふらふらして落ちてくる」とか。ところが雀を取りすぎたお蔭で、害虫が大量発生し穀物が食い荒らされ大被害。そこで雀は「四害」から外された後に、「益鳥」としての名誉を回復されている。
この雀の捉え方に疑問を持たないとは・・・やはり仁井田センセイは奇妙奇天烈だ。
《QED》
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)ちょうとNHK大河ドラマは黒田官兵衛の「備中高松城水攻め」。そして、「本能寺の変」です。謀略が錯綜し、判断をまよう場面でも官兵衛は、これが天下人になるチャンスと秀吉を諭す場面です。
ここでハタと思い立ったのは、宮崎さんが『黒田官兵衛のインテリジェンス』(晋遊舎)という本を書かれていることでした。すぐアマゾンに発注し、いま届いたばかりで全部は読み切ってませんが、まっさきに高松城水攻めの箇所を開きました。そうなんですね。宮崎さんは現場に二回も行かれて、実際の地形をみて評論されている。机上の空論と想像で歴史を裁断する多くの評論家先生と、つねに現場を大事にする先生との違いが浮き彫りになって納得しながら読みました。今晩から、はちまきを巻いて残り全部を読みます。
(HI生、さいたま市)
(宮崎正弘のコメント)せっかく高松城のこと、次は本能寺でなぜ光秀がたったか。史実は信長の天皇を軽視する歴史への冒涜への諌言です。その光秀への評価を曲げたのは秀吉で、主殺しという非倫理をかれにおっかぶせ、自らの統治の正統性をたかめる手段とした。そういう文脈から本能寺の変は従来の解釈を変える必要があると思います。
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